2014年04月23日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら

私たちが次に向かったのは、朝倉高校の同窓会事務局である。同窓会事務局は朝倉高校の敷地とは道路を挟んだ向かいに位置している。出迎えてくださったのは事務局のT氏。T氏とは、これまで何度もメールのやりとりをして来たが、実際にお目にかかるのははじめてである。挨拶の後、幾つかの資料を拝見した。そのなかには写真の『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』もふくまれていた。発行兼編輯者は朝倉会(福岡県立朝倉高等学校同窓会)。昭和28年3月31日印刷・発行の非売品である。表紙に「昭和二十八年一月現在」と記されているように、昭和28年1月時点での卒業生の消息が一覧表として掲載されている。そのなかには、当然のことながら、「後藤明正」の項目もあった。後藤明正の住所は「埼玉県北足立蕨町大門町」となっている。所属は「英語塾」。昭和28年1月といえば、その前年に朝倉高校を卒業した後藤明生が大学受験に失敗し、浪人生として、関東の地で暮らしていた時期に当たる。「埼玉県北足立蕨町大門町」は『挾み撃ち』のなかで描かれる、あの「蕨」の街である。「英語塾」は慶応外語学校のことであろう。『関係』(旺文社文庫/1975・6)の巻末に付載されている「自筆年譜」1952年(昭和27)の項目には次のように記されている。「半年ばかり英語勉強のつもりで慶応外語学校へ通った。はじめ上級へ入ったが、いきなり西脇順三郎教授が現われ、シェリーだったかキーツだったかの話がはじまったのでおどろき、中級へ移してもらった。ここで習ったH・E・ベイツの短篇集はいまでもおぼえている」。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:54| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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