2011年04月16日

岡山紀行(備前焼の里・伊部)

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岡山紀行(旧閑谷学校)→こちら
岡山紀行(備前市歴史民俗資料館)→こちら
岡山紀行(真光寺)→こちら

伊部は備前焼の里である。平安時代の終わり頃、須恵器の工人たちがこの地に移住して来たのが備前焼のはじまりであるという。先日も伊部の北西に位置する医王山の山麓で平安時代のものと思われる古窯跡が発見されて話題となった。桃山時代になると窯は大きく3箇所に集約されることとなる。現在、その3箇所に当たる南大窯跡・北大窯跡・西大窯跡は国指定史跡・備前陶器窯跡として保存されている。今回の旅ではこの3箇所の古窯跡を見学することが出来た。南大窯跡はJR伊部駅の南側・榧原山の北面に位置している。東窯跡・中央窯跡・西窯跡の三基の窯から形成されており、もっとも大きな東窯跡は全長約54メートル、幅約2.3メートル。西窯跡は全長約31メートル、幅約2.8メートルである。現在はその痕跡がかろうじて見られるに過ぎない。なかでも、関心を惹いたのは、窯跡の周辺に形成された幾つもの巨大な物原である。物原は製造工程で生じた破損品などを廃棄した場所。破損品が積もり積もって山のような状態になっている。いまではその山に土も堆積し、草木すら生い茂っている。表面には破損した無数の断片がちらばっており、実に荒涼たる光景である。それらは確かに商品価値を持たない破損品である。しかし、それが積もりに積もると、それ自体、ある種の価値や存在感を持ちはじめる。破損品にしか出せない深い味わいが見るものを圧倒するのである。これは実際に物原を見たものにしかわからない感動である。伊部を訪れた際、是非とも訪れて欲しい場所である。無数の破損品はJR伊部駅の北方側に位置する北大窯跡やJR赤穂線・山陽新幹線の北側で医王山の東麓に位置する西大窯跡でも見られた。ちなみに写真は南大窯跡の物原に転がっていたもの。灯明皿の破片であろうか。
ラベル:備前焼
posted by 乾口達司 at 22:17| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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