2008年05月18日

出雲紀行(松江市内)

最終日である。松江市内へ戻った。松江城では天守閣(国重文)に登った。お濠端を歩いた。小泉八雲の旧居を見つけた。さらにお城の北側から西側へとまわり込んだ。志賀直哉はこのあたりに居を構えたことがあるという。大正3年のことである。志賀直哉は『壕端の住まい』のなかでこう記している。「対岸は城の裏の森で、大きな木が幹を傾け、水の上に低く枝を延ばしている。水は浅く、真菰が生え、寂びた具合、壕というより古い池の趣があった」。実際、お城の北側から西側にかけての風景は『壕端の住まい』の世界をとどめている。樹々の鬱蒼と生い茂る王陵。それを取り巻く周濠のようである。そういっても良いかも知れない。時折、堀川めぐりの遊覧船が行き交う。長閑である。芥川龍之介も松江を訪れたようだ。大正4年の夏である。『松江印象記』のなかの次の一節は特に印象深い。「松江はほとんど、海を除いて『あらゆる水』を持っている。椿が濃い紅の実をつづる下に暗くよどんでいる濠の水から、灘門の外に動くともなく動いてゆく柳の葉のように青い川の水になって、なめらかなガラス板のような光沢のある、どことなくLIFELIKEな湖水の水に変わるまで、水は松江を縦横に貫流して、その光と影との限りない調和を示しながら、随所に空と家とその間に飛びかう燕の影とを映して、絶えずものういつぶやきをここに住む人間の耳に伝えつつあるのである」。小泉八雲は松江をどう描いたのだろうか。『神々の国の首都』を読んでやろう。そう思った。こんな街に住んでみたい。

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月照寺には松江藩主・松平家九代の墓所がある。大型の五輪塔や宝塔形式の墓石が静まり返った境内に屹立している。六代藩主・宗衍の墓所の一角には寿蔵碑が建立されている。小泉八雲が『知られざる日本の面影』のなかで紹介した石碑である。首を持ち上げた大亀の頭部は私の背丈よりも高い。これほどまでに大きいとは思わなかった。大亀は夜な夜な松江の街を徘徊したという。生々しい伝説だ。大亀の頭を撫でているとメールが届いた。岡山在住のメメからだった。昨日、メメも出雲大社へ参拝したという。何という偶然だろう。メメが出雲大社にたどり着いたのはお昼過ぎだった。私が“かねや”で出雲そばを食べていた頃である。メメは本殿特別参拝者の長蛇の列に驚愕したようだ。
posted by 乾口達司 at 19:47| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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