2020年03月14日

土筆採集。

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所用で桜井市におもむいた際、某所で土筆の群生を発見した。土筆が芽吹くと、春を感じる。しかし、その出現は例年より一週間ほど早いような気がするが、大阪在住者に訊ねたところ、やはり生駒山地の西麓ではもう出現しているとのこと。今年は暖冬のせいで例年より早いのだろうか。そういえば、モクレンも花を咲かせている。あまり栄養が行き届いていないのだろうか、ひょろ長い土筆がたくさんであった。あいにく胞子を放出させてしまっており、幼少の頃より「脳みそ」を思い起こさせて来たその頭頂部が茶色くなっているものが多かった。それでも採集し、帰宅。ハカマをむくのに苦労した。明日はこれで何を作ろうか。
posted by 乾口達司 at 22:19| 奈良 ☁| Comment(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「医療崩壊」

新型コロナウイルスの世界的な流行に際して、韓国やイタリアでは軽症者までふくめて検査を徹底した結果、「医療崩壊」を起こしているといった話が流布している。「医療崩壊」という言葉、はじめて耳にした。軽症者までふくめて検査を徹底したために重症者を治療することが出来ず、医療の本来の目的が達せられていない状態のことをいうのであろう。しかし、それをいうのであれば、検査を断られた挙句、自宅待機のうちに死亡し、後で検査をしたら陽性反応の患者であったという国内在住の日本人の事例はどう説明するのであろうか。これこそ「医療崩壊」の一例ではなかろうか。毎年、この時期は肺炎で亡くなる高齢者も多い。検査もされていない現状では、死因が一般的な肺炎なのか、それとも新型コロナウイルスによって引き起こされた肺炎なのかもわからず、前者としてあつかわれている死亡者も多いはずである。検査をおこなうことによってわかることは多い。検査によって、現在、国内にどれだけの感染者がおり、そのうち、重症者がどれだけの割合を占めているのか、その数値を具体的に把握することが出来るようになる。それによってどのような対処をおこなうべきか、判断することも出来るようになる。そして、それにもとづき、重症者の収容場所をどこにどれだけ確保することが必要なのかを推計することも可能となる。こんなことはわざわざ書くようなことでもない。当たり前のことである。一方、検査の結果、たとえ軽症者であったとしても、自分が陽性反応であったことを自覚すれば、たいていのものは他者に感染させてはいけないと思い、積極的な行動を控えるはずである。自分自身の状態を客観的に認識するだけでも、感染の拡大防止につながるのである。自分自身を客観的に認識することは意外と難しい。それを認識する契機となるものこそ、具体的な「他なるもの」である。この場合は検査や医師の診断ということになるが、検査を受けられないということは、個々人が「他なるもの」によって自分自身を客観化する契機を奪われていることを意味する。こんなことが行政主導でおこなわれているのである。他国の状況を「医療崩壊」という言葉でもって批判しているものの方こそ、自分たちの住まう国の現状が医療の分野にとどまらず「崩壊」している現状を客観的に認識したくないのではなかろうか。「医療崩壊」を食い止めようと試行錯誤している他国を批判し、嘲笑するばかりで自分たちの身のまわりの現実を直視せず、ただただ怖がっているだけのものに未来など開けない。
posted by 乾口達司 at 09:19| 奈良 ☁| Comment(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする