2008年12月16日

アラン『文学語録』

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アランの著作は学生時代に良く読んだ。いまでもたまにページをめくる。思わず真似をしたくなるような文章である。しかし、実際には決して真似が出来ない。アランにしか書けない魅力的な文章である。片山敏彦訳の『文学語録』(昭和10年11月/創元社刊)を東京の古書店で買い求めたのは大学院生のときである。先日、仕事の関係もあって久し振りにページをめくった。

良い小説とははたしてどんな小説であるかを言ふことは容易でない。これに反してわるい小説はいづれも大体相似たところがある。これらは鋳型にはめて作られたやうなしろものである。人の気に入らう・人をびつくりさせてやらう、とする目的で作がまとめられてゐる。風俗や勤労の場面、挙姿、動作、衣裳、その場の彩りや形、方言と廃語との使用。比喩の陳列的な濫用。無益なまじなひ。何一つ本統に顕現して来ない。これは絵本みたいな世界だ。単なる絵姿では何にもならぬ。

第73章の冒頭の一節である。仕事柄、私も他人の書いた小説を読む機会が多い。私が辟易するのもこの点である。「鋳型にはめて作られたやうなしろもの」の何と多いことか。奇を衒うことでかえって型にはまった陳腐な作品ばかりである。なぜかくも似たり寄ったりなのか。私にはこれらの作者が独創性という言葉を履き違えているように思えて仕方がない。「絵本」は、所詮、物語である。断じて小説ではない。「絵本」=物語と小説とはどこがどのように違うのか。『ドン・キホーテ』がなにゆえに近代小説の祖と呼ばれているのか。カフカやジョイスが物語作家ではなくて小説家なのか。アランのいうとおり、確かに「良い小説とははたしてどんな小説であるかを言ふことは容易でない」。しかし、「良い小説」がどのようなものなのかを知るためにも、差しあたり、物語と小説との違いについて考えをめぐらせてみるのも一計であろう。『文学語録』をひもといて好き勝手な空想をめぐらせる。文学の醍醐味である。
ラベル:小説 文学 アラン
posted by 乾口達司 at 22:33| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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