2008年08月21日

堺市の大仙公園。

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南海堺東駅に降り立ったのは午後2時過ぎだった。まずは大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)の見学である。後円部の西側から外堀沿いに歩いた。シュンはあまりの大きさに驚いていた。正面の拝所までやって来た。シュンは持参した画用紙を広げた。色鉛筆で大仙陵古墳の姿を写生するつもりである。ところが、ここでトラブルが発生した。シュンが画用紙に絵を描きはじめようとしたときのこと。いずこから姿を現したのであろうか。ボランティアの観光ガイドがわれわれに対して親しげに話し掛けて来た。どこから来たのか。堺にやって来たのははじめてか。「仁徳天皇陵」を見てどう思ったか。質問攻めがはじまった。シュンは絵が描けずに困っている。明らかに不愉快な表情を浮かべている。堺には何度もやって来ている。大仙陵古墳も何度か見学に来ている。わざわざ案内してもらわなくても結構である。ガイドにそう伝えた。するとガイドはシュンにターゲットを絞りはじめた。この古墳は第16代・仁徳天皇のお墓である。エジプト・クフ王のピラミッド、中国・秦の始皇帝陵と並ぶ世界三代陵墓の一つである。後円部には長持型石棺が埋葬されている。前方部にも石室が設けられている。「仁徳天皇陵」から出土したと思われる鏡や太刀がボストン美術館に収蔵されている。その他、その他、話はいつまでも尽きない。しかし、古墳の何たるかもわからない弱冠9歳のガキに「長持型石棺」や「ボストン美術館所蔵」や「倭の五王」といってもわかるはずがなかろう。実際、後からシュンに訊ねてみた。シュン曰く、何をいっているのはさっぱりわからなかった、とのこと。しかし、こいつは子どもの困惑などお構いなしである。姦しい話は延々続けられた。炎天下である。シュンはいつしか地面に腰をおろしていた。足を投げ出してぐったりしていた。ガイドの話に適当にうなずきながら、時折、小石を投げたりして遊んでいた。子どもにはつらかろう。ガイドは私たちをすぐ近くの観光案内所に連れて行きたがった。案内所にはクーラーも設置されている。無料のパンフレットもたくさん用意している。涼しい場所でゆっくり話をさせて欲しい。ガイドはそういった。とんでもない話である。案内所などに連れて行かれたら、私たちはいつまでたってもそこから抜け出せないはずである。先方に悪意があるわけではない。それはわかっている。しかし、こちらにも時間の都合というものがある。正直にいおう。ありがた迷惑である。いい加減うんざりした私は途中でガイドの話をさえぎった。そして、シュンの手を引いてさっさと堺市博物館へ向かった。シュンは絵を描けず仕舞いだった。大仙陵古墳の拝所付近で同じような体験をした人は多いのではなかろうか。腰を落ち着けて絵を描けないだけではない。大仙陵古墳の被葬者は本当に仁徳天皇なのか。それとも別の大王なのか。被葬者はなぜこのような巨大な古墳を作ろうと考えたのか。そして、それはどのようにして作られたのか。どれほどの数の民衆がどのような思いで古墳の建造に関わったのだろうか。そういった悠久の歴史にめいめい思いを馳せる。ここではそんな歴史愛好家のささやかな楽しみも許されないようだ。百舌鳥古墳群の魅力を県外の人々に広く伝えてゆきたい。堺ならではの貴重な歴史遺産の価値を県外の人々にも知ってもらいたい。一般論としては郷土愛に根ざしたそのような思いに共感をする。ボランティア精神も大いに結構である。しかし、現実にはそれを姦しい、はた迷惑であると感じる観光客もいることを忘れないで欲しい。堺市博物館に入館した。ところが、こちらにも別のボランティアガイドが私たちを待ち構えていた。受付嬢が私に訊ねた。ボランティアガイドの説明を受けられますか。断固拒否します。すぐさま答えた。シュンはガイドにつかまっていたときとは人が変わったように活き活きしていた。大仙陵古墳や百舌鳥古墳群を上空から撮影した航空写真を指さしてさまざまな質問を発した。大仙陵古墳および百舌鳥古墳群の魅力は私が教えた。ボランティアガイドよりも詳しく説明してやった。
posted by 乾口達司 at 23:46| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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