2012年09月05日

出席停止。

東京都品川区では、いじめを繰り返す生徒を出席停止に出来る制度を、今後、積極的に運用していくという。いかなる理由であれ、生徒から義務教育の権利を奪う制度を教育委員会が主体となって運用するという状況に納得のいかない思いを持つものは多いだろう。もちろん、今回の決定は教育委員会としてもいじめを防止するための苦肉の策であったに違いない。しかし、いかに苦肉の策であろうとも、公教育が公教育の意義そのものを自己否定していることには変わりがない。何とも知恵のない方策を打ち出したものであると呆れてしまう。いじめを繰り返す生徒を出席停止にしたところでいつまでも出席停止のままにしておくことなどは出来まい。その生徒が出席停止を解除され、登校して来た暁にはふたたびいじめを繰り返す可能性があるのではないか。あるいは出席停止の措置を蒙りたくてわざといじめを繰り返すものも現れるかも知れない。出席停止中の生徒が家庭でどのような生活を送るのか。出席停止を良いことに街へと繰り出し、別の非行に走る可能性はないのか。その場合、教育委員会は責任をもってそれを防ぐことが出来るのか。学校にいるときよりもかえって彼らに対する目が行き届かないのではないのか。このように容易に予測出来ることに対して、教育委員会はどう考えているのであろうか。付け加えるならば、出席停止とは、すなわち、排除の論理である。いじめがつまるところ排除の論理にもとづいているという点を踏まえると、出席停止という措置そのものが排除の論理にもとづいたいじめなのではあるまいか。その点についての説明も是非とも拝聴してみたいものである。いじめを繰り返す生徒を出席停止にしたからといって、問題が解決するわけではあるまい。それは単なる問題の先送りに過ぎない。いじめを防止するにはまず必要以上に課せられている雑務に追われ、生徒とのあいだに距離が出来てしまっている現代の先生たちを解放してやることが先決である。先生たちの第一の使命である「生徒を正しく教え、導くこと」という原点に立ち返らせてやることが必要である。すなわち、校務という名の雑務から解放し、生徒と接する機会を増やしてやるべきである。登校時から下校時まで教室に張り付き、生徒に対して付きっ切りでさまざまなことを指導してやる。その間、生徒それぞれの喜怒哀楽にいたるまでその言動を事細かに観察し、ときには優しく、ときには厳しく指導する。そのことで教師と生徒とのあいだには信頼関係も生まれるのではなかろうか。そして、それはいじめの芽を早い段階で摘み取ることにもつながる。出席停止などという小難しく、面倒くさい措置を講ずるよりも前にいますぐにはじめられることはたくさんあるはずである。
ラベル:いじめ
posted by 乾口達司 at 22:49| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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