2009年01月13日

西大寺野神町の骨堂。

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西大寺中興の祖・叡尊(興正菩薩)の墓所を紹介したのは2008年4月26日の日記である。骨堂(こつんどう)は叡尊の巨大な五輪塔の西側に広がる墓地の一角にある。鎌倉時代末期から室町時代にかけて建てられたと考えられている納骨堂である。桁行1間・梁間1間・切妻造・桟瓦葺。五輪塔の形をした板塔婆を周囲に打ち付けて壁としている。内部には木製の五輪塔型納骨器が打ち付けられており、納骨器の他にもこけら経や小型の仏像、冥銭などが多数発見されたという。現在、納骨の習慣はない。しかし、その年に亡くなった一門僧侶の塔婆を打ち付ける習慣だけは残されているようである。真新しい塔婆が眼につく。その一方、文禄3年(1594)や寛永14年(1637)といった年記のある古い塔婆も残されているようだ。墓地の一角にあるせいだろう。見学するときはいつも私一人である。墓地には人っ子一人見当たらない。今回の訪問時も、寒空の下、私一人だった。建物の性格上、骨堂をしげしげと観察している自分自身が何かやましいことをしているようにさえ感じられる。叡尊の墓所を訪れたときには是非とも見学しておきたい。西大寺の葬送史を考える上でも珍しい建物である。
posted by 乾口達司 at 20:08| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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