2020年03月28日

後藤明生を読む会(第43回)開催延期のお知らせ。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、4月4日に予定していた「後藤明生を読む会」(第43回)の会場である「西宮市立公民館」の閉鎖期間が延長されました。残念ながら、実施が再度延期となります。次回の実施予定日時は5月以降。詳細はあらためて告知します。
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2020年03月26日

韓国・慶州紀行(良洞民俗村➄)

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公孫樹はすべて葉を落としていた。アヒルの足のような形をした黄色い葉はすべて地面に落ちていた。葉のあいだにはたくさんの銀杏も顔をのぞかせていた。しかし、裸木も良いものである。あたたかい日だった。
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2020年03月24日

韓国・慶州紀行(良洞民俗村C)

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「孫宗老旌忠碑」は、丙子の乱(1636年〜1637年)で戦死した孫宗老の忠節をたたえた石碑。銘文が刻まれた本体と笠の部分との石材が異なるのはどういうわけだろうか。
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2020年03月18日

後藤明生を読む会(第43回)のお知らせ。

2009年の年末以来、大学時代の同窓生たちと内向の世代の小説家・後藤明生(1932年〜1999年)をめぐる勉強会を立ち上げようと話し合って来た。これまでに何度も会合を重ねた。そして、2010年8月29日に第1回の読書会をもよおすことが出来た。以後、勉強会を重ねて来ている。今回は、当初、3月7日に予定されていながら、新型コロナウイルスの流行によって延期となっていた会の延期開催分となります。今般の状況次第では、再度、延期になることもあり得ますが、その際は早急にご連絡します。興味のある方はいらっしゃって下さい。

■第43回後藤明生を読む会の御案内
2009年の暮れから有志で集まり、内向の世代の文学者・後藤明生の評論集を制作・刊行してみようと話しあってまいりました。それに先立ち、後藤明生の文学をより深く理解するため、これまでに「後藤明生を読む会」を企画・運営し続けております。後藤作品について共同で討議をするなかでお互いの認識と協同性を高めあい、後藤明生論集を執筆・刊行してゆく道筋をつけていければと考えております。特に発表者と聞き手とが相互に入れ替わることで各人がテクストの読み手であると同時に書き手であるという相互変換的な存在へと成長していければと願っております。さて、来る4月4日、第43回の「後藤明生を読む会」をもよおします。今回も、前回に引き続き、有志の後藤明生論についての合評会を予定しております。参加資格などは一切ありません。興味のある方はいらっしゃって下さい。

日時 2020年4月4日(土)13:00〜17:00
場所 プレラにしのみや6階和室(兵庫県西宮市高松町)
テーマ 有志の執筆した論文の検討など
会費 300円程度(会場使用料を参加者人数で割ります)
その他 終了後、某所で懇親会をおこないます(会費は別途)
会場は「GSW読書の会」として確保しています
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2020年03月17日

韓国・慶州紀行(良洞民俗村B)

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写真は古くより朝鮮半島で普及していたオンドル用の煙突である。日本では滅多にお目にかかれない。
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2020年03月16日

韓国・慶州紀行(良洞民俗村A)

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軒先には、ご覧のように、柿を吊るしている家屋もあった。ほかにも、大根の葉でろあうか、根菜類を干しているところもあった。そのなかにはあれはいったい何を吊るしているのかわからないものもあった。何やら立方体の茶色いものである。それが縄で結わえられ、数珠つなぎになって吊るされていた。その正体は味噌玉。しかし、その正体が判明するのは、日本に帰国した日のことである。詳細はあらためて記す。
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2020年03月15日

韓国・慶州紀行(良洞民俗村@)

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世界遺産・良洞村(良洞民俗村)は、朝鮮王朝時代、両班であった一族によって形成された村である。驚いたことに、村には現在も彼らの子孫が暮らしていた。藁葺き屋根の家屋が立ち並んでおり、ここが裕福な暮らしを送って来た一族の住まう地であったことがしのばれる。この日は午前中から夕方まで半日かけて村内をゆっくり散策した。時間をかけてのんびり散策するのに適したところである。お天気も良かった。
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2020年03月14日

土筆採集。

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所用で桜井市におもむいた際、某所で土筆の群生を発見した。土筆が芽吹くと、春を感じる。しかし、その出現は例年より一週間ほど早いような気がするが、大阪在住者に訊ねたところ、やはり生駒山地の西麓ではもう出現しているとのこと。今年は暖冬のせいで例年より早いのだろうか。そういえば、モクレンも花を咲かせている。あまり栄養が行き届いていないのだろうか、ひょろ長い土筆がたくさんであった。あいにく胞子を放出させてしまっており、幼少の頃より「脳みそ」を思い起こさせて来たその頭頂部が茶色くなっているものが多かった。それでも採集し、帰宅。ハカマをむくのに苦労した。明日はこれで何を作ろうか。
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「医療崩壊」

新型コロナウイルスの世界的な流行に際して、韓国やイタリアでは軽症者までふくめて検査を徹底した結果、「医療崩壊」を起こしているといった話が流布している。「医療崩壊」という言葉、はじめて耳にした。軽症者までふくめて検査を徹底したために重症者を治療することが出来ず、医療の本来の目的が達せられていない状態のことをいうのであろう。しかし、それをいうのであれば、検査を断られた挙句、自宅待機のうちに死亡し、後で検査をしたら陽性反応の患者であったという国内在住の日本人の事例はどう説明するのであろうか。これこそ「医療崩壊」の一例ではなかろうか。毎年、この時期は肺炎で亡くなる高齢者も多い。検査もされていない現状では、死因が一般的な肺炎なのか、それとも新型コロナウイルスによって引き起こされた肺炎なのかもわからず、前者としてあつかわれている死亡者も多いはずである。検査をおこなうことによってわかることは多い。検査によって、現在、国内にどれだけの感染者がおり、そのうち、重症者がどれだけの割合を占めているのか、その数値を具体的に把握することが出来るようになる。それによってどのような対処をおこなうべきか、判断することも出来るようになる。そして、それにもとづき、重症者の収容場所をどこにどれだけ確保することが必要なのかを推計することも可能となる。こんなことはわざわざ書くようなことでもない。当たり前のことである。一方、検査の結果、たとえ軽症者であったとしても、自分が陽性反応であったことを自覚すれば、たいていのものは他者に感染させてはいけないと思い、積極的な行動を控えるはずである。自分自身の状態を客観的に認識するだけでも、感染の拡大防止につながるのである。自分自身を客観的に認識することは意外と難しい。それを認識する契機となるものこそ、具体的な「他なるもの」である。この場合は検査や医師の診断ということになるが、検査を受けられないということは、個々人が「他なるもの」によって自分自身を客観化する契機を奪われていることを意味する。こんなことが行政主導でおこなわれているのである。他国の状況を「医療崩壊」という言葉でもって批判しているものの方こそ、自分たちの住まう国の現状が医療の分野にとどまらず「崩壊」している現状を客観的に認識したくないのではなかろうか。「医療崩壊」を食い止めようと試行錯誤している他国を批判し、嘲笑するばかりで自分たちの身のまわりの現実を直視せず、ただただ怖がっているだけのものに未来など開けない。
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2020年03月13日

後藤明生を読む会(第43回)開催延期について思うB

学生時代、夏目漱石の「写生文」を読んだ。そこで漱石は「写生文」を次のように説いていた。

写生文家の人事に対する態度は貴人が賤者を視るの態度ではない。賢者が愚者を見るの態度でもない。君子が小人を視るの態度でもない。男が女を視、女が男を視るの態度でもない。つまり大人が小供を視るの態度である。両親が児童に対するの態度である。世人はそう思うておるまい。写生文家自身もそう思うておるまい。しかし解剖すればついにここに帰着してしまう。
小供はよく泣くものである。小供の泣くたびに泣く親は気違である。親と小供とは立場が違う。同じ平面に立って、同じ程度の感情に支配される以上は小供が泣くたびに親も泣かねばならぬ。普通の小説家はこれである。彼らは隣り近所の人間を自己と同程度のものと見做みなして、擦すったもんだの社会に吾われ自身も擦すったり揉もんだりして、あくまでも、その社会の一員であると云う態度で筆を執とる。したがって隣りの御嬢さんが泣く事をかく時は、当人自身も泣いている。自分が泣きながら、泣く人の事を叙述するのとわれは泣かずして、泣く人を覗のぞいているのとは記叙の題目そのものは同じでもその精神は大変違う。写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである。
 そんな不人情な立場に立って人を動かす事ができるかと聞くものがある。動かさんでもいいのである。隣りの御嬢さんも泣き、写す文章家も泣くから、読者は泣かねばならん仕儀となる。泣かなければ失敗の作となる。しかし筆者自身がぽろぽろ涙を落して書かぬ以上は御嬢さんが、どれほど泣かれても、読者がどれほど泣かれなくても失敗にはならん。小供が駄菓子を買いに出る。途中で犬に吠ほえられる。ワーと泣いて帰る。御母さんがいっしょになってワーと泣かぬ以上は、傍人ぼうじんが泣かんでも出来損いの御母さんとは云われぬ。御母さんは駄菓子を犬に取られるたびに泣き得るような平面に立って社会に生息していられるものではない。写生文家は思う。普通の小説家は泣かんでもの事を泣いている。世の中に泣くべき事がどれほどあると思う。隣りのお嬢さんが泣くのを拝見するのは面白い。これを記述するのも面白い。しかし同じように泣くのは御免蒙ごめんこうむりたい。だからある男が泣く様を文章にかいた時にたとい読者が泣いてくれんでも失敗したとは思わない。むやみに泣かせるなどは幼稚だと思う。
 それでは人間に同情がない作物を称して写生文家の文章というように思われる。しかしそう思うのは誤謬ごびゅうである。親は小児に対して無慈悲ではない、冷刻でもない。無論同情がある。同情はあるけれども駄菓子を落した小供と共に大声を揚あげて泣くような同情は持たぬのである。写生文家の人間に対する同情は叙述されたる人間と共に頑是がんぜなく煩悶はんもんし、無体に号泣し、直角に跳躍し、いっさんに狂奔きょうほんする底ていの同情ではない。傍はたから見て気の毒の念に堪たえぬ裏に微笑を包む同情である。冷刻ではない。世間と共にわめかないばかりである。

「写生文」をはじめて読んだとき、「文学」とはこういうものかということを思ったものである。以来、「写生文の精神」を念頭に置きながら、いろいろ書いて来た。そして、その精神をもって人生を送りたいと思って来た。文学に未来などないと考えているような私にとって、かろうじて文学の可能性があるとすれば、それは「写生文の精神」を生きるということだけである。もちろん、自分とは異なる価値観の持ち主である他者と共存することなくして生きていくことが出来ない以上、「写生文の精神」を維持していられないような場面に直面することもしばしばである。実際、漱石自身も「二十世紀の今日こんな立場のみに籠城して得意になって他を軽蔑けいべつするのは誤っている」とさえいっている。しかし、今般のように「非常時」ということが声高に叫ばれるような社会情勢であるときだからこそ、やはり「写生文の精神」を実践するべきではあるまいか。「写生文の精神」を、文字通り、生きるべきではないか。何しろ「写生文」の存在を私に教えてくれた存在こそ、研究会のテーマともなっている作家であるからだ。こういった思いもあったからこそ、私は開催にこだわったのである。後は各人が参加するか、「自粛」するかを自分の頭で考え、判断すれば良いだけのことである。文字通りの「自粛」である。今後も同様の事態が起こらないとは限らない。そういったときにどのように対応するか、次回の会合ではそのことも話し合わなければならない。
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2020年03月12日

後藤明生を読む会(第43回)開催延期について思うA

ただ、今回は閉館の通知が届く前に有志から開催をどうするかという問い合わせが届いていた。先方は「自粛」するべきではないかといった。それに対して、私は開催することを要望した。当日、会場を使用するため手続きが必要ならば、私が代行するつもりであることもあわせて申し出ておいた。なぜならば、有志が別にコロナウイルスにかかっているわけでもなかったからである。もちろん、予防のために外出を控えるという考えもあるだろう。しかし、何でもかんでも予防のためということをいい出せば、社会的な生活を送ることすら叶わなくなってしまうではないか。家の前に「蘇民将来」のお札を貼り付け、いつまでも逼塞し続ける気か。付け加えるならば、家にいれば絶対に安全ということもなかろう。念のため、周囲の若い子に参加の意思を確認すると、「自粛」なんて考えてもみなかったという返答であった。そういった前向きな有志がいる以上、予定通り、開催するのが筋というものではなかろうか。若い子たちのために、どのような状況にあっても彼らの集う場所を用意してあげること。そして、疫病なんて過度に恐れる必要なんてないんだよということを諭し、みずからの態度で示してあげること。それが若い世代に対するわれわれ大人の責務というものであろう。ガキと一緒になってぶるぶる怯えるなんてとんでもない。ましてや、今回は若い子の方が積極的なのである。大人が怯えてどうするのか。
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2020年03月11日

後藤明生を読む会(第43回)開催延期について思う@

3月7日は後藤明生を読む会(第43回)が開かれる予定であった。しかし、先般の新型コロナウイルスの流行によって、政府が学校に対して休校の「自粛」を要請。「自粛の要請」とは何とも変な日本語であると思っていると、学校ばかりか、さまざまな公共施設までが「自粛」と称して次々に閉館するような事態となった。われわれの後藤明生を読む会を開いている西宮市の公民館も同様である。西宮市内で新型コロナウイルスに罹患したものが出たということが、閉館の直接の理由だったらしい。会場自体の都合で閉館する以上、こちらからは何もいうことが出来ない。残念無念。それだけである。そして、目下、次回の予定をいつにするか、話を詰めている段階である。
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2020年03月10日

奈良公園で想う。

先日、所用で奈良公園を通る機会があった。新型コロナウイルスの流行のせいで、奈良公園の観光客はまばらだった。西洋人と思しき観光客をちらほら見掛けただけである。観光地でこの閑散とした状況は厳しい。アベノミクスによって円安が進行し、海外からの観光客が急増した。それにともない、インバウンド効果を当て込んだ飲食店が次々に出現した。何を勘違いしたか、観光客が押し寄せて来たことによってそういった店の一部は、我こそは「日本文化」を体現したものであるといったことまでいい出していた。単に円安だから外国人が来日し、情報発信の効果によって来店していただけなのに、日本の「伝統」や「文化」が認められたとは、まったくもって笑止千万である。しかし、こういった状況になって、取り立てて美味しくはなくとも、外国人向けにお店の情報を積極的に発信して来たことで利益を得て来たような飲食店は、今後、どうするつもりなのだろう。観光客が戻って来るまで果たしてその体力が持つのだろうか。私自身はインバウンド効果だけに頼った店にはまったく足を運ばない。それゆえ、お気の毒に、というしかない。
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2020年03月09日

桜井市の長谷寺。

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確定申告の書類作成も終わり、昨日は午後から雨のなかを外出。ついでに長谷寺にも参拝した。数年振りの参拝である。本尊の観音像はやはり大きかった。本堂まで上ったあたりで雨がやんだ。張り出した舞台から下界を見下ろした。
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確定申告書類作成。

もたもたしていたため、週末に確定申告の書類作成に着手。完成した。後は提出するだけである。これで心置きなく遊べるというものだ。
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2020年03月08日

韓国・慶州紀行(ごめんなさい)

慶州バスターミナルから良洞民俗村までは30分ほどであった。バスは入場ゲートの手前のバス停で停まった。ここからだと村は目と鼻の先である。バス停で帰路のバスの出発時間を確認して振り返った際、西洋人の女性とぶつかった。とつぜんの衝撃で動揺したのだろうか、あっと声は出たが、その先の「ごめんなさい」が続かなかった。もちろん、「ごめんなさい」といわなければならないという意識はあった。しかし、真っ先に思い浮かんだのは韓国語の「ミアナムニダ」であった。しかし、相手は西洋人である。韓国語の「ミアナムニダ」が果たして西洋人に通じるのだろうか。そう思ったとたん、何と返事をしたら良いかとっさに思いつかず、私のなかで混乱が生じた。言葉とは不思議なものである。韓国語の「ミアナムニダ」よりも、普段、使い慣れているはずの「アイムソーリー」の一言がどうしても思い浮かばなかったのである。混乱していると、相棒がとっさに「アイムソーリー」といって西洋人に謝ってくれた。そのときはじめて「ごめんなさい」という英語が「アイムソーリー」であることを知ったかのように、私は「アイムソーリー」の響きに新鮮さをおぼえたものである。西洋人は特に立腹している様子はなかった。むしろ、気にするな、といったことを私たちにいってくれているようだった。しかし、おかげで、その後、なぜすぐに謝らなかったのかと相棒からはつめられた。
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2020年03月07日

韓国・慶州紀行(良洞民俗村へ)

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世界遺産に登録されている「良洞民俗村」は慶州の市街地からバスで30分ほどのところにある。観光案内所でバスの乗り場と出発時刻を確認。1時間に1本くらいの割合であった。次のバスが出発するまでまだ小一時間程あった。私たちは市街地の西側を流れる川を見に行った。兄山江という名の川であるようだ。兄山江の流れは緩やかだった。流れているのか、流れていないのかわからないほどである。水面に対岸の山々がはっきり映し出されていた。水鳥もたくさん見られた。
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2020年03月03日

後藤明生を読む会(第43回)開催延期のお知らせ。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、3月7日に予定していた「後藤明生を読む会」(第43回)の会場である「西宮市立公民館」が閉館となりました(3月3日〜3月31日)。したがいまして、「後藤明生を読む会」(第43回)は来月以降に延期します。次回の実施日時等はあらためて告知します。
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2020年03月01日

「非常時」に抗う。

新型コロナウイルスの流行によって「非常時」であるという認識が社会に広がりつつある。今日、外出すると、確かに人の出がいつもより少なかった。彼らはウイルスを恐れて外出もせず、ただひたすら自宅に閉じこもっているのだろうか。私のようながさつな人間にはまったく理解しがたい行動である。このような実情を踏まえて国会まで閉じよといっている政党もあるようだ。学校を休校させ、人の流れも制限し、一般人同士はトイレットペーパーやマスクの争奪戦で消耗させ、あるいはコロナウイルスを盾にとって彼らを畏怖させながら国会まで閉じて、全権を自主的に総理大臣に委任する気か?これでは独裁の完成である。為政者がもっとも喜ぶ展開である。そして、彼らはその成就を念頭において発言している。私はその流れに抗いたい。といっても、特別な行動は必要ない。いつものように当たり前の日常生活を送ること。病を恐れず、情報にまどわされず、みずからを信じて普段通りに暮らすこと。ただ、それだけだ。
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トイレットペーパー騒動。

トイレットペーパーの品切れが続いているという。くだらないデマに惑わされたまとめ買いが横行しているのだろうか。実際、昨日、訪れたスーパーでは、トイレットペーパーがまったく見当たらなかった。トイレットペーパーの買い占め騒動は、私が生まれた頃に起こった騒動に起源があったのではなかろうか。東日本大震災のときは、紙オムツが買い占められたのではなかったか。まったくもって馬鹿馬鹿しい限りである。日本人は本当に過去の教訓に学ばない。ひとたび凶事が起こると、日本人は排他的・利己主義の塊となってトイレットペーパーのまとめ買いに走る。これがもはや日本の「伝統」となってしまった。外国人には奇妙な風習に見えることだろう。不思議の国ニッポンの不思議な風習である。しかし、たかだか数十年前にはじまったならわしを平気で「伝統」といってのけてしまう近年の日本には、お似合いの「伝統」である。日本、すごい!最近、しばしば放映されるその種のテレビ番組にとりあげてみてはいかが?
posted by 乾口達司 at 17:59| 奈良 ☁| Comment(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする