2014年04月26日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら

T氏からはほかにも資料をお見せいただいた。「記念誌」は昭和24年3月1日印刷・昭和24年3月20日発行。発行所は福岡県立朝倉高等学校で編集者は朝高文藝部。発行人は大山半平。印刷所は吉岡総合印刷所(福岡市船町6番地)。80頁から88頁の創作欄には後藤明生が本名の後藤明正名儀で「或る主義の青年」という小説を発表している。「或る主義の青年」は後藤明生の朝倉中学・高校・早稲田大学時代の先輩H氏の示唆により、すでにその存在は昨年から知っていた。T氏からはそのコピーも頂戴していた。しかし、それが収録された「記念誌」の実物を拝見するのは、今回がはじめてである。作品の末尾には「二十三・十二・二十四脱稿」という記載が見られる。昭和23年12月24日に脱稿したということであろう。「後藤明正」の上には「文藝部併三」という記述が見られる。これは文藝部に所属している「併置中学校」の3年生という意味。「併置」という言葉が、後藤明生を含む当時の中学生が学制改革の真只中に置かれていたことを指し示している。さまざまな「主義」を混在させた一人の青年の言動を描きながら、当時の後藤明生がそのパロディ=相対化をはかろうとしていたことがうかがえる内容である。脱稿の半年前に起こった太宰治の自殺に感化されたのであろうか、人生に対する絶望という「主義」に殉じて遺書を残し、自殺したかに見えた青年―その名は太宰治の本名「津島修治」を連想させる「真壁修二」―が語り手たちの前にひょっこり姿を現し、「僕はこれから大いに生きますよ。僕は生きる。そして貯金を続けて行くのだ」と宣言するというドンデン返しはいささか作り物めいているが、なかなか面白い。(続く)
ラベル:小説 後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:13| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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