2014年04月08日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら

後藤明生の本名である「後藤明正」の名義で綴られた「五月の幻想」の前半5連は次のようなものである。

大東京の真中、ボクは迷子だ。
西洋の古いお伽話の家を、
子供が無邪気に、積木細工で真似たような
緑色の屋根。
そして淋しいことに、やっぱりその可愛らしい家の周囲にも、
大きい、生々とした空がないのだ。

こんなところもあったのだ。
ボクが思はず立ち止って、再び歩き出した そこの、
あんこのしぼり汁みたいな水が底の方で、
三そうの、灰色の小舟をやっと支へてゐる
その川の橋のたもとは、
確かに有史以前の世界に、
しかも二千年後の、金属と、加工品と 原始林の自然よりも
もっと原色的な世界を、あのテレビジョンよりも
もっと易々と眺めながら暮してゐる一群の人々のパオだった。

五時半、
得意そうにピースの煙を燻らせながら、
でっぷりと肥えた××国税庁の守衛は
蟹の甲羅のように、広い、とげだらけのゲイトを止ざす。

空間の印象を、ぎざぎざに刻んだ
赤いビル、白いビル。
その迷路を抜け切らずに、
戸惑った犬のように澱んでゐる空気は、
もう灰色に染ってゐる。

比類なく孤独な太陽の最后の一滴まで、
執拗に吸い取ろうとする街路樹の緑の触手。
その細長い影を踏みながら、大股に歩いて行くボク。
エヂソンのように首をかしげて……。
  あの、窓ばかりみたいなビルが、見る間に苔生したローマの城塞に変り、
  大勢の兵士の雄叫びと共に、今にもあの屋上から、五本の、陰うつな銃口が
  現れそうではないか……。

(以下略)

1連目の「子供が無邪気に」と「積木細工で真似たような」のあいだには、何やら、小さな書き込みのようなものが見られる。しかし、判読不能である。何かの文字なのか、ペン先が不用意に紙の上をなぞったために出来たものなのか、判断がつかない。文字であるとしたら「も」と読むべきだろうか。2連目の「あんこ」には傍点がつけられている。3連目の「止ざす」は「ママ」。正確には「閉ざす」である。5連目の「あの、窓ばかりみたいなビルが」以下の3行分はその他の行よりも2字ほど下から書きはじめられている。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:31| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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