2008年06月12日

小泉八雲『明治日本の面影』

『神々の国の首都』を読んだのは今月初旬だった。感想は6月4日の日記に記した。『明治日本の面影』(講談社学術文庫/1990年10月/講談社刊)も読んでみた。「日本海の浜辺で」や「伯耆から隠岐へ」は『神々の国の首都』を受け継いだ魅力的な紀行文である。「日本海の浜辺で」では「鳥取の布団」という昔話に感銘を受けた。内容は一種の怪談である。しかし、同時に物悲しい哀話でもある。怪談と哀話との組み合わせは日本独特のものなのであろうか。そんなことをふと思った。「伯耆から隠岐へ」では、隠岐へ向かう汽船“蒸気”の船内を描いたシーンがおもしろい。“蒸気”に乗り込んだハーンたち一行はハーンが「地獄の回廊」と呼ぶ「高さ四フィート幅二フィートほど」の「重苦しい天井の通路」をくぐり抜ける。「恐ろしくぎゅうぎゅう詰め」の「地獄の回廊」を抜けた先には一等船室が設けられていた。ところが、一等客室もすでに満杯である。乗客たちが床を埋め尽くすように身を横たえている。「船室の港側の扉が開いているのを見て、私は身体や手足がもつれあっている上を――そのなかに芸者の美しい足もあったが――一歩一歩跨ぎ越すとすぐ、屋根のあるもう一つの通路に出た」。しかし、「もう一つの通路」もまた天井まで高く積み上げられた「うごめく鰻を入れた籠」や「狂ったように鳴く、けたたましい声」の「不幸な雛鳥の入った籠」や大量の西瓜に占拠されている。さらに“蒸気”そのものが牙を剥く。

船が耳をつんざく汽笛を鳴らして動き出した。とたんに煙突が私の上に煤を雨と降らせ始めた。いわゆる一等船室はずって船尾にあって、煤が混った小さな燃え殻が飛んできた。燃え殻には時に赤く火がついていた。しかし私はしばらく、日に焼かれて、雛鳥を襲撃せずに位置を変える方法はないものかと思案していた。とうとうたまりかねて、この火山の風下へ行き着こうと決死の努力をしたが、やってみて初めて、この「蒸気」の特異なところを知ることになった。腰をおろそうと思ったものがひっくりかえるし、しっかり身体を支えるはずのものがすぐに頼りなく、決まって船外の方に横滑りをした。見たところかすがいで留め、締め金でしっかりと固定されているはずのものが、用心して試してみると、危っかしいほどぐらつく始末であった。西洋的な考えだと動いてもよさそうなものが、動かざる山のごとくびくともしない。あらゆる方向に綱や支索がのびていて、まさしくここは、いつだれを不幸な目に合わせても不思議はないところである。こうした試練の最中に、この恐るべき小船は揺れ始め、西瓜が一斉にごろごろ前後に転がり始めると、この「蒸気」は悪魔に設計建造されたとしか思われなかった。(平川祐弘訳)

「蛍」も興味深く読んだ。いまはまさしく蛍の季節である。「出雲再訪」はなくてはならない一篇である。出雲の老若男女や山川草木に日本の古き良き時代の姿を見た『神々の国の首都』所収の各篇と「しかし結局のところ、一度愛し棄て去った土地をふたたび訪ね、無傷でいることはできない。何かが失われていた。何か目に見えぬもの――その不在こそが、私の胸中の漠たる悲哀の源なのだ」「失われた魅力とは私自身の人生から消えうせてしまったもの――初めて心に焼きついた日本の幻影にまつわる何かなのだろうか」と記す「出雲再訪」とがお互いを相対化し合っている。それが西洋人=ラフカディオ・ハーンと日本人=小泉八雲という両義的な側面を浮かび上がらせる役割を果たしている。「英語教師の日記から」では、教え子たちがハーンのもとを訪れるシーンが印象に残った。師弟のあいだのこういった交流はいまではもう見られなくなったのではなかろうか。志田と横木が亡くなるシーンも忘れられない。医療の体制がいまだ整っていなかった時代である。そのレベルもまだまだ低い。病で命を落とす青年が現代では考えられぬほど多かった。そのことにあらためて強い衝撃を受けた。衝撃といえば、後註(41)の記述にも驚かされた。後註(41)にはこう記されている。「なおハーンが『本殿参入を許されたのは本当か?』については遠田勝氏が『神社新報』平成元年十二月六日号で疑義を呈している」。ハーンは出雲大社本殿への昇殿を許された。すっかりそう信じ込んでいた。「神社新報」を読んでみたいと思った。
posted by 乾口達司 at 22:13| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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