2009年02月03日

アセンション?

オカルティズムや疑似科学には関心がない。霊の存在など信じない。いわゆる「百匹目の猿」の話も信じない。水に対して美しい言葉を投げかけると美しい結晶が出来る。これにいたっては馬鹿も休み休みにいえといいたい。しかし、何の因果か、仕事でたまにその種の文章を読むことがある。興味深いのは1990年代にはノストラダムスの大預言に関する言及が多かったことである。大預言は見事にはずれた。そのせいだろう。最近ではノストラダムスの「ノ」の字も語られなくなった。まったく現金なものである。しかし、近頃、「ノストラダムス」に代わって別の言葉が目に付くようになった。「フォトンベルト」や「アセンション」である。2012年12月23日、地球が「フォトンベルト」に突入する。その際、人類の遺伝子に劇的な変化が訪れて新たな進化の道が開かれる。もしくは三次元の存在である人類が五次元の存在になる。そのことを「アセンション」と呼ぶらしい。四次元(時間)をすっ飛ばしていきなり「五次元の存在」になるということが具体的にどういうことなのか、さっぱりわからない。しかし、「フォトンベルト」や「次元」といった科学用語や数学用語が使われているぶん、なるほど、ノストラダムスの大預言よりはいくらかは科学的である。もちろん、根拠に裏付けられた話ではない。単に科学的であることを装っているに過ぎない。1999年の次は2012年か。この種の終末論的あるいは他力本願的な発想には、いい加減、うんざりする。2012年に「アセンション」が起こるのかどうか、そんなことは知ったことではない。しかし、人に劇的な変化が現れる、すでにさまざまな分野でその兆候が現れていると主張したいのであれば、むしろこの種の終末論的あるいは他力本願的な言説を積極的に廃棄し、自分の力で生きることからはじめるべきではなかろうか。案外、そのような転換のなかにこそ「アセンション」の萌芽があるかも知れないではないか。私は「五次元の存在」には関心が持てない。「アセンション」や「五次元の存在」を待望するものたちは嘲笑するであろう。しかし、私には自分が三次元という特定の次元を生きているということ自体が不思議に思える。自分がいま、ここにこうやって存在していること。世界がこのような形で存在していること。そのことが神秘である。「アセンション」や「五次元の存在」を認めるものたちはみずからの主張を三次元の世界であるこの現実世界のなかでさかんに囃し立てているという矛盾をどう感じているのであろうか。2012年まであと3年あまり。地球が「フォトンベルト」に突入するという2012年12月23日が過ぎると、次はどのような「アセンション」が用意されているのであろうか。そちらの方にこそ私の大いなる関心がある。
posted by 乾口達司 at 20:37| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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