2014年08月06日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)

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『首塚の上のアドバルーン』では、首塚の見学に訪れた「私」が「首塚の石段の下の、ちょっと平地になった踊り場みたいな場所」の「首塚に向って左手のタブの幹に彫りつけてあった」という絵と文言についても言及している。幹には「B29」の絵と「行クゾ予科練/行ケヨ若鷲/戦時罹災記念/ニツクキB29/此ノ仇断ジテ撃ツベシ/神前ニ誓ウ/昭和二十年四月/ハラ十八才」という文言が刻まれていたという。しかし、この絵と文言は見つけることが出来なかった。以前、訪れたときも首塚の周囲を念入りに探索してみたものである。そのときもやはり見つからなかった。したがって、このエピソードは実話であるかどうかわからない。それにしても、突然、かつての戦争を喚起する絵や文言が登場することには驚かされる。そういえば、『首塚の上のアドバルーン』の後に出版された『しんとく問答』においても、説教節の主人公・しんとく丸の墳墓と伝わる鏡塚が戦時中の防空壕に見立てられていたものである。戦争とは何の関係もないような、いたって平穏な日常のひとコマに唐突としてこのような題材が登場する。後藤明生の小説の特徴の一つといえるかも知れない。(続く)
タグ:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:21| 奈良 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たまたま、幕張の堂の山(首塚のある山)の事を調べてたどり着きました。

記事に書かれている木への彫り物、正確な文言は忘れましたが木の幹に掘られていたのを見た記憶があります。
少なくともニックキB29は覚えています。

私が小学校六年生の時に学校のクラブ活動で訪れた際の話なので30数年前の事ではありますが現実に存在していたものです。
Posted by いいじま at 2014年12月18日 18:50
コメント遅くなりました。そうだったんですね。勉強になります。ご教示いただき、有難うございました。
Posted by 乾口達司 at 2014年12月20日 23:50
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