2008年03月30日

和泉府中〜北信太へ。

JR和泉府中駅に降り立ったのは午後0時過ぎだった。改札にて行政書士のWと合流した。あいにくの雨である。傘をさしながら歩きはじめた。和泉の地名発祥の地とされる泉井上神社を訪れた。さらに住宅地のなかを彷徨いながら泉穴師神社へとたどり着いた。いずれも囲いが邪魔をして肝心の重要文化財の本殿をじっくり拝見することが出来なかった。

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大阪府立弥生文化博物館に到着したのは午後1時半頃だった。弥生文化博物館は全国屈指の規模を誇る弥生時代の環濠集落・池上曽根遺跡の上に建てられている。写真は池上曽根遺跡から発掘された土器群と博物館のすぐ近くに復元されている巨大な掘立柱建造物である。“いずみの高殿”と呼ばれている。遺跡の周辺には博物館をはじめとして3つの施設が設けられている。池上曽根弥生情報館は和泉市に位置している。館内では係員の中年男性たちがヒマを持て余していた。泉大津市に位置する池上曽根弥生学習館も閑散としていた。建物の構造や引き出しを使って弥生時代を学習するというアイデアは秀逸だった。しかし、いくら重要な遺跡であるとはいえ、博物館を含めて3つも建造物を建てる必要があるのだろうか。疑問に思った。

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葛葉稲荷神社まで歩いた。歩いている途中、信太山新地の存在が気になった。しかし、私はその種の知識に乏しい。新地がどのあたりにあるのか、見当もつかなかった。葛葉稲荷神社を訪問したのは2度目である。「恋しくばたずねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」。葛葉稲荷神社ゆかりの古歌が頭に浮んだ。このあたりには大学時代の親友Y玉の実家がある。Y玉の父上が亡くなったとき、O林やHとともに通夜に訪れた。Y玉はいま千葉に住んでいる。しかし、母上はいまも住んでいるはずだ。

雨足が強くなって来た。早めに食事しよう。そういう話になった。JR北信太駅から電車に乗り込んだ。JR三国ヶ丘駅で南海高野線に乗り換えた。堺東駅で下車した。向かった先は“漁師の宴”(大阪府堺市堺区北瓦町2-1-30堺銀座商店街内)である。ビールから焼酎のお湯割りに進んだ。Wは最後まで熱燗だった。寒い一日だった。身体が冷えたのだろう。Wとは今回もさまざまなことを話した。明日は京都まで出掛けなければならない。早めに店を出た。
posted by 乾口達司 at 23:59| 奈良 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
29日と31日と違って、30日に雨が降っていたのは残念でしたね。そのうち、またどこかへ行きましょう。
Posted by W at 2008年03月31日 15:24
それから、「最後まで」って、私は熱燗の小さいお銚子1本だけですよ。乾口さんと違って酒の弱いから、それ以上は呑めなかったんです。
Posted by W at 2008年03月31日 20:22
昨日はお疲れ様でした!今度は西大寺周辺かな。あまり知られていない西大寺の隠れスポットを案内しましょう。詳しい日時についてはまた御連絡します。
Posted by 乾口達司 at 2008年03月31日 23:00
Posted by W at 2008年04月01日 19:47
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