2015年12月29日

西国三十三所巡礼(青岸渡寺)

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西国三十三所の巡礼に出た。前回の勝尾寺から3年9ヶ月の歳月が流れている。実に久し振りである。今回の目的地は第1番札所・青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)。これまでに何度も訪れているものの、納経帖を持って来るのははじめてである。御詠歌の「補陀洛や/岸打つ波は/三熊野の/那智のお山に/ひびく滝津瀬」の内容は壮大で、どこか切ない。もちろん、那智の滝もあわせて眺めた。
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2012年03月12日

西国三十三所巡礼(勝尾寺)

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西国三十三所の巡礼に出た。今回の目的地は第23番札所・勝尾寺(大阪府箕面市勝尾寺)である。勝尾寺に参詣するのは十数年振りである。前回は勝尾寺の裏山から開成皇子の墳墓まで一気に駆けのぼり、東海自然歩道を箕面の滝方面へと下った。勝尾寺といえば、勝ちダルマである。おみくじ用の小さな勝ちダルマが境内の各所で顔をのぞかせており、独特のユーモアをかもし出していた。
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2011年05月08日

西国三十三所巡礼(総持寺)

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西国三十三所巡礼の旅に出た。今回の目的地は第22番札所・総持寺(大阪府茨木市総持寺1-6-1)。阪急総持寺駅から歩いて5、6分のところにあるため、交通の便はすこぶる良い。以前、本尊が御開帳されている期間に訪れて以来である。周囲もゆっくり散策することが出来た。
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2011年04月11日

西国三十三所巡礼(播州清水寺)

西国三十三所巡礼の旅に出た。今回の目的地は第25番札所・播州清水寺(兵庫県加東市平木1194)である。JR相野駅から神姫バスに乗り込む。平日ということもあってバスに乗り込んだ参拝者は私一人だけであった。清水のバス停からはバスは一気に寺のある山頂を目指す。薬師堂にはせんとくんの作者によって作られた十二神将像が陳列されていた。帰りは麓の清水のバス停まで徒歩で下山する。バスの通って来た自動車道とは別の旧道である。葛折りの緩やかな山道をゆっくり下った。途中、稚児岩などを見学。ゆっくり歩いても30分くらいで清水のバス停に到着した。予定では朝光寺方面まで足をのばすつもりであった。しかし、あいにくの天気となったために予定を変更した。
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2011年01月17日

西国三十三所巡礼(圓教寺)

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西国三十三所巡礼の旅に出た。今年に入ってはじめての巡礼である。今回の目的地は第27番札所・圓教寺(兵庫県姫路市書写2968)である。JR姫路駅からバスに乗り込む。そして、書写山ロープウェイで山上へ。ここからさらに森のなかを歩いて境内に足を踏み入れる。広大な敷地を有した寺院である。おかげで拝観にはかなりの時間を要した。写真は食堂(国重文)の2階廊下から撮影したもの。食堂と大講堂・常行堂(ともに国重文)にかこまれた左手の広場は映画やテレビの時代劇の舞台として使われたこともある。山上からの眺めは素晴らしかった。ロープウェイの山上駅の近くには椎名麟三の文学碑が建てられていた。そこには「言葉のいのちは愛である」という言葉が刻み込まれていた。筆の主は岡本太郎であった。
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2010年11月21日

西国三十三所巡礼(観音正寺/長命寺)

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西国三十三所巡礼の旅に出た。第32番札所・観音正寺(滋賀県蒲生郡安土町石寺2)に参詣するのは久し振りであった。今日は絶好の行楽日和である。繖山の山頂近くに位置する境内は数多くのハイカーで賑わっていた。境内からの眺望も素晴らしかった。その後、第31番札所・長命寺(滋賀県近江八幡市長命寺町157)へ。長命寺に参詣するのも久し振りである。前回の参詣時はそのまま裏山の長命寺山を縦走したものである。こちらも観音正寺と同様の強烈な石段が待ち構えていた。本堂の真下まで続くいわゆる「八百八段」である。一歩ずつ踏みしめるようにして登り続けた。本堂のすぐ下まで登ることの出来る自動車道はあいにく工事中で通行止めであった。マイカーで本堂のすぐ近くまで登ろうと考えていた参詣者は当てがはずれたようだ。「車道が通行止めとは知らなかった」「こんなはずではなかった」といった声があちらこちらから聞こえた。写真は境内の様子を撮影したものである。紅葉がちょうど色づいていた。
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2010年11月12日

西国三十三所巡礼(一乗寺)

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小野市の浄土寺浄土堂。→こちら
小野市の広渡廃寺。→こちら
小野市の来迎院五輪卒塔婆板碑。→こちら

兵庫・岡山紀行(11月5〜8日)の続きである。小野市の来迎院墓地にある五輪卒塔婆板碑を見学した後は、一路、西国三十三所第26番札所・一乗寺(兵庫県加西市坂本町821-17)を目指した。丘陵にかこまれたのどかな田園風景のなかをひたすら歩く。途中、北条行きの列車(北条鉄道)が横を通り過ぎる。子どものオモチャのような一両編成の列車である。坂本地区から山のなかをしばらく歩くと一乗寺の門前に到着した。写真は境内の中腹に建つ国宝・三重塔。安定感のある優美な塔である。1171年の建立であるという。姫路に向かうバスの到着時刻まで2時間近くあった。バス停でぼんやり待つのももったいない。境内をくまなく散策した。奥の院の賽の河原は特に珍しかった。宝物館が一般公開されていたのも幸運であった。普段、宝物館は事前の拝観予約がなければ立ち入ることを許されていない。しかし、毎年4月4日と11月5日の2日間だけは事前に予約をしなくても入館することが出来るようである。私の訪れた5日はたまたまその貴重な2日間のうちの1日に当たっていたのであった。館内では秘仏の本尊・銅造観音菩薩立像(国重文)のお前立ちに当たる銅造観音菩薩立像(国重文)に魅了された。館内を案内して下さった方によると、お前立ちと本尊とは良く似ているそうである。異なるところは本尊の方がやや背の高いことと肩幅ががっしりしていることだという。館内には、もう一体、別の銅造観音菩薩立像が安置されていた。こちらは先の2体に比べると造形的に稚拙である。しかし、飛鳥時代にさかのぼる古像であるという話だった。木造法道仙人立像や木造僧形坐像などの仏像のほかにも経典や掛軸などを拝観することが出来た。著名な国宝・絹本著色聖徳太子および天台高僧像10幅は各地の博物館に寄託されている関係で拝観は叶わなかった。
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2010年10月25日

西国三十三所巡礼(紀三井寺/粉河寺)

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今日は朝から西国三十三所の巡礼に出掛けた。まず向かったのは第2番札所・紀三井寺(和歌山市紀三井寺1201)である。正式名は紀三井山金剛宝寺護国院というらしい。しかし、一般には紀三井寺と呼ばれている。私自身、これまでそう呼んで来た。紀三井寺に参詣するのは数十年振りである。当初の予定では今年3月の秘仏本尊の御開帳に合わせて参詣をするつもりであった。しかし、諸々の所用でそれが叶わなかった。次の御開帳のときには是非とも拝観したいものである。紀三井寺といえば、本堂へ続く急な石段に辟易した記憶が残っている。前回の参詣から数十年の歳月が流れているいまではむしろその記憶だけが残されているとさえいって良い。案の定、今回も例の石段に足をやられてしまった。おまけに前夜の雨で石段が濡れている。登りも大変であったが、下りも足を滑らしそうで冷や冷やものであった。紀三井寺の参詣の後は電車を利用して第3番札所・粉河寺(紀の川市粉河2787)へ。粉河寺に参詣するのもかれこれ十年振りである。豪壮な本堂やその前面に設けられた庭園の素晴らしさもさることながら、鄙びた門前町、門前町から少し脇に入ったあたりの民家の佇まい、蜜柑畑をはじめとする田園風景、いずれも十年前とは何も変わっていない。懐かしい気持ちがこみ上げて来た。
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2010年10月23日

西国三十三所巡礼(三井寺)

18日の日記の続きである。西国三十三所第14番札所・三井寺(大津市園城寺町246)に到着したのは午後3時半過ぎであった。観音堂に参拝した後、広大な境内を散策した。境内の微妙寺ではちょうど本尊の十一面観音菩薩立像(国重文)が御開帳となっていた。金堂(国宝)を拝観した後、その脇に立つ閼伽井屋(国重文)へ。格子越しに内部の霊泉を眺めた。天智・天武・持統の3人の天皇の産湯に使われたことで知られる霊泉からはいまでも水が湧き出している。ゴボッゴボッという音が印象的である。すぐ近くの大津歴史博物館ではちょうど三井寺の名宝・秘仏を含んだ特別展がもよおされていた。しかし、私の訪れた18日はあいにく休館日であった。
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2010年08月16日

西国三十三所巡礼(清水寺)

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今日の主要な目的は西国三十三所第16番札所・清水寺(京都府京都市東山区清水1丁目294)に参詣することであった。清水寺にはもちろんこれまでに何度も足を運んでいる。子どもの頃より少なくとも十回くらいは訪れているはずである。しかし、最近はめっきり足が遠のいていた。春夏秋冬、いつ訪れても人・人・人でゴッタ返しているからである。ここ十年ほどで訪れる観光客はかなり増えたような気がする。これだけ猫も杓子もとなれば、ヒネクレ者の私などは自然と足が遠のいてしまう。正直にいって、私には何とも参詣しづらい寺院の一つである。今日は千日参りの最終日。内々陣では無数のロウソクが灯されていた。ロウソクの熱気と参拝者の人いきれで内々陣はむせ返るような暑さであった。音羽の滝も長蛇の列であった。これでまたしばらくは参詣することもなかろう。
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2010年05月23日

西国三十三所巡礼(善峯寺)

従兄弟のお店でランチをいただいた後、西国三十三所第20番札所・善峯寺(京都市西京区大原野小塩町1372)に参詣した。今日は夜明け前から雨が降っていた。午後になると雨足はいっそう強くなった。土砂降りの大雨のなかを善峯寺まで登ったのである。全山を一巡すると約40分ほどかかるという。土砂降りの雨のなかを歩くことは困難である。観音堂(本堂)におまいりした後、有名な遊龍の松だけを見学してそそくさと退散した。帰りに願徳寺(京都市西京区大原野南春日町1223-2)へ参拝し、国宝・如意輪観世音菩薩半跏像と十数年振りの再会を果たした。如意輪観世音菩薩半跏像は相変わらず素晴らしかった。堂内を真っ暗にした後、厨子のなかにおさまる如意輪観世音菩薩半跏像にスポットライトが当たるという演出も心憎い。すぐ横の花の寺は閉門中であった。
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2010年03月29日

西国三十三所巡礼(中山寺)

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今日は所用ついでに西国三十三所第24番札所・中山寺(兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1)へ参詣した。子どもの頃、一度、参詣したことがあったように記憶している。それ以来である。エスカレーターやエレベータも設置されている近代的な寺院である。その一方、白鳥塚古墳(中山寺古墳)のような古墳も存在する。写真は石室内の様子を撮影した一枚。仲哀天皇の先の皇后であった大中姫の墳墓であると伝える。しかし、実際にはこの地を治めていた豪族の墳墓であろう。今日は寒い一日だった。
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2010年01月24日

西国三十三所巡礼(壷阪寺)

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昨日は橿原方面に出掛ける用事があった。ついでに西国三十三所第6番札所・壷阪寺(奈良県高市郡高取町壷阪3番地)へ参詣した。子どもの頃、バスで参詣したことがあった。しかし、歩いて参詣するのははじめてである。近鉄壷阪山駅下車。高取の古い町並みを両脇に見ながら登ってゆく。2日前の雨のせいだろうか。旧道の地面はひどくぬかるんでいた。急坂を一気に駆け上がると目の前に伽藍が姿を現した。目の仏として知られる大きな本尊・十一面千手観音菩薩坐像を拝観。礼堂の脇には「め」と記された等身大以上の大きな絵馬掛けも設けられていた。子どもの頃に来たときよりもインド招来の巨大石像物がふんだんに増えていた。ある意味、かなりケバケバしい寺院に変貌を遂げていたのが印象深かった。
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2009年12月14日

西国三十三所巡礼(六角堂)

今日は終日オフであった。午後から京都まで出掛けた。京都駅から烏丸通を北上して到着したのは西国三十三所第18番札所・六角堂である。紫雲山頂法寺が正式な寺号であるようだ。しかし、六角形の本堂を擁する当寺の姿を目の当たりにすると「六角堂」という名称で呼びたくなる。WEST18の展望エレベータに乗り込んで本堂を見下ろしたり、「へそ石」を見たりしながら境内をぶらぶら散策をした。
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2009年12月02日

西国三十三所巡礼(長谷寺/法起院)

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11月30日は完全オフだった。前日は早朝出勤。夕方からは仕事仲間と大和西大寺で呑み続けた。翌日の30日は二日酔いではあるまいか。そう思っていた。しかし、目覚めは快調そのものだった。午前中から西国三十三所巡礼に出向いた。向かったのは第8番札所・長谷寺である。紅葉の季節であるせいだろうか。平日であるにもかかわらず、境内にはたくさんの観光客が見られた。巨大な本尊・十一面観音菩薩立像とも再会を果たす。特別拝観として1000円を払えば、内陣から本尊を見上げることも出来る。しかし、私は内陣で真下から見上げるよりも表の舞台のあたりに立って遠くからお顔を覗くのが好きである。写真は本堂回廊部分の留め金具。ご丁寧にも「長谷寺」という文字が刻印されている。長谷寺の後、番外の法起院にも参拝をした。
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2009年11月22日

西国三十三所巡礼(岩間寺/石山寺)

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西国三十三所の巡拝に出た。第12番札所・岩間寺では12月17日(来年は4月17日から5月17日)まで秘仏本尊・千手観世音菩薩立像の御開帳がおこなわれている。19年振りの御開帳であるという。JR石山駅から岩間寺行きの臨時バス(京阪バス)に乗車。急坂を登って岩間寺にたどり着いた。本尊は、前回、参拝した第10番札所・三室戸寺の秘仏本尊よりもさらに小さい金銅仏であった。像高4寸8分であるという。三室戸寺の本尊・千手観世音菩薩立像の半分足らずであるということになる。内陣まで入って厨子の前で参拝をさせていただいた。しかし、厨子の前に立っても姿が小さくて見えづらかった。ついでに奥戸神社まで足を伸ばして周囲を散策。第11番札所・上醍醐(醍醐寺)方面へと下ってゆく山道も見つけた。次回、岩間寺を参拝する機会があれば、是非、そこから上醍醐までのんびり歩いてみたいものである。その後、徒歩で下山。次の第13番札所・石山寺へと向かった。石山寺でも12月16日まで秘仏本尊・如意輪観音菩薩坐像の御開帳がおこなわれている。直接、拝観をするのは数年前の御開帳以来である。こちらは岩間寺とは対照的に実に大きい。内陣で真下から見上げる形で拝観をさせていただいた。石山寺の名の通り、岩盤の上に鎮座をしているせいだろうか。思いのほか大きく感じられた。拝観のたび、いつも関心させられる複雑な構造の国宝・本堂や国宝・多宝塔の内部に安置されている快慶作・大日如来坐像、さらに珪灰石の巨石群などもじっくり拝観をした。写真は多宝塔の近くに位置している「めかくし石」。私の好きな石造宝塔の一つである。
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2009年11月20日

西国三十三所巡礼(三室戸寺)

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昨夜は夜遅くまで仕事に励んだ。仕事を終えたのは今日の未明のことだった。今朝も早くから起きて仕事を続けた。おかげで午前中に仕事を終えることが出来た。午後からは思いがけず自由な時間が持てた。まずは散髪に出向いた。その足で西国三十三所巡礼に出た。今日、参拝したのは第10番札所・三室戸寺である。三室戸寺では10月1日から11月30日まで秘仏本尊・千手観世音菩薩立像の御開帳がおこなわれている。84年振りの御開帳であるという。像高は一尺二寸。飛鳥時代の様式を踏まえた金銅仏である。縦長の大きな宝冠をかぶり、裳裾を左右に大きく広げた姿が印象深い。千手観音と呼ばれていながら実際には二臂の立像である。僧侶の解説によると、本来、本像は二丈にもおよぶ大像であったとされる千手観音像の内部に収められた胎内仏であった。そういう経緯もあって千手観音と呼ばれているようである。大像は室町時代の火災で消失するものの、本像は火中より飛び出して無事であったとのこと。以来、火難消除の観音様として厚く信仰されているという。寺伝の通り、本像が飛鳥仏であるのかどうかはわからない。しかし、全身黒光りをしているのは室町時代の火災で煤や火の粉を浴びたためであろうか。詳しいことはわからない。三室戸寺を拝観するのは数年振りである。前回は紫陽花の咲く梅雨時に拝観をした。今回、境内入口の脇に新羅大明神の祠がまつられているのをはじめて知った。興味深かった。
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2009年10月18日

西国三十三所巡礼(岡寺)

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明日香村を散策するとなると西国三十三所も巡礼しなければならない。今回は第7番札所・岡寺を巡拝した。岡寺の本尊で日本最大の塑像である如意輪観音座像には今回も圧倒された。お茶の接待もおこなわれていた。お薄をいただいて満足した。
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2009年08月10日

西国三十三所巡礼(行願寺)

今日は午後から京都へ出向く予定があった。ついでに久し振りの巡礼に出た。出向いた先は第19番札所・行願寺(京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町)である。行願寺の名物婆さんと会話を交わして和やかな雰囲気になった。それにしてもまことに良く喋る婆さんである。おかげで滞在時間が思いのほかかかってしまった。
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2008年12月20日

西国三十三所巡礼(葛井寺)

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昨日は終日オフだった。朝から良い天気である。西国三十三所の巡礼に出掛けた。目指すは大阪府藤井寺市にある第5番札所・葛井寺。自宅のある奈良から葛井寺へ向かう場合、まずは近鉄奈良線を利用してJR鶴橋駅で環状線に乗り換える。JR天王寺駅で下車。大阪阿部野橋駅から近鉄南大阪線を利用して藤井寺駅に降り立つのがもっともオーソドックスな経路であろう。しかし、今回は趣向を変えて関西本線を利用してみた。まずはJR奈良駅に向かった。そこから関西本線に乗り込みJR柏原駅で下車。地図を片手に藤井寺方面へぶらぶら歩きはじめた。大和川にかかる新大井橋を渡り切ると前方にこんもりとした森が幾つも現れる。誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)を中心としたいわゆる古市古墳群である。西名阪自動車道藤井寺インターチェンジを横目に見ながら進路を南西方向に変えてしばらく歩くと近鉄藤井寺駅に到着である。葛井寺は藤井寺駅の南側に位置している。商店街のなかに建っているだけあって境内は大勢の人で賑わっていた。御本尊は国宝・十一面千手千眼観世音菩薩坐像。脱活乾漆造の天平仏である。普段は毎月18日だけ御開帳される秘仏である。今月は西国三十三所結縁御開帳の一環として18日から21日まで4日間にわたって特別に御開帳されている。拝観は十数年振りである。拝観料300円を支払って内陣に進んだ。相変わらず理知的で端正なお顔である。光背のように左右に広がる豪快な千本の手も実に見事である。古瓦や古文書などを展示している本堂の裏手では葛井寺に縁のある井真成の墓碑のことを熱心に語る中高年の男性がいた。どこかで見たことのある顔である。しかし、どうしても名前を思い出せなかった。
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2008年11月25日

西国三十三所巡礼(観音寺/六波羅蜜寺)

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地方在住の某氏から京都案内を頼まれた。某氏はこれまでに何度か京都を訪れている。しかし、観光名所としては東寺と清水寺に行ったことがあるくらいだという。急な依頼に戸惑った。大急ぎで散策ルートを考えた。今回、某氏を案内するのは東山方面である。東山を案内しようとしたのには理由がある。某氏を案内するついでに東山に点在する西国三十三所観音霊場も巡ってみよう。そういう魂胆もあってのことだった。まずは東福寺を訪れた。紅葉シーズンの連休である。境内は人でゴッタ返していた。東福寺を拝観してから第15番札所・観音寺を訪れた。観音寺では今月30日まで本尊・十一面観音菩薩立像の御開帳がおこなわれている。東福寺の人混みとは対照的に観音寺は閑散としていた。時折、巡礼者がやって来る程度である。内陣に入って本尊を間近で拝観した。記念に特製の散華を頂戴した。観音寺からは智積院を経て三十三間堂に向かった。某氏は三十三間堂の仏像群に圧倒されていた。豊国神社を経てたどり着いたのは第17番札所・六波羅蜜寺である。本堂では今月30日まで国宝・十一面観音菩薩立像の御開帳がおこなわれている。観音寺の本尊と同様、西国三十三所結縁御開帳の一環である。六波羅蜜寺といえば、空也上人立像や平清盛坐像も見逃せない。本堂の裏手に建てられた宝物館にも足をのばした。12月中旬から年末にかけて、六波羅蜜寺ではかくれ念仏がおこなわれる。何年前だろう。かくれ念仏を拝観する機会にめぐまれた。聞きなれない念仏と鐘の音に魅了されたものである。六波羅蜜寺のかくれ念仏は必見である。拝観後、某氏を六道の辻に店舗を構える“幽霊子育飴”の販売店に案内した。六波羅といえばやはりこれだろう。某氏はいたく喜んでいた。ついでに“六道まいり”で知られる六道珍皇寺を案内した。小野篁が地獄へ詣でるために使ったとされる古井戸を板戸越しに眺めた。大の大人が板戸のちょっとした隙間に顔をくっつけてあれこれ話している様子は傍から見ればさぞかし滑稽だったに違いない。閻魔堂に安置された閻魔大王坐像と小野篁立像の表情の生々しさを某氏は薄気味悪く感じていたようだ。
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2008年11月17日

西国三十三所巡礼(興福寺南円堂)

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仕事を終わらせたのは今朝だった。まったくやれやれである。その代わりに本日は終日オフである。西国三十三所巡礼の旅に出た。巡礼の旅といっても大袈裟なことではない。目指したのは第9番札所興福寺南円堂である。南円堂は自宅と同じ奈良市内にある。自宅の最寄りの駅から電車で十数分の距離である。さいわいにも今日は時間がたっぷりある。自宅から歩いてみることにした。南円堂に到着したのは午後2時過ぎだった。前回、南円堂を参拝したのは11月7日である。そのときのことは11月8日の日記に記した。実は11月7日に参拝したときに納経帖を持参するのを忘れた。今日は納経帖を持参して納経と朱印をお願いした。24日まで南円堂内部の特別拝観がおこなわれている。例年だと10月17日の1日しか公開されない。今年は西国三十三所結縁御開帳の一環として長期間にわたって公開されているようである。11月7日に参拝したときには数年振りに内部を拝観した。しかし、今日は足を踏み入れなかった。さすがは興福寺である。境内は観光客や修学旅行生でゴッタ返していた。鹿せんべいが欲しくてたまらないのであろう。鹿は首を縦に振って観光客に愛嬌を振りまいていた。鹿せんべいを手にした修学旅行生を追いかけまわしている鹿もいた。上空ではカラスやハトの群れが悠々と旋回していた。興福寺は人間と鳥獣とが共存する不思議な空間である。
ラベル:巡礼 鹿 興福寺
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2008年11月03日

西国三十三所巡礼(醍醐寺)

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西国三十三所の巡礼に出よう。そう思い立った。そのことを記したのは昨日の日記である。善は急げという。早速、自宅を飛び出して巡礼に出た。向かったのは第11番札所・醍醐寺である。自宅と同じ奈良市内には第9番札所・興福寺南円堂がある。しかし、興福寺はあまりにも近すぎる。かといって、第1番札所・青岸渡寺のような紀伊半島の南端までおもむくことも出来ない。醍醐寺であれば、現在、霊宝館で寺宝の秋季特別公開もおこなわれている。巡礼と寺宝の拝観とを兼ねることが出来る。そう思って本日の目的地を醍醐寺に定めたのである。電車とバスを乗り継いで醍醐寺に到着したのは午後0時過ぎだった。数年振りの醍醐寺である。まずは国宝・三宝院をめぐった。次に霊宝館で寺宝の数々を拝観した。さらに金堂や五重塔を見上げた。いよいよ札所である。醍醐寺の札所は上醍醐の准胝堂である。金堂や五重塔などが立ち並ぶ下醍醐から急峻な山道を1時間ほど登らなければならない。上醍醐まで登ったのは何年前だっただろうか。とにかく大変な難所であった。そのように記憶している。ところが、本格的な山道がはじまる女人堂まで来たときのことである。上醍醐へと続く山道の入口に通行止めのフェンスが立て掛けられているのを発見した。貼紙によると、8月24日、落雷によって准胝堂が焼失したため、現在、朱印や納経の受付は女人堂でおこなわれているという。実際、納経帖を手にした老若男女が女人堂の境内に犇めき合っていた。仕方がない。私も老若男女の列に並んだ。そして、購入した納経帖に納経と朱印を押してもらった。これで私も巡礼者の仲間入りである。最初の第一歩を踏み出した瞬間である。感無量である。しかし、その反面、何とも複雑な気持ちである。上醍醐の准胝堂に安置されていた御本尊の准胝観世音菩薩は女人堂に移っている。したがって、現在、女人堂が正式な札所になっている。そのことは間違いあるまい。しかし、もともとの札所で納経や朱印をもらえなかったことはやはり悔やまれる。女人堂で納経や朱印をもらったとしてもやはり上醍醐までは登ってみたかった。上醍醐への参詣が解禁されるのはいつのことだろう。解禁された後、もう一度、醍醐寺を訪れたいと思っている。
ラベル:醍醐寺 巡礼
posted by 乾口達司 at 00:39| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 西国三十三所巡礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月02日

西国三十三所巡礼の旅。

西国三十三所巡礼の旅に出よう。そう思い立った。奈良国立博物館の特別展『西国三十三所』を観覧したのは9月10日だった。そのときのことは9月11日の日記に記した。しかし、そのときは西国三十三所のうちの幾つかの寺院を訪れようと思っていたに過ぎない。すべての霊場を巡礼しようと思い立ったのは数日前のことである。特に理由はない。両親が何やら相談している。手には西国三十三所のパンフレットを持っている。西国三十三所巡礼に出掛けてみようか。二人はそう話し合っていた。二人の話を横で聞いていた。そして、自分も行ってみようと思い立ったのである。四国八十八所を巡礼したい。歩き遍路で四国を一周してみたい。かれこれ十年来の願望である。あるいは四国八十八所に対する思いが西国三十三所巡礼の旅と結びついたのかも知れない。四国八十八所を巡礼するための準備段階としても、西国三十三所は格好の巡礼ではなかろうか。我ながら良いことを思い立ったものである。しかしながら、仕事を抱えている身である。三十三所の霊場を一度にまわることなど出来るはずがない。一番札所・青岸渡寺(和歌山県)から第三十三番札所・華厳寺(岐阜県)までを札所順に歩いてめぐる。そのような時間的な余裕もない。電車やバスを乗り継いだり、ときには両親の車に便乗させてもらったりしながら、数年をかけてゆっくりまわろう。巡礼の順番などは気にしない。とにかく三十三所をすべて参拝しよう。いまはそのことだけを考えている。まずは納経帖を購入しなければならない。

西国三十三所巡礼の旅
http://www.saikoku33.gr.jp/
ラベル:巡礼 観音
posted by 乾口達司 at 00:45| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 西国三十三所巡礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする