2011年12月27日

後藤明生を読む会(第7回)

後藤明生を読む会(第6回)→こちら

昨日は後藤明生を読む会の第7回目がもよおされた。今回はいつもの研究会スタイルとは趣向をかえて文学散歩と忘年会をもよおした。文学散歩のコースとして選んだのは後藤明生『しんとく問答』(講談社)ゆかりの「俊徳道」である。午後2時に四天王寺・石の鳥居前に有志が集合した。そして、まずは四天王寺の境内を散策。石舞台や亀井堂などを見学した。その後、『しんとく問答』所収の「俊徳道」や「贋俊徳道名所図会」に描かれたコースを近鉄俊徳道駅まで歩く。「贋俊徳道名所図会」に登場する「五、六階建ての棟が建ち並んだかなり大規模な団地」「寺田町公園」「久保神社」を経てJR環状線の外側(生野区)へ。作中に登場する「狭くてひょろ長い路」=「幻の俊徳道」の候補地2箇所を見学して「生野俊徳橋」へと到着した。その間、小説には登場しない勝山古墳や舎利尊勝寺も見学。なかでも、言葉の不自由な子どもを持つ生野長者ゆかりの舎利尊勝寺は身体に障害を持つ俊徳丸親子とも何らかの関わりがあるのではないかということを連想させて興味深かった。「生野俊徳橋」を見学した後は、勝山通りを挟んで、対照的な位置にある俊徳橋を見学。同じ平野川に2つの俊徳橋がかかっているという現実は楕円の世界をこよなく愛する後藤明生にとっては格好の題材であったはずである。しかるに後藤明生は俊徳橋については一言も触れていない。したがって、「贋俊徳道名所図会」において、勝山通りの南側に位置する「生野俊徳橋」とその北側に位置する俊徳橋とが楕円の構造を作って登場することもない。「生野俊徳橋」を発見した後藤明生はもう一方の俊徳橋の存在を知らなかったのではあるまいか。私はそう結論づけておいた。まことに惜しいといわざるを得ない。その後、小説の語り手と同様、勝山通りを東へと進み、作中に描かれた「北巽小学校前バス停」「朝銀大阪信用組合東生野支店」「靴のマルワ・年中無休」「ガソリンスタンド」「かなり大きなマンション」「ロート製薬本社」を見学。時代の流れにより、すでにその存在が失われているものがあるのを確認した。北巽の交差点を北へと渡り、そこからさらに東へと進み「俊徳中学校」「布施警察署」の所在の有無を確認。近鉄俊徳道駅に到着したのは午後4時40分であった。終了後はJR俊徳道駅の高架下にある八剣伝へ。午後5時の開店とともに入店し、午後10時前まで呑み続けた。小雪のちらつく寒い日であった。猛烈に寒い日に文学散歩と忘年会に参加していただいた有志に感謝したい。次回の研究会は来年1月の予定。次回は『夢かたり』(中央公論社)について討議する予定である。
posted by 乾口達司 at 22:07| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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