2008年09月18日

小学校の同窓会追記事項2

9月17日の日記の続きである。遠泳では一人の落伍者も出なかった。そのように記憶している。事前に聞かされていた話では、和田海水浴場の東の端から西の端までの距離は1キロメートル。したがって、私たちは1キロメートルの距離を泳いだことになる。良くがんばった!遠泳を終えた後、先生方からはそういったねぎらいの言葉をいただいた。その日の夜は宿泊先である青戸園の庭でフォークダンスや花火大会などをもよおしたように思う。臨海合宿最大のイベントを無事に終えた私たちは達成感に満ちあふれ、大いに騒いだものである。しかし、衝撃的だったのは私たちが泳いだ距離が先生方から聞かされていたよりもはるかに短かったことである。今回、本稿を綴るに当たり、念のために地図で実際の遠泳コースを確認してみた。すると東の端から西の端まで500メートルほどしかない。そのことに気付いた。私たちの泳いだコースを沖の方へ向けて極端に張り出したとしてもせいぜい700メートルである。これには驚かされた。私たちは先生方の話を信じてすっかり1キロメートルの距離を泳ぎ切ったと思い込んでいた。公式=1キロメートルと現実=700メートル。この落差をいったいどう解釈するべきだろうか。遠泳という一大イベントを成し遂げた私たちに対する先生方の思いやり。そのように受け止めておくべきなのか。それが大人として成長した私たちの先生方に対する礼儀なのであろうか。とにかく今回の発見は非常に大きなショックだった。ショックといえば“命綱”の仕組みも同様である。遠泳の際、私たちは腰に長い“命綱”を巻いた。もしも溺れそうになったとき、ボートで併走する先生方が溺れそうになっている生徒の腰に巻かれた綱をつかむ。そして、ボートの上まで引き上げる。救助のための“命綱”である。問題は個々人が腰に巻きつけた“命綱”が一つにつながっていたかどうかという点である。それぞれの“命綱”は別の長い一本の“命綱”に結び付けられていたはずである。すなわち、私たちはボートで伴走する先生方に手綱を握られた鵜のような状態で遠泳をおこなった。私はすっかりそう思い込んでいた。しかし、先日の同窓会の席上、そのことを話すと何人かの同窓生からきっぱり否定された。男からも否定された。女からも否定された。“命綱”はつながっていなかった。一人一人の“命綱”がお互いに連結することなく水面を漂っているだけだった。彼らはそのように主張した。これには参った。小学校の同級生MTと自宅で“家呑み”を楽しんだのは7月19日である。そのときにも当時の遠泳体験が話題に上った。MTは“命綱”の存在を忘れていた。私は自分の記憶する“命綱”の構造を得意になって喋った。そして、MTの忘却をさんざんやり込めた。そのときのことは7月20日の日記に記した。7月20日の日記では「そのことを話すとMTはひどく驚いていた。いま明かされる衝撃の真実。そういったところだろうか」と皮肉交じりに綴っている。しかし、「いま明かされる衝撃の真実」は私にも当てはまる。“命綱”の存在を忘れていたMTをやり込めた私自身も“命綱”の仕組みをすっかり誤解していたのである。五十歩百歩とはまさしくこのことである。MTに申し訳ない。先日の同窓会にMTは出席していなかった。次回、MTに会ったら謝っておかなければならない。記憶とは不思議なものだ。記憶が迷宮としての魅力をたたえていることをあらためて認識させられた。
posted by 乾口達司 at 19:05| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 同窓会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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