2010年08月26日

伊藤和『伊藤和詩集』5

伊藤和『伊藤和詩集』1→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』2→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』3→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』4→こちら

「百姓」や「土方」や「馬車挽き」たちと自分自身とを同質の存在として位置づけること。その強固な同質性が「高神村事件のときの詩」を生み出す原動力でもある。「高神村事件のときの詩」は1929年に起こった高神村農魚民蜂起事件を描いた一篇。「子供達は叩きこわされた役場や駐在所や山口藤兵衛の家を見に行き万才を叫んだ」「あとからあとから たくさん縛られて行く者の目がギロギロ光る/おとっさん!兄さん!」「部落の男はみんな犯人である/さあ、みんな犯人だ 縛って行け!」といった記述からは、自分もまた彼らの同志であるという伊藤和の思いが伝わって来る。伊藤和はここでも権力側と鋭く対立した「子供達」や「おとっさん」や「兄さん」といった「部落の男」たちと自分自身とを同じ存在として位置づけている。いいかえれば、書き手=伊藤和と書かれる対象=「部落の男」たちとが幸福な関係でもって結ばれている。私の好きな一文に「われわれはその手から断じて逃走しない そいつに逆流する逆流する」がある。「逆流」という言葉が舌を転がせるような粘り強さを感じさせ、文字通り、心の底から何かがせりあがって来るような印象さえ抱かせる。それが二度も繰り返されることによって伊藤和の戦闘的な精神の力強さをあますところなく伝えているといえよう。そして、そういった戦闘的な言葉が吐き出されるのも被抑圧階級である仲間に対する伊藤和の強い共感があるからこそである。他者に対する全幅の信頼と同質性に対する志向が伊藤和の世界を支える力の源泉にほかならない。
(続く)

伊藤和『伊藤和詩集』6→こちら
ラベル:伊藤和
posted by 乾口達司 at 23:26| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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