2008年06月28日

西大寺宝ケ丘の伝・称徳天皇山荘跡。

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実家へ帰った。頻繁に利用する近鉄奈良線沿線ルートを歩いた。奈良自動車学校の前を通り過ぎた。坂を下ってゆくとT字路に突き当たる。T字路を左へ折れると、踏み切りを越えて吉田病院方面へ。右に折れると、伏見中学校を経て大和西大寺駅へ到達する。いつもはT字路を右へ折れる。伏見中学校を横目に見ながら歩いてゆく。しばらくすると大和西大寺駅へ到着する。しかし、今日は寄り道をした。T字路を左へ折れた。左へ折れてすぐの脇道を右折する。なだらかな坂が終わると、アパートや防衛省の官舎が立ち並ぶちょっとした高台になる。以前、このあたりの発掘調査で宮殿風の建物群が発見されたようである。奈良時代後半に造営されたものであるという。1937年にはやはり付近から開基勝宝が31枚も発見されている。宮殿風の建物群は長岡京遷都とともに廃絶。跡地は墓地として利用されたようだ。そのことは9世紀のものと思われる灰釉陶器の骨蔵器や2基の火葬墓が発見されていることからうかがえる。鎌倉時代に記された『西大寺領之図』や『西大寺与秋篠寺堺相論絵図』には、この付近を指すと思われる「本願天皇御山荘跡」という表記が見られる。元禄11年(1698)に制作された『西大寺現存堂舎絵図』にも「本願山荘」という記述が見られる。「本願山荘」のあたりには数多くの礎石が散らばっている。宮殿風の建物群を支えていた礎石であろうか。「本願天皇」とは西大寺を創建した称徳天皇のこと。「本願天皇御山荘跡」や「本願山荘」という表記から推察すると、このあたりに称徳天皇の山荘があったようだ。細い砂利道が防衛省官舎の敷地とその南側の竹薮とのあいだをぬうように走っている。細い砂利道を東へと向かう。砂利道は次第にゆるやかな下りとなる。突き当たりを右折してすぐのところに石碑が建っている。石碑には「史跡西大寺境内」と刻まれている。昭和40年6月に建立された石碑のようである。石碑の背後は池である。雑草が生い茂っている。そのために水面を確認することは出来ない。先に紹介した絵図でも「本願天皇御山荘跡」「本願山荘」の南側に池が描かれている。石碑の背後の池はどうやら「本願天皇御山荘跡」や「本願山荘」に付随した苑池の名残であるようだ。さらに道なりに50メートルほど進む。安井歯科診療所の横で車道とぶつかる。目の前は伏見中学校である。奈良自動車学校東側のT字路を右折する道と合流したことになる。西大寺は良く知られている。しかし、伝・称徳天皇山荘跡とその苑池跡はほとんど知られていない。実にもったいないことである。
posted by 乾口達司 at 00:07| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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