給水塔から南へ200メートルほど歩く。すると近鉄奈良線と交叉する跨線橋にいたります。
跨線橋を渡ったところにあるのが、この石碑。

ご覧のように「南無阿弥陀佛」と六字名号が刻まれています。
その下部には「大正七年」という文字も刻まれていますが、石碑が建立された年なのでしょう。
その横にも何やら文字が刻まれていますが、こちらは判読不能。建立者の名前が刻まれているのかも知れません。
石碑の前には台座のような平べったい石も置かれています。供物を供えるための石でしょうか。
場所は近鉄奈良線と大和文華館方面に抜ける車道(水色の橋の下を通ってます)に挟まれた狭い草地。古タイヤの残骸が草に埋もれていますが、それ以外は何もなし。石碑だけがポツンと立っています。
何か由緒がありそう。
詳しいことをご存知の方がいれば教えて下さい。
眼鏡橋たもとの石碑「南無阿弥陀傭」は橋から線路への飛び込み自殺者の供養碑
◦大正7年10月31日
午後7時過ぎ磐舟街道東方 富雄・あやめ池間で電車衝突
ポール外れて停車修理中 その後部に満員電車追突 死者2名重軽傷者40余名
私は電車事故の慰霊碑ときいていましたが、この記事をみると、自殺者の供養碑とあります。