2012年08月20日

後藤明生を読む会(第11回)レジュメD

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E「口頭的構成法」―口語表現の特徴を文語表現に活かす=小説の可能性
『しんとく問答』が江戸時代に流行した名所図会の手法を取り入れた小説であることは「贋俊徳道名所図会」のような作品を読めば明らかである。実際、『しんとく問答』は現代版・大阪名所図会、パロディ版・大阪名所図会のような作品が仕上がっており、名所図会というかつて流行したジャンル、今風にいえば、一般の人にも馴染みのあるポピュラーな観光ガイドブックの形式を巧みに取り込み、パロディ化することで文学・小説の再生をはかっていこうという後藤明生の意図をうかがえる。それとは別に注目しておきたいのは、後藤明生が特に口語と文語、話し言葉と書き言葉との関わりに強い関心を持っていることである。そのことは「訳のわからない不思議な歌」について口語表現=「ダートー ベーイエイ」とそれを活字化した文語表現=「打倒米英」とを切断することで表現の多様性を確保しようとしていることからもうかがえる。「『芋粥』問答」や「贋俊徳道名所図会」は口語表現としての講演体形式で書かれている。作中には「タニヨン」「ウエロク」「ドーゲキ」といった口語表現がちりばめられている。さらに「しんとく問答」のなかでは山本吉左右の「説教節の語りと構造」や折口信夫「伝承文芸論」を引き合いに出しながら「口頭的構成法」に注目している。ここからは後藤明生がとかく文語表現よりも下位にあるものとして貶められがちに口語表現に注目し、その自由性・即興性を積極的に評価した上でそれらを現代の硬直化した文語表現に導入することで新たな日本語、新たな文学作品を創出したいと考えていたといえよう。「口頭的構成法」に対する積極的な評価は柳田國男の『昔話と文学』に言及した花田清輝の「柳田國男について」(『近代の超克』未来社/1959・12)からもいえる。「柳田國男について」は「口頭的構成法」(柳田のいうところの「説話の変化部分」「自由区域」)を、物語の受け手とその送り手とのダイナミックな相互変換の可能性にまで敷衍して語っている点において、「身毒丸が『信徳丸』を語る。『信徳丸』を語る身毒丸の誕生である。つまり『語り手』と『主役』の入れ替え=逆転である。『語られる信徳丸』と『語る信徳丸』の入れ替え=逆転である」と記す後藤明生の認識と共鳴している。さらに興味深いのは、口語表現の可能性が作者の意図を凌駕する形でとらえられていることである。そのことは「しんとく問答」の最後において「私」が「男の声」「女性の声」に翻弄されるシーンに表されている。「男」や「女性」という表記とは異なり、「男の声」「女性の声」という表記はあたかも発話の主体が「声」=口語そのものであるかのような印象を与える。「私」の相対化は組織=世界の迷宮性を表しているとともに作者の意図をもはるかに凌駕する「声」=口語の豊かさを表しているといえる。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:57| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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