2008年06月18日

ゴンチャロフ『日本渡航記』1

ゴンチャロフはロシアの作家である。ゴンチャロフといえば、誰もがその代表作として『オブローモフ』を思い浮かべるだろう。『オブローモフ』は大学生のときに読んだ。オブローモフのような人生を送りたい。当時は夢のようなことを思っていたものである。今回、必要に迫られて読み返したのは『オブローモフ』ではない。『日本渡航記』(岩波文庫/1941年11月/岩波書店刊)である。『オブローモフ』の作者は幕末の日本にやって来ていた。その事実を知るものは決して多くはないはずだ。ゴンチャロフが日本に開国要求を突きつけるプチャーチンの秘書官として日本にやって来たのは1853年。アメリカのペリー艦隊より遅れること1月半のことだった。プチャーチン艦隊は、7月、長崎に来航。年末にはふたたび来航し、幕府から派遣された筒井政憲・川路聖謨らと交渉を重ねる。『日本渡航記』では、交渉の具体的なやりとりはほとんど記されていない。代わりにゴンチャロフが日本滞在中に遭遇した出来事や所感がユーモアたっぷりに綴られている。開国要求に対する返答がなかなか届かない状況に「役人達は奉行に聞かねばならぬといひ、奉行は江戸の将軍に伺ひ、将軍はミヤコの天子ミカドに奏聞するといふ。いつになつたら返答が来るか、宜しく御想像を願ふ次第だ!」(井上満訳)と憤慨する一節などはカフカの世界を連想させておもしろい。ロシア人にとって遅々として進まない日本側との交渉はカフカ的な不条理そのものであったに違いない。不条理といえば、次のエピソードも興味深い。

九月の五、六、七日には毎日御検使がやつて来て、我々の訪問の儀式について打合せを行つた。こんな時諸君はヨーロッパでなら、行くか行かぬかといふことを交渉されるだらうが、ここでは我々は坐るか坐らぬか、立つか立たぬかの問題を、それから何の上にどんな風に腰を下ろすかといふやうな問題を、幾日も幾日も議論したのである。日本人達は、日本流に畳の上に足を曲げて坐ることを提議した。両膝を折つて、それから踵の上に尻を下ろす――これが日本式の坐り方である。やつて見たら、どんなに工合がよいかすぐ判る。とても五分ともてるものではない。ところが日本人は何時間でもさうして坐つてゐるのだ。私達はそんな風には坐れないが、奉行さんは我々の流儀で、安楽椅子におかけになつては如何です、と云つてやつた。だが日本人も我国流に腰をかけることは出来ないのだ。こんなやさしいことはないのに、慣れないために足が痺れるのである。

「開国」という大問題を前にして「坐るか坐らぬか、立つか立たぬか」「何の上にどんな風に腰を下ろすかといふやうな問題」を議論することは確かに不条理で滑稽であろう。しかし、「坐るか坐らぬか、立つか立たぬか」「何の上にどんな風に腰を下ろすかといふやうな問題」は文化や習俗あるいは価値観を異にする外国人と接するときには避けて通ることの出来ない問題である。その点ではゴンチャロフの批判はいささか一方的であるといわざるを得ない。ロシア人には「坐るか坐らぬか、立つか立たぬか」「何の上にどんな風に腰を下ろすかといふやうな問題」を延々議論する日本側の態度が不条理でバカバカしいものに見えただろう。しかし、日本人にはいきなり来航し、開国要求を突きつけるロシア人の態度こそ不条理なものに見えたはずだ。両者のズレは文化や習俗あるいは価値観を異にする他者と遭遇し、相対することがそもそも不条理で滑稽なことであることを透視している。当時の日本人が椅子に腰をかけると足が痺れたという指摘も興味を誘う。私の祖母もしばしば椅子の上で正座をする。正座をしながら食事をしたり、新聞を読んだりしている。椅子の上に正座をする方が足をだらりと垂らすよりも落ち着くのだという。プチャーチン艦隊の来航から百五十年。ゴンチャロフが祖母の坐り方を目撃したら、やはり不条理で滑稽なものと受け止めるのであろうか。結局、プチャーチンやゴンチャロフらは椅子に、日本側は畳の上にそれぞれ坐って会見にのぞんだようだ。上役の命令を「へ、へ、へ」と承る下級役人たちの様子も戯画化されている。通訳の吉兵衛は特にユーモアたっぷりに描かれている。実に愛すべきキャラクターである。
posted by 乾口達司 at 00:51| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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