2014年07月30日

たびねす掲載情報66

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前回、たびねすに第65回(旧陸軍大刀洗飛行場の栄光と悲劇!福岡県筑前町立大刀洗平和記念館)について記したことは7月20日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは岡山県笠岡市立カブトガニ博物館です。ご覧下さい。

【世界で唯一!岡山・笠岡市立カブトガニ博物館で驚異の生態にビックリ!】
カブトガニといえば、姿形が古生代からほとんど変わっていない「生きた化石」として、その名を知る人も多いでしょう。しかし、そんなカブトガニの生態を紹介・研究する施設が岡山県笠岡市にあること、ご存知でしたか?施設の名は笠岡市立カブトガニ博物館!世界で唯一、カブトガニをテーマにした博物館です。今回は笠岡市立カブトガニ博物館を紹介し、その知られざる生態や魅力に迫ってみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/5170/
ラベル:カブトガニ
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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板2)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)→こちら

こちらの看板は前回紹介した看板よりもさらに奥にある。ご覧のとおり、こちらは破損することなく、状態の良いまま、立っている。この矢印の先に現われるのが首塚である。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月29日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・首塚への案内板1)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)→こちら

写真は荒馬大五郎の墓の横に立つ案内板である。ご覧のように「首塚」への道を案内してくれている。首塚をはじめて訪れた大学生のときには、このような看板はなかったように思う。それにしても、誰かのいたずらであろうか、部分的に破損しているのが惜しまれる。しかし、見方を変えれば、どこかしら『首塚の上のアドバルーン』の世界にふさわしい姿といえるかも知れない。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月28日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・荒馬大五郎の墓)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)→こちら

いよいよ『首塚の上のアドバルーン』の中心地・首塚の丘へ。写真はその登り口に立つ力士・荒馬大五郎の墓。荒馬大五郎の墓は『首塚の上のアドバルーン』のなかでも言及されていた。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月26日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「駐車禁止」の文字)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)→こちら

こちらは「消防隊進入路」よりもさらに車道側に描かれている「駐車禁止」である。こちらも『首塚の上のアドバルーン』の執筆当時からあるものであろうか。そうだとすると、小説のなかに取り込まれたかも知れない文字である。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月25日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・「消防隊進入口」?)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)→こちら

『首塚の上のアドバルーン』所収の「ピラミッドトーク」には、語り手の「私」がマンションのベランダから地上を眺めるシーンがある。それは次のように描かれている。「私は手摺につかまって地上を見おろした。十四階からの眺めには近景がない。最も近い眺めは真下だろう。ハイツの入口からこの建物の真下までの舗装された通路は、中央に植込みがあり、左半分がグリーンのペンキで塗られている。そして低い金属製の車止めのあたりに『消防隊進入口』と書かれた白ペンキの文字が見えるが、ふだんはそこが人道で、右半分が車の出入口に使われている」。写真は後藤明生の旧居から見下ろした位置に描かれている「消防隊進入路」の文字。作中で綴られている「消防隊進入口」に当たるものであろうか。ご覧のとおり「消防隊進入口」と「消防隊進入路」というように異同が認められる。「白ペンキ」で描かれてもいない。もしも、同一の対象であったとしたら、この三十年のあいだに新たに塗りなおされたものであるのかも知れない。もちろん、別の位置に「消防隊進入口」と記された白ペンキが残されているかも知れない。しかし、それを見つけることは出来なかった。いずれにせよ、このようなものをわざわざ描写している点にこの作家の風変わりな特徴がある。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月24日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ファミールハイツ)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)→こちら

『首塚の上のアドバルーン』の「私」が自宅までの道のりを吉沢氏に説明したとおりに実際に歩いていくと、幕張ファミールハイツにたどり着く。『首塚の上のアドバルーン』の執筆当時、後藤明生が暮らしていたマンションである。実際には作品のなかで「私」の住む部屋の階層と後藤明生自身が住んでいた階層とは異なる。学生のとき、後藤明生の案内でベランダから首塚やS字形六車線を眺めたときのことはよく憶えている。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月23日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・歩道橋とS字型新道)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)→こちら

『首塚の上のアドバルーン』には、語り手である「私」が自宅までの道のりを吉沢氏に説明する箇所がある。「わたし」の解説は現在のJR幕張駅に当たる「国鉄の駅」からはじまり、「古くさい田舎風の商店街」「旧千葉街道の歩道橋」を経て、「二番目の歩道橋」に当たる「バカでかい歩道橋」へと続く。写真はその「バカでかい歩道橋」の上から「中央に植え込みのあるかなり広い自動車道路」を撮影したもの。「中央に植え込みのあるかなり広い自動車道路」は別のところで「S字形にカーブした道路」「S字型新道」とも表現されている。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月22日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・海苔屋と中華料理店)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)→こちら

JR幕張駅から南方に向かって商店街がのびている。写真は商店街に面している店舗の一つ。お茶や海苔を販売しているようである。『首塚の上のアドバルーン』において言及されている「海苔屋」であろうか。ちなみに、今回の幕張行きではその隣りの中華料理店・康楽で昼食をとった。その味は本場・中国を思わせるものがあり、なかなか美味しかった。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月20日

たびねす掲載情報65

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前回、たびねすに第64回(日本版モアイ!?変顔続出の兵庫県加西市・北条の五百羅漢)について記したことは7月15日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは福岡県筑前町の筑前町立大刀洗平和記念館です。ご覧下さい。

【旧陸軍大刀洗飛行場の栄光と悲劇!福岡県筑前町立大刀洗平和記念館】
福岡県筑前町から大刀洗町にかけて、戦前、東洋一とうたわれた旧陸軍大刀洗飛行場が存在しました。現在、その跡地に立つのが筑前町立大刀洗平和記念館。館内には、戦時中、実際に大空を舞った戦闘機をはじめ、戦争関係の資料が数多く展示されており、当飛行場の栄光と悲劇を学ぶのに最適のスポットといえます。当館を訪れ、いま一度、恒久平和の尊さをかみしめてみてはいかがでしょうか。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4849/
ラベル:飛行場 特攻隊
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2014年07月19日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・幕張ハウス)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら
後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅) →こちら

駅の北側からは遠くに白いマンションが見える。周囲の住宅地よりも小高いところに立っているからであろうか。特に目立つ。幕張ハウスである。現在、幕張ハウスの立っている高台にあったと考えられているのが、当地の豪族・馬加氏の居城・馬加城である。『首塚の上のアドバルーン』が馬加康胤のものといわれる首塚を発端として展開していくことを考えると、見過ごせないスポットであるということになる。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 05:32| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・JR幕張駅)

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後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)→こちら

降り立ったのはJR幕張駅である。幕張駅をはじめて訪れたのは大学生のときのことである。後藤明生の幕張の自宅にお邪魔したときにはじめて利用したのであった。あれからもう二十年の歳月が流れている。しかし、駅南側の風景はあのときからまったく変わっていない。『首塚の上のアドバルーン』所収の「ピラミッドトーク」において「私」は「国鉄の駅の南口、つまり海の方へ出て階段を降りて下さい。するとタクシー乗り場があります。いつも二、三台停っていて、田舎ふうの中年の運転手が車の外で煙草を喫ったりしていると思いますが、そうです、もちろん乗る必要はありません。そのタクシー乗り場のすぐ前から商店街になっています」と吉沢氏に説明しているが、そのとおりの光景が現在でも見られる。(続く)
ラベル: 後藤明生
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2014年07月17日

後藤明生をめぐる旅(千葉篇・出発)

5月の終わりから6月のはじめにかけて、東京と千葉を訪れた。その折、千葉県における後藤明生ゆかりの地もめぐった。今回から何回かにわたってそのときのことを記しておこうと思う。千葉をめぐったのは、仕事の打ち合わせも兼ねて上京した2日目と3日目。初日の夜、四谷と新宿で深夜未明まで酒を呑んだものの、翌朝、目覚めは快調であった。宿泊先の新宿から電車に揺られ、一路、幕張を目指した。幕張は『首塚の上のアドバルーン』(講談社)ゆかりの地である。(続く)
ラベル:後藤明生
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2014年07月15日

たびねす掲載情報64

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前回、たびねすに第63回(数々の歴史に彩られた「遠の朝廷」!福岡・大宰府跡をめぐる旅)について記したことは7月10日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは兵庫県加西市の「北条の五百羅漢」です。ご覧下さい。

【日本版モアイ!?変顔続出の兵庫県加西市・北条の五百羅漢】
モアイといえば、チリ・イースター島の石造彫刻のこと。しかし、そんなイースター島のモアイを彷彿させる石像群が日本にも存在します。兵庫県加西市に残る北条の五百羅漢です。本物のモアイほどの大きさはない代わりにそれぞれに異なる表情を見せ、変顔続出!その個性あふれる表情に魅了されること、間違いありません!北条の五百羅漢を拝みに、この夏、ぶらりと旅に出てみませんか?
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4978/
ラベル:石仏
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2014年07月14日

後藤明生を読む会(第21回)

後藤明生を読む会(第20回)→こちら

昨日は後藤明生を読む会の第21回がもよおされた。今回のテキストは「関係」(初出は「文藝」1962年3月号)。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。その後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておく。

・「関係」は語り手である「わたし」(井上淳子)が西野とはじめて接吻してから1年半ほどを経て入院中に書かれたテクストとして提示されている
・あくまで「わたし」が書いたテクストであり、そこに書かれているものは「わたし」が見て来たと「わたし」みずからが称していることであり、「わたし」の見て来たことそのものではない
・「関係」の登場人物の相関図
・「わたし」や北村、西野に言及した箇所が多いものの、北村の妻やその子の「秀雄ちゃん」も関係の世界では彼らと等価な存在と見なすべきである
・書き出し部分(第一パラグラフ)の特異性(「わたしの考えでは」までは西野を視点人物且つ主人公とした三人称小説とも読めるが、それ以後、「わたし」を視点人物とした一人称小説であることが明らかになり、分裂している)
・何度も「読み取り」の修正をうながすテクスト
・テクストの書き手=「わたし」の「書くこと」に対する抵抗感
・テクスト内ではさまざまな類型が見出される
・R・ジラール『欲望の現象学』やレヴィ=ストロース『親族の基本構造』、E・K・セジウィック『男同士の絆』、J・バトラー『ジェンダー・トラブル』を踏まえて読む
・「わたし」はもはや(労働力且つ再生産力を持つという、レヴィ=ストロースがいったような意味で)価値がある存在ではなく、西野から北村へと移動する単なる記号といえる
・ホモソーシャルな関係を「女性」の視点から再構成して「転倒」を企図したテクストとしても読めるのではないか
・ほかならぬ西野が望んでいたはずの関係の成立を西野その人が知らないという事実
・西野や北村を利用して最終的に関係の支配者となる「わたし」
・支配はこれまでの経緯を「書く」という特権性と結びついている
・しかし、関係の支配者となった「わたし」の存在そのものが矛盾する(関係の世界においては、支配者もまた関係構造のなかで相対化される存在であるはずであり、それを「わたし」の支配化によって終わらせている点にこそ「関係」というテクストの弱点がある)
・書くことの特権性を保持した「わたし」を如何にして相対化し、関係のはらむ真の関係性を浮かび上がらせるか、それが「関係」以降の後藤明生の課題となった(「関係」を克服する作品として、たとえば、「笑う―笑われる」という関係性を徹底化させた「笑い地獄」がある)
・その点で後藤は常に語る/書く主体そのものが持つ特権性(権力)に自覚的であったといえる
・それぞれが無署名原稿執筆というアルバイトをしているという滑稽さ
・当時の原稿料の値段などが具体的に書かれている
・北村の格闘シーンが伝える滑稽さ
・岡田の意外な存在感
・最後のパラグラフによって「わたし」は西野や北村との関係を離れ、関係がさらに変転していくことが予見されている(「わたし」は今度は編集長に接近し、岡田―編集長―「わたし」という新たな三角関係を構築していくのであろうか)
・起源の消去と未完結性を伝える関係構造=後藤明生の考える小説そのもの
・田舎臭い北村と都会派の西野を類型化し、それぞれを相対化
・西野はみずからの求める関係を「二等辺三角形」と表現する(なぜ「正三角形」ではないのか)
・西野との別れ話で交わされる会話の不自然さ
・横光利一「機械」との関連性
・作中における「関係」という語の登場回数は通算88

次回の研究会は10月頃、テキストは「謎の手紙をめぐる数通の手紙」を予定している。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:00| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月13日

シャコ。

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瀬戸内地方ならではの魚介類といえば、シャコが真っ先に思い浮かぶ。先日、瀬戸内地方を旅した折にはシャコも買い求めた。すでにボイルされているものを買い求めたため、帰宅後、殻をむけば、そのままポン酢につけて食べることが出来た。しかし、日常的にシャコを食べ慣れていない私には、その殻をむく作業がなかなか厄介であった。まずは尻尾と側面に鋏を入れる。その上で背中の方をはがしとり、その後で腹の方をはがす。しかし、背中の方は簡単にむけても腹の方がうまくむけない。殻と一緒に身の部分がはがれてしまうことがしばしばであった。殻をはがす作業は大胆且つ繊細におこなうべし。シャコとかカニのような甲殻類を食べると口のまわりがかゆくなる。だから、甲殻類は絶対に食べない。殻をむいているとき、そういっていた学生時代の友人Yのことをぼんやり思い返していた。Yは確かにエビフライさえ決して食べなかった。悪戦苦闘の末、何とか食べ終えることが出来たものの、手はべとべとになった。手についた磯臭さも入浴後までとれなかった。
ラベル:シャコ
posted by 乾口達司 at 09:48| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月12日

ゲタの煮付け。

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ナメクジを連想させる写真の魚の名は「ゲタ」。舌平目のことを岡山では「ゲタ」と呼ぶ。先日、瀬戸内地方を旅していた折に鮮魚店で買い求めた。帰宅したその日に調理をした。まずは鱗をとり、身をざっくりと3等分にする。その後、しょうゆやみりん、酒、砂糖などで適当に味付けをしてぐつぐつ煮込む。食したのはその翌日であった。
ラベル:ヒラメ
posted by 乾口達司 at 17:00| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

たびねす掲載情報63

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前回、たびねすに第62回(よみがえる奈良の宮廷世界!世界遺産・平城宮跡第一次大極殿)について記したことは7月5日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは福岡県太宰府市の大宰府跡です。ご覧下さい。

【数々の歴史に彩られた「遠の朝廷」!福岡・大宰府跡をめぐる旅】
現在の福岡県太宰府市にあった大宰府といえば、古代以来、「遠の朝廷」(とおのみかど)とも呼ばれ、数々の歴史の舞台ともなった行政機関でした。現在、その跡地は国の特別史跡に指定されており、遺跡の保存や整備がはかられています。今回はかつて繁栄をきわめた大宰府の跡地および周辺施設をめぐり、その豊かな歴史に触れてみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4832/
ラベル:大宰府
posted by 乾口達司 at 20:20| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月09日

帰宅しました。

急な所用で遠出をしていました。無事、帰宅しています。台風が襲来するまでに戻って来られてホッとしています。
ラベル:
posted by 乾口達司 at 22:43| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月05日

たびねす掲載情報62

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前回、たびねすに第61回(聖徳太子、ここに眠る!太子信仰の聖地・大阪府の叡福寺)について記したことは7月1日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは世界遺産・平城宮跡第一次大極殿です。ご覧下さい。

【よみがえる奈良の宮廷世界!世界遺産・平城宮跡第一次大極殿】
奈良市の中心部に位置する世界遺産・平城宮跡は、奈良時代、天皇が暮らした内裏や役人たちが政務をとりおこなった官庁などが立ち並ぶ平城京の心臓部でした。その一角に復元されているのが、第一次大極殿。その内部はあざやかな色彩で彩られており、訪れる人を古代の宮廷世界へといざなってくれます。今回は天平ロマンあふれる第一次大極殿をとりあげ、その壮大で華麗な世界をご紹介しましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4768/
ラベル:平城宮跡
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2014年07月04日

梅酒。

梅酒をもらったのは、10日ほど前のことである。蓋には梅がつけられた日付が記されていた。それによると、梅がつけられたのは、昭和56年。いまから33年も前のものである。最初は果たして呑めるのだろうかと心配をしたものである。しかし、それは杞憂であった。以後、毎晩のようにロックにして呑んでいる。今夜もそろそろ呑む時間が来たようだ。
ラベル:梅酒
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2014年07月03日

帯状疱疹。

3月の終わりから6月の終わりにかけて、春の福岡旅行について記した。その間、帯状疱疹を患った。4月の下旬だっただろうか。頬に腫れが生じた。最初は蚊に刺されたのではないかと思って静観していた。ところが、いつまでたっても腫れはひかない。そればかりか、腫れはどんどん拡大する始末。思い切って皮膚科を受診した。そして、蚊に刺されたような痕が帯状疱疹であることを知らされた。帯状疱疹をわずらうのははじめてである。それだけに驚いた。幸い、薬を服用すると1週間もせずに腫れはひいた。しかし、その痕はまだ残っている。痕跡は少しずつ薄らいでいくのであろうか。
ラベル:病気
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2014年07月01日

たびねす掲載情報61

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前回、たびねすに第60回(古代の悲しい恋物語!手児奈伝説ゆかりの市川市弘法寺)について記したことは6月27日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは聖徳太子のお墓がある大阪府太子町の叡福寺です。ご覧下さい。

【聖徳太子、ここに眠る!太子信仰の聖地・大阪府の叡福寺】
聖徳太子といえば、その名を知らない人はいないでしょう。冠位十二階や十七条憲法の制定、遣隋使の派遣など、その数々の業績は万人に知れ渡っており、日本を代表する偉大な政治家の一人であったことは間違いありません。そんな太子のお墓が大阪府太子町に残されていること、ご存知でしたか?今回は太子の御廟所がある叡福寺を紹介し、「上の太子」と呼ばれ、太子信仰の聖地として崇敬されてきた当寺の魅力をお伝えしましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4796/
ラベル:古墳 聖徳太子
posted by 乾口達司 at 20:03| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする