2009年04月30日

暉峻康隆『日本の書簡体小説』

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暉峻康隆の『日本の書簡体小説』(1943年8月、越後屋書店刊)は日本の古典文学における書簡体小説の流れをたどった論考である。リチャードソンの『パミラ』やラクロの『危険な関係』など、西洋の書簡体小説について触れた論考はこれまでにも何度か目にした。書簡体小説が三人称客観小説の成立する以前の文学形式であるという先学の指摘も知っている。しかし、日本の古典にも書簡体小説の系譜が認められるとは思いもよらなかった。私にとっては大きな収穫である。筆者は『堀川院艶書合』を書簡体小説の嚆矢として位置づけている。『堀川院艶書合』については何も知らない。筆者によると、「康和四年、堀川院が当時の宮廷歌人に勅して、男女を左右に分ち、四十八首の艶書を合わはさしめられたものである」という。平安時代後期におこなわれた歌合せの一種のようである。もちろん、これを書簡体小説の典型と見なすことは出来ない。書簡体小説が成立するためには、発信するもの(送り手)と受信するもの(受け手)とのあいだを書簡が行き来するための社会的=物質的な条件が必要不可欠である。事実、ヨーロッパにおいても、郵便制度が整備されてはじめて書簡体小説の成立が可能となるのだ。狭い宮廷内でのやりとりをもって書簡体小説と名付けることにはやはり無理があろう。筆者もそのことは自覚している。筆者は西鶴の『萬の文反古』を書簡体小説の最高峰として位置づけ、その卓越した技量を分析している。西鶴が如何に書簡体という形式に自覚的であったかを教えられた。『萬の文反古』のような作品を踏まえて書簡体小説の衰退した今日の日本文学に思いを馳せると、文学にはまだまだ試みるべき課題や形式がたくさん残っていることに気付かされる。
ラベル:小説 西鶴
posted by 乾口達司 at 22:51| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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