2014年09月30日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・真間の継橋)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津干潟)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津バラ園)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園大観覧車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・読売巨人軍発祥の地碑)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮の千本公孫樹)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮の駒どめの石)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮の岡晴夫顕彰碑)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・大黒家)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・弘法寺)→こちら

弘法寺にいたる参道には「真間の継橋」と呼ばれる橋が残されている。「真間の継橋」は『万葉集』に詠まれた当地きっての歌枕。「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ」(巻14 No.3387)はその代表である。歌中で詠まれている恋する人が手児奈を想定したものであるとも読めることから「真間の継橋」はしばしば手児奈伝説とセットで題材化されている。残念ながら、現在、橋の下には川が流れておらず、あたりも住宅地に変貌している。「真間の継橋」を見学した後はJR市川駅から電車に乗り込み、帰宅した。(終わり)
posted by 乾口達司 at 21:31| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・弘法寺)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・大黒家)→こちら

市川市には手児奈伝説ゆかりの弘法寺がある。伝説によると、手児奈は現在の市川市真間の地に暮らしていた。その容姿がとても美しかったため、多くの男性が手児奈に恋心を抱き、それが原因で男性たちの争いがたえなかったほどであったという。男性たちが醜い争いを続けるなか、手児奈は次のような感慨を抱く。「自分の心は幾つにでも分けることができる。しかし、身体は一つしかない。もしも、自分が誰かのもとに嫁げば、ほかの人を不幸にしてしまう」。夕陽が海の下へと沈んでいくのを目にした手児奈は我が身に絶望し、海に身を投げてしまったのであった。手児奈の悲劇は遠く都にまで届き、都人はその話に涙したという。『万葉集』に手児奈の恋物語を題材にした歌が複数収録されていることは、その証であるといえるだろう。たとえば、『万葉集』を代表する歌人の一人・山部赤人は次のような挽歌を詠んでいる。「古に 在りけむ人の しつはたの 帯解き交へて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 真間の手兒名が 奥津城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも吾は 忘らえなくに」(巻4 No.431)。真間山弘法寺の創建は奈良時代。寺伝によると、奈良時代の高僧・行基が手児奈の霊を弔うために創建したのがはじまりであるという。鎌倉時代以降、地元の豪族・千葉氏の庇護を受けて発展。真間宿と呼ばれる門前町が形成されるほどの賑わいを見せた。写真は仁王門。仁王門に掛かる「真間山」の額は空海が記したものと伝えられている。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:24| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

たびねす掲載情報78

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前回、たびねすに第77回(滋賀県野洲市「弥生の森歴史公園」で古代を学ぶ!日本一の銅鐸から古墳まで)の記事について記したことは9月21日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは奈良県橿原市の新沢千塚古墳群です。ご覧下さい。

【大陸からの副葬品が続々!奈良県橿原市の新沢千塚古墳群】
奈良県内の古墳群といえば、山の辺の道に沿って展開する桜井市の大和古墳群や奈良市の佐紀古墳群などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、それだけが奈良県を代表する古墳群ではありません。橿原市にも実は日本有数の大古墳群も存在しているのです。その名も新沢千塚古墳群!今回は新沢千塚古墳群のなかの古墳を幾つか紹介しながら、大陸とのつながりをはじめ、新沢千塚古墳群ならでは特色とその魅力をお伝えしましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/6294/
ラベル:古墳
posted by 乾口達司 at 13:35| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・大黒家)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮の岡晴夫顕彰碑)→こちら

京成八幡駅前の大黒家は晩年の永井荷風が頻繁に通っていた定食屋である。『壁の中』でも荷風の食べたカツ丼をめぐる考察が展開されている。現在、メニューには荷風セットと呼ばれているカツ丼の定食がある。写真はその荷風セット。ご覧のとおり、一合の徳利がついている。おかげで昼間から熱燗をいただくことになった。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 23:26| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月24日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮の岡晴夫顕彰碑)

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葛飾八幡宮の参道脇には写真の石碑も立っている。これは岡晴夫の顕彰碑。『憧れのハワイ航路』などのヒット曲で岡晴夫の名を知っている人も多いだろう。しかし、なぜ、岡の顕彰碑が葛飾八幡宮にあるのだろうか。そう疑問を抱く人もいることだろう。実は岡は、昭和45年5月19日、ここ、八幡の地で生涯を閉じているのである。ちなみに表の「大衆の心を歌う岡晴夫君」という銘文は岡と同じ時代を生きた歌手・藤山一郎の筆によるもの。関東屈指の古社に昭和を代表する歌手の顕彰碑があるということには、私自身、驚いた。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:44| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月23日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮の駒どめの石)

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葛飾八幡宮は特に関東武士の崇敬をあつめた。その象徴が写真の源頼朝ゆかりの駒どめの石。治承4年(1180年)、平家との戦に敗れた頼朝は安房国から下総国へと入り、葛飾八幡宮に参拝。戦勝と武運長久を祈願している。その折、頼朝の馬がこの石に前脚をかけたところ、写真のような蹄の痕が残ったとのこと。これはさすがにちょっと無理があるだろうと思いながらもしげしげと眺めていた。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年09月21日

たびねす掲載情報77

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前回、たびねすに第76回(まるで『ジュラシック・パーク』!岡山県笠岡市の恐竜公園)について記したことは9月11日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは滋賀県野洲市の弥生の盛歴史博物館です。ご覧下さい。

【滋賀県野洲市「弥生の森歴史公園」で古代を学ぶ!日本一の銅鐸から古墳まで】
滋賀県を流れる野洲川の北方に広がる現在の野洲市一帯は弥生時代より開けた先進地域でした。そのことは数多くの銅鐸が出土し、さまざまな古墳が点在していることからもうかがえます。そんな野洲の古代史を学ぶのに最適のスポットこそ野洲市弥生の森歴史公園です。今回は弥生の森歴史公園内の施設をめぐり、古代の野洲の豊かな歴史に触れてみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/6197/
ラベル:銅鐸 古墳 博物館
posted by 乾口達司 at 23:03| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月20日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮の千本公孫樹)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮)→こちら

境内では写真の公孫樹に圧倒された。無数の幹が寄り集まり、あたかも一本の樹木になって伸びているように見えるその独特の形状から「千本公孫樹」と呼ばれており、葛飾八幡宮の御神木として、大切にまつられている。樹高は22メートル、根回りは10メートル以上で、現在、国の天然記念物に指定されている。その特異な姿は古くから広く知られており、江戸時代に書かれた『江戸名所図会』でもその威容が紹介されている。実に不思議な形状である。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 23:01| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・葛飾八幡宮)

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谷津を後にして向ったのは京成八幡である。まずは下総国の総鎮守で長い荷風もしばしば訪れたという葛飾八幡宮に参拝した。御祭神は誉田別命、息長帯姫命、玉依姫命。社伝によると、葛飾八幡宮の創建は寛平年間(889ー898)。宇多天皇の勅願により、京都・石清水八幡宮より当地に勧請されたのが、そのはじまりであるという。参拝者がひっきりなしに訪れていた。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年09月18日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・読売巨人軍発祥の地碑)

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バラ園の入口横には「読売巨人軍発祥の地」と刻まれた石碑がある。昭和9年、来日した全アメリカ選抜チームと対決するために結成された全日本チームが当地で練習し、それがやがて読売ジャイアンツに発展したことから、この碑が建てられたのであった。石碑の下には川上哲治や長嶋茂雄、王貞治などの往年の名選手の手形がずらりと展示されている。谷津遊園の開園当時にもここにあったものかどうかは不明である。もしかしたら、谷津遊園があったときはどこか別のところにあったかも知れない。しかし、もしも、当時から存在していたとすると、巨人ファンであった後藤明生にはたまらない石碑であったことだろう。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年09月17日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園大観覧車)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津干潟)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津バラ園)→こちら

バラ園の前には、当時の写真により、在りし日の谷津遊園を紹介したパネル展示があった。写真は谷津遊園のシンボル的存在であった大観覧車を撮影したもの。『行き帰り』のなかで特に重要な描かれ方をしているものである。後藤明生の暮らした谷津遊園ハイツからは大観覧車が見えたようである。『行き帰り』では繰り返し言及されている。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年09月15日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津バラ園)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津干潟)→こちら

私が訪れたとき、谷津遊園の跡地の一角に設けられた谷津パラ園ではバラが咲き乱れていた。バラ園は谷津遊園時代から存在した区画。バラ園が残されていることなど知らなかった私は思いがけず数々のバラに魅了された。(続く)
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2014年09月14日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津干潟)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ5)→こちら

谷津遊園ハイツの海側(南側)には谷津干潟が広がっている。大きな干潟である。『行き帰り』では「目下埋立て中のどぶ泥」「半殺しにされた海」と表現されている。しかし、現在は周辺の整備も進み、野鳥の楽園として知られている。そういえば、『行き帰り』のなかには「野鳥を守る会」に対するアイロニカルな言及もあった。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年09月13日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ5)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ4)→こちら

写真は谷津遊園ハイツ側から道路を挟んで建つ船橋競馬場の関連施設側を撮影したものである。『行き帰り』によると、塀の向うの施設は「厩舎」であるという。『行き帰り』ではそのことが次のように綴られている。「競馬場は、ベランダに立って右側だった。西側である。アパートとの間に一本の道があって、それが市の境界であることもあとでわかった。その境界の道沿いに、比較的高いブロック塀があって、向う側に同じような二階造りの木造家屋が並んでいた。それが厩舎らしかった。二階の家には小さな物干台があって、子供物や女物の洗濯物が見えた。そして、ブロック塀に沿って歩いていると、野球帽をかぶった男の上半身が、とつぜんブロック塀越しに、ふわっと見えることがあった。見えたかと思うと、すぐに隠れた。わたしには厩舎というものの構造はよくわからないが、野球帽の男はブロック塀の向う側を馬で歩いていたのである」。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年09月11日

たびねす掲載情報76

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前回、たびねすに第75回(珍しい帆立貝式まで!国指定史跡・兵庫県加西市の玉丘古墳群)について記したことは9月8日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは岡山県笠岡市の恐竜公園です。ご覧下さい。

【まるで『ジュラシック・パーク』!岡山県笠岡市の恐竜公園】
人類が出現するはるか昔、地球上を支配していたのは恐竜たちでした。現在、恐竜はすべて絶滅していますが、岡山県にはかつて地球上を我が物顔で闊歩していた恐竜たちの姿を再現した公園が存在します。笠岡市の恐竜公園です。その様子は恐竜映画の傑作『ジュラシック・パーク』を思い起こさせ、迫力満点!今回は恐竜公園に点在する恐竜たちをご紹介しながら、彼らが活躍した時代に思いを馳せてみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/6044/
ラベル:恐竜
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2014年09月08日

たびねす掲載情報75

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前回、たびねすに第74回(棚田に佇む姿に癒される!奈良県明日香村稲淵地区のかかしたち)について記したことは9月3日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは兵庫県加西市の玉丘古墳群です。ご覧下さい。

【珍しい帆立貝式まで!国指定史跡・兵庫県加西市の玉丘古墳群】
兵庫県加西市には、現在、国指定の史跡に登録されている玉丘古墳群が残されています。古墳の多くは綺麗に整備された玉丘史跡公園の敷地内に点在しており、古墳見学にはもってこいのスポット。しかも、ここではさまざまな形状の古墳を見学することができるのです。兵庫県を代表する古墳群の一つ・玉丘古墳群の魅力とその多様性をご紹介しましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/5934/
ラベル:古墳
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2014年09月07日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ4)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ3)→こちら

写真は谷津遊園ハイツを西側の船橋競馬場方面から撮影したもの。後藤明生の住居はこちら側にあったことが作品のなかからうかがえる。(続く)
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2014年09月06日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ3)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)→こちら

谷津遊園ハイツの中心部には児童公園が設けられている。前々回に紹介した案内板によると、正式名称は谷津西児童遊園。グラウンドの端にはすべり台や鉄棒がある。後藤明生もたまには散歩の途中に立ち寄り、煙草でもふかしていたことであろう。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年09月05日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ2)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・道祖神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・浅間大神)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・子守神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・金比羅神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・京成電鉄谷津駅)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・谷津遊園ハイツ1)→こちら

写真は谷津遊園ハイツを真横に貫く歩道。谷津遊園ハイツの背骨というべきところである。奥側が谷津干潟方面。建物の外壁は思いのほか白く、相当の年月が経過しているとは思えないほどである。おそらく近年になって新たに塗りなおされたのであろう。(続く)
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2014年09月03日

たびねす掲載情報74

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前回、たびねすに第73回(大阪府堺市唯一の国宝・桜井神社拝殿!その特異性と謎を追う)について記したことは8月28日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは奈良県明日香村稲淵地区のかかしたちです。ご覧下さい。

【棚田に佇む姿に癒される!奈良県明日香村稲淵地区のかかしたち】
奈良県明日香村といえば、古代の遺跡が点在する日本人の故郷というべきところ。当然、観光客の関心も古代史に集中していますが、そんな明日香村の一角で毎年秋に「かかしコンテスト」がおこなわれていること、ご存知ですか?コンテストに出展されたかかしは秋が深まる頃まで地区の棚田に置かれ、観光客の目を楽しませてくれます。今回は稲淵地区のかかしたちを通して、明日香村ならではの牧歌的な風景に心癒していただきましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/5767/
ラベル:案山子 明日香村
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