2009年02月22日

白毫寺町の宝蔵院一門の墓。

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宝蔵院は興福寺の子院。現在の奈良国立博物館西側付近にあったとされている。当時の井戸の痕跡が芝生のなかに残されている。「宝蔵院流鎌槍発祥之地」と記された石碑も最近になって建立されたようである。宝蔵院といえば、宝蔵院流槍術である。宝蔵院の覚禅房胤栄が猿沢池にうつる三日月を見て十文字鎌槍を思いついたことは良く知られている。宮本武蔵と対決したのは確か胤栄の跡を継いだ胤舜ではなかったか。歴史上、2人が実際に手合わせをおこなったのかどうかは知らない。しかし、物語やドラマでは宝蔵院十文字鎌槍との手合わせは武蔵を語る上で決して欠かすことの出来ないエピソードである。胤栄・胤舜をはじめとする一門の墓は興福寺の旧境内(奈良公園)から数キロほど南に離れた白毫寺町に実在している。はじめて訪れた時は虚構と現実とのはざまで引き裂かれるような奇妙な感覚をおぼえたものだ。武蔵に対して牙を剥く十文字鎌槍。瞼に浮んだその生々しい映像が忘れられない。
posted by 乾口達司 at 22:09| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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