2015年02月23日

後藤明生を読む会(第23回)

後藤明生を読む会(第22回)→こちら

昨日は後藤明生を読む会の第22回がもよおされた。今回のテキストは『四十歳のオブローモフ 』(文藝春秋/1972年刊)。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。その後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておく。

・『四十歳のオブローモフ』は1972年5月から8月にかけて「夕刊フクニチ」に連載されて、1973年8月、文藝春秋より刊行された。この1年間のインターバルは意外と重要ではないか。
・区切りは全部で100あるため、100回の連載であったことがわかる。平均すると、単行本で1回につき54行となる。最小の行数は34行、最大は99行でほぼ3倍である。連載後、書籍としてまとめられるにあたり、大幅な加筆や削除もおこなわれたと推定出来る
・内容は多岐にわたっており、単純なテーマで統一されているようではない。語り手の「人格」が語りの統合の中心にいるかどうかも良くわからない。したがって、今回は内容の細目を掲げた
・冒頭で気になるのは「シベリアを舞台にした小説」(p3)である。主人公の本間宗介はそれを「一大長篇」に仕立て上げたいと考えている。しかし、この作家は、作中、アルコール摂取には大いにつとめるものの、少しも小説を書こうとしているようには見られない。構想の一端が披露されているわけでもなく、その内容はおよそ書くこととは無縁の生活の細部に終始している。挙句の果てに「シベリアを舞台にした小説」が最終的にどうなったのか、さっぱりわからないまま、小説は幕を閉じる。あたかも、最初からそのような話などなかったかのように
・確かにシベリアの話は出て来る。最後には怪しげな「三文小説」まで姿を見せはするものの、そこから「一大長篇」の片鱗はうかがえない。「シベリアを舞台にした小説」の執筆のため、ベランダ越しに挨拶をする向かいの棟の夫人の「シベリアの思い出話」(p113)を聞きに行くか、行かないかを自問する際、「訪問しない現実」を選択する挿話も同様である。まるで宗介は「シベリアを舞台にした小説」から遁走しつつあるかのような様相を呈している
・そのこととの関わりで考えると「宗介の住んでいる団地からも、蒸発する人間はずいぶんいるらしい」(p13)、「林田夫人失踪の噂」(p15)、テレビ番組に出演した夫婦のなかで語られる「ときどきふらっと家出する」(p50)夫の癖、川口和子とのやりとりで交わされる「小説はね、あたしらしい女が行方不明になるわけよ」「いわゆるジョーハツというやつだな」(p193)、「それとも彼女は本当に行方不明なのだろうか?」(p198)、目の前から姿を消した息子と仔犬について「いったい、いつの間に消えてなくなったのだろう?」(p337)といった記述や官憲から逃走し続ける国定忠治(p307)の話、「控え室の背広のポケットのなかに忘れてきたメモ」(p317)など、行方不明になる人物や事物が作中にたくさん書き込まれている点は意味深である。「シベリアを舞台にした小説」もまたテキストのなかから「蒸発」「失踪」「行方不明」となってしまったものとしても読めるのではないか(その点を踏まえるとp337の「まさか!」は「まさか、また失踪!?」といった宗介の驚きを示した「またか!」と読み替えることも出来る)
・なお且つ、「宗介はふらりとただ家を出たくなったのだろうか」(p12)、「林田夫人は、わたしなのだ!」(p16)といった記述などを踏まえると、宗介自身が「蒸発」「失踪」「行方不明」に魅入られているとも考えられる
・以上の点を敷衍すると、宗介がもう一つ書きたいと願っているみずからの家族の「年代記」(p123)の結末もまた一家離散(失踪・故郷からの蒸発・行方不明)の物語ということになる
・故郷から「失踪」して互いに「行方不明」であるしかないものたちが作り出す関係の磁場こそ団地
・物語の最後に出てくる捨て犬のエピソードは二葉亭四迷『平凡』の「棄狗」のエピソードによったものだろう
・宗介のいうところの「平凡」とは「変動相場制」(p161)としてのそれ。たとえば、羽織袴の新調の話のなかで宗介夫婦が出した結論が「貸衣装」というのはいかにも「変動相場的」=変動平凡的であるといえる
・団地の内部より団地の敷地内に点在する施設に多くのまなざしが向けられており、それはこれまでに書かれて来たみずからの団地小説からの脱出をはかる外向きのベクトルが感じられる。そうであるからこそ、宗介は団地を離れて「旅」に出るのである
・「ある同業者が書いていた小説」(p304)とは山口瞳『仲人記』(初出は1970年/『むにゃむにゃ童子』角川文庫所収)
・「シベリアを舞台にした小説」とは実は『挟み撃ち』を念頭に置いたものではないか。その証拠に『四十歳のオブローモフ』が文藝春秋から刊行されるのは『挟み撃ち』刊行の2ヶ月前である。あたかも『挟み撃ち』の刊行を前提にして(照準にして)書籍化されたようであるとさえいえる
・「昭和四十八年七月某日」(p341)という奥付に記された日付が正しいものと仮定すると、初出に対する加筆・改良作業は『挟み撃ち』の執筆と並行する形でなされており、加筆・改良部分には『挟み撃ち』の構想が強く反映されているはず
・ちなみにその点を踏まえると「年代記」は『夢かたり』か?「年代記」というタイトルからイメージされる世界とは似ても似つかないが。
・仲人の話のなかで「平凡」「型通り」という言葉を強調すればするほどそれとは反対のグロテスクなものになってしまう滑稽さ
・披露宴シーンの滑稽さ
・常に相対化のベクトルをはらんだ家族との対話・やり取り

次回は、4月頃、テキストは『挟み撃ち』を予定している。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 19:27| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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