2008年02月28日

写真を眺めて。

写真店へ出掛けた。CD-ROMにおさめられた写真をプリントするためである。写真は昨年末におこなわれた小学校の同窓会の模様を写したものだった。

写真を眺めた。卒業以来、二十年以上の歳月が流れている。それにもかかわらず、当時の面影を残している同級生がいた。面影を残していない同級生もいた。しかし、こちらは数名だった。誰が誰であるのか、ほとんど見当がついた。

当日、会場でわき起こった不思議な感覚を思い起こした。居心地の悪さ。来てはいけないところに来てしまったような場違いな印象。そんなところだろうか。

あの日、私たちはどういった時間を生きていたのだろうか。二十数年ぶりに再会した恩師の前だった。二十数年前の小学生に戻っていたはずである。しかし、現実には30代の大人だった。白髪が目立つ同窓生さえいたくらいだ。小学生だった。同時に30代の大人でもあった。私たちは過去と現在に引き裂かれた時間を生きていた。あの何ともいいようのない居心地の悪さ、場違いな印象は、私たちがあの日、あの会場において、過去と現在とのあいだで引き裂かれていたことに由来するのだろう。過去と現在とが共存するグロテスクな時間。それによってもたらされた不安定な存在感覚。そうともいえるかも知れない。

断っておく。私は何も同窓会が楽しくなかったといいたいのではない。同級生たちとの再会を懐かしく思わなかったわけでもない。楽しかったか、楽しくなかったか。そう問われれば、間違いなく楽しかったと答えるはずだ。何しろ二十数年ぶりの再会である。再会に当たり、戸惑いや気恥ずかしさがわき起こって来なければ、嘘であろう。そういう意味では「楽しかった」とか「懐かしかった」といった言葉ではいい尽くせない複雑な思いがあることは確かである。居心地の悪さ、場違いな印象もいまだに引き摺っている。

同窓会とはいったい何なのだろう。なぜ人は同窓会に集うのか。どういう思いで集い、かつての恩師と再会するのだろうか。どんな顔をしてかつての仲間たちと顔を合わせるのだろうか。その問い掛けが頭から離れない。

ひょっとすると、私の問いは私だけのものなのかも知れない。写真を眺めていて気がついた。誰もそんな複雑な表情などはしていない。参加した誰もが小学生のときのような屈託のない笑みを浮かべている。あの日、あのとき、あなたはいったいどういう思いで同窓会にのぞんでいたのですか。一人一人に訊ねてみたいくらいだ。
posted by 乾口達司 at 00:12| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 同窓会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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