2008年12月02日

司馬遷『史記』

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司馬遷の『史記』は愛読書の一つである。大学生のとき、武田泰淳の『司馬遷―史記の世界』を読んだ。そのことがきっかけで生まれてはじめて『史記』をひもといた。それ以来、繰り返し読んでいる。これほどおもしろい歴史書はそうあるものではない。写真の『史記』(岳麓書社出版/2001年2月)は中国・西安の書店で買い求めた。もちろん、日本語訳ではない。しかし、相手は漢文である。ゆっくり読み進めるとおおよその意味内容はつかめる。日本語訳にはない迫力が各所に漲っている。例えば、始皇帝の死について触れた一節では、巡遊の最中に歿した始皇帝の腐敗臭をまぎらわすため、次のような措置がほどこされたと記されている。「載一石鮑魚、以乱其臭」。すなわち、始皇帝の遺体を運ぶ車に一石もの塩漬けの魚を乗せて、皇帝の遺体が放つ腐敗臭をまぎらわせたという。「載一石鮑魚、以乱其臭」。これが数百年も続いた春秋戦国時代を終わらせ、中国全土をはじめて統一した絶対君主の末路である。「臭」という一字が強烈なインパクトを放っている。そのことにわれわれは眼を向けなければならない。あらゆる権力を掌握した始皇帝といえどもみずからの死からは逃れられない。そして、ひとたび命を失えば、万人と同様、その遺体からは強烈な「臭」が発散される。そして、その絶対君主の死は車に詰め込まれた「一石鮑魚」の「臭」によって徹底的に相対化されているのである。何と冷徹な認識であることだろう!何と痛烈なリアリズムであることだろうか!歴史家としての司馬遷の眼がきらりと光る一文である。同様の眼はいたるところに息づいている。「太史公曰」以下の批評文だけに司馬遷の眼が光っているのではない。『史記』におさめられたあらゆる文章が司馬遷の壮大な批評=現実批判として成り立っているのである。私にとってはかけがえのない一冊である。
posted by 乾口達司 at 22:06| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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