2008年04月19日

プロフィール6

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アホなことやろか。酒の席でしばしばそう口にする教員もいた。Tである。当時、Tは40代前半ではなかっただろうか。身体をクネクネさせる姿が珍妙だった。私と親友Y玉はしばしばTの研究室を訪れた。大学の帰りにビリヤードに誘ってもらったこともある。ブラジル仕込みの技を見せたるわ。Tはそういった。若い頃、世界各地を放浪していた。ブラジルにも滞在したことがあるという。ブラジル流のビリヤードがあるものだと信じた。しかし、「ブラジル仕込み」はいつまでたっても披露されなかった。私たちの良く知るビリヤードの流儀と何も変わらなかった。「ブラジル仕込みのビリヤード」というのはどのようなものなのですか?ビリヤードをはじめてしばらくたった頃だった。Y玉がTに訊ねた。Tのいう「ブラジル」とは大学の近くにある喫茶店“ブラジル”のことだった。講義を終えた後、Tはしばしば“ブラジル”に立ち寄る。“ブラジル”でビリヤードの練習に励んでいるという。“ブラジル”には確かにビリヤード台が設置されていた。

アホなことやろか。その言葉に誘われて、大学から奈良まで歩いて帰ろうとしたこともあった。沖縄料理店Yが閉店した後のことだった。時刻は午前0時をまわっている。終電はすでに行ってしまった。私たちは歩きはじめた。若かったせいだろう。私とY玉は酒を呑んでいてもいっこうに平気だった。しかし、Tは明らかに酩酊していた。はじめからそんなに飛ばしてどうするねん。そのうちバテて来るで。そのときになってから、先生、ちょっと休憩させて下さいと頼んでも置いてゆくからな!Tは勇ましかった。しかし、何時間たっても、私たちの足取りは変わらなかった。Tはいつまでたっても、ちょっと休憩しようか、を連発していた。10分歩いて10分休憩する。そのサイクルが延々続いた。私たちの後方を歩いていたTの姿が消えた。気配を感じて振り返った。足元で声がした。道路脇の側溝のなかを覗き込んだ。転落していた。朝になった。近鉄石切駅で始発電車に乗り込んだ。Y玉はその後もたびたび、先生、またアホなことをやりましょうとTを誘っていた。深夜未明になってからTのマンションを訪問したこともあった。Tは寝ていた。叩き起こした。翌日、3人で生駒山を横断した。

喜界島で方言の聞き取り調査をおこなっている。遊びに来ないか。そう誘われた。大学院生のときである。喜界島へと渡った。Tに従って地元の古老宅を訪ねた。古老からは喜界島の方言を教わった。しかし、総じて村人の口は堅かった。言葉を聴かせて下さい。Tの申し出に村人の多くが不審な表情を浮かべた。炎天下、村中を歩きまわった日もあった。屋外に村人の姿はなかった。私たちは「方言」を求めてさ迷い歩いた。熱中症の一歩手前だったのかも知れない。頭がくらくらした。意識が朦朧としていた。家屋のなかから私たちを眺める村人たちの冷ややかな視線を感じた。行く先々で感じた。私たちの行動はすべて監視されているようだった。

村人の一人が死んだという。村あげての葬儀がはじまった。調査どころではなくなった。誰も私たちの相手などしてくれなかった。夕食にも事欠く事態におちいった。海に潜って食材を調達しよう。Tの提案だった。モリなど持っていない。網も持っていなかった。収穫はゼロだった。ナマコだけは捕獲することが可能だった。しかし、海のなかで目の当たりにしたその姿はあまりにもグロテスクだった。食べようという気が起こらなかった。食用のナマコでもなかった。

帰りに屋久島へ立ち寄った。土砂降りの大雨だった。屋久杉を見学しよう。山中へと分け入った。ずぶ濡れになった。平内海中温泉や湯泊温泉にも入った。波打ち際の岩場を刳り貫いて作った湯船だった。引き潮になると、海中から湯船が姿を現した。外国人女性が恥じらいもなく入浴していた。鹿児島経由で霧島温泉も訪れた。関西へは宮崎からフェリーで戻った。
posted by 乾口達司 at 22:43| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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