2008年05月06日

矢田丘陵縦走4

今回の仕事がやっと終わった。昨日の夜のことである。今日と明日の2日間は完全オフである。今日は朝から良い天気だった。昨日の雨が嘘のようだ。鈍った身体を動かそう。そうと思い立った。午後から出掛けた。いつものように矢田丘陵を縦走した。前回、矢田丘陵を縦走したのは3月28日だった。甥っ子のシュンと一緒だった。そのときの様子は3月29日の日記に記した。いつものように霊山寺の裏側から子供の森へ向かった。一気に尾根へと駆け上がった。あとは道なりに歩いてゆくだけである。新緑が美しかった。天気が良かったせいだろう。国見展望台からははるか遠くの山並みまで見渡せた。松尾寺から法隆寺へ下った。数日後、中国の国家元首が法隆寺を訪れるという。ものものしい警備が敷かれているのだろうか。警戒した。しかし、普段の法隆寺と何も変わらなかった。

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コースの途中にある松尾寺について書いてみよう。松尾寺の創建は養老2年(718)である。舎人親王が厄除けを祈願して創建したと伝えられている。本尊は厄除け観音として知られる木造千手観音立像。毎年11月3日のみ御開帳される秘仏である。本堂(国重文)は建武4年(1337)に再建された新和様建築の仏堂である。後方には三重塔が控えている。さらに後方の山腹には松尾山神社が鎮座している。松尾寺で是非とも拝観するべきは鎌倉時代に造られた木造大黒天立像(国重文)である。像高約82センチメートル。頭に烏帽子をかぶった狩衣姿である。実に厳しいお顔をしている。峻厳という言葉がぴったりである。おおらかなイメージのある一般の大黒天とは大違いである。七福神堂に安置されている。

松尾寺で思い出すのは親元を離れて小坊主修行を体験したことである。2泊3日の体験修行である。小学4年の夏休みだった。KとHと3人で参加した。近郊各地から集った小学生の数は数十人におよんだ。期間中は小坊主姿になって境内を掃除したり、坐禅を組んだり、住職の法話を聴いたりした。食事は白飯と味噌汁、それにわずかなおかずだけだった。僧侶はこういった質素な食事を摂っているという。修行のため、食事のとき以外は水も飲んではいけないということだった。しかし、育ち盛りの小学生にそれは無理というものだ。小坊主たちは住職の眼を盗んでしばしば水道の蛇口に口をつけた。住職の姿が見えなくなると、洗面所にはあっという間に長蛇の列が出来た。食事の内容に対しても反発が大きかった。無理もない。そのような質素な食事を強要する当時の住職が僧侶らしからぬでっぷりと肥った人物であったからだ。白飯と味噌汁、それにわずかなおかずだけであれほどでっぷりと肥ることは不可能である。小学生でもそれくらいのことはわかるというものだ。質素なメニューとでっぷりと肥った住職。説得力がなかった。

坐禅修行ではしばしば背後から警策棒で叩かれた。新聞社が取材に来ていた。警策棒で叩かれる瞬間、カメラのフラッシュが光った。翌日、警策棒で叩かれている私の姿が某紙の紙面を飾った。現在も実家にはそのときの切り抜きが残されている。テレビ局も取材に来ていた。NHKである。境内の清掃作業に従事しているときだった。他の小坊主たちは箒や塵取りを手にしながら黙々と清掃作業に励んでいた。私は人目を盗んで石段の上に腰を下ろしていた。箒の柄の部分で肩を叩きながらくつろいでいた。やあ、諸君。ごくろうさま。張り切って清掃しているねぇ。しかし、そんなに励んでどうするつもりなのかね。所詮は2泊3日の小坊主体験じゃないか。慌てない、慌てない。ひとやすみ、ひとやすみ。足を投げ出しながら、良く飼い慣らされた羊のように黙々と清掃作業に従事する他の小坊主たちに心のなかでそう呼びかけていたはずである。たぶんニヤニヤしていたことだろう。そのときの様子をどこかから盗み撮りされていたのである。箒の柄の部分で肩を叩きながらくつろぐ私の姿はその日の夕方のローカルニュースで放映された。松尾寺。思い出深い寺院の一つである。
posted by 乾口達司 at 21:43| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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