2014年06月30日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇/関西空港)

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・東公園)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・成道寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・光雲神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・西公園1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・西公園2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇/ピーチ・アビエーション)→こちら

福岡空港を出発して1時間、とつぜん、尻餅をついたような強い衝撃があった。ちょうどK氏と雑談をしていた私はその衝撃に、一瞬、機体が爆発し、穴でも開いたのではないかと思ったほどである。しかし、その衝撃は、無事、機体が関西空港に着陸したことを知らせるものであった。到着したのは第二ターミナル。機体からはタラップを降りて、歩いて建物内に入った。プレハブ作りを思わせる無機質なターミナルであった。建物内では狭い通路を右に曲がったり、左に曲がったりを繰り返した。まるで迷路だ。そう思った。出口を出ると、第一ターミナルへ向かうバスが乗りつけていた。私たちはバスに乗り込んだ。しかし、K氏とはバスに乗り込む前にはぐれてしまった。再会をしたのは、南海電車の改札前であった。K氏は南海電車の構内へ。残ったメンバーはJRを利用して帰途についた。(福岡篇は今回でおしまい)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:37| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇/ピーチ・アビエーション)

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・東公園)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・成道寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・光雲神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・西公園1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・西公園2)→こちら

西公園で花見を楽しんだ後、H氏は私たちを福岡空港まで送ってくださった。福岡空港を目の前にして、車窓からは超低空飛行で着陸しようとする飛行機の姿が目に入った。飛行機は自分たちの頭のすぐ上を飛んでいるかのようであった。H氏とはここでお別れである。再会を誓い、私たちは搭乗カウンターを目指した。私たちが乗り込むのは、いま、何かと話題のLCCピーチ・アビエーションである。今回の旅では、スケジュールおよび交通手段の選定を一任されていた。そういった経緯もあり、帰路は以前より乗ってみたかったピーチ・アビエーションを利用するつもりで手配していたのである。搭乗カウンターでは、事前に印刷したチェックインのバーコードを専用の機械にかざすだけであった。スタッフがいなかったら戸惑うかも知れないと心配をしたものの、機械の横には女性のスタッフが待機をしていた。搭乗までのあいだ、お土産物を買ったり、ビールを呑んだりして過ごした。機内は狭い。座席にすわったとき、膝のすぐ前に前列の座席が来るので窮屈である。仕事仲間の主婦からは事前にそのように聞かされていた。そして、実際、そのとおりであった。しかし、福岡空港から関西空港までは1時間である。特に疲れるということもなく、気にならなかった。それよりも驚いたのが、シートにすわる順番があらかじめ決められていたことである。機内が狭いこともあり、搭乗する際は窓際の席を予約している乗客から呼び出される。次に中間のシートにすわる乗客が呼ばれる。最後は通路側のシートの乗客である。狭い機内でもたもたせずに乗客をすわらせるためには確かに合理的な案内であると思った。飲み物やおしぼりの配布など、機内サービスは一切なかった。代わりに関空から南海電車を利用する際に使える割引券の販売があった。南海電車を利用するK氏は割引券を買い求めていた。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:38| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月27日

たびねす掲載情報60

20140627-2.bmp

前回、たびねすに第59回(いったい何体あるの!?石仏・石塔のメッカ・奈良市の称名寺)について記したことは6月23日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは『万葉集』の手児奈伝説ゆかりの千葉県市川市・弘法寺です。ご覧下さい。

【古代の悲しい恋物語!手児奈伝説ゆかりの市川市弘法寺】
『万葉集』といえば、当時、都が置かれていた奈良およびその周辺地域を舞台にした歌集であると連想する人が多いでしょう。しかし、奈良から遠く離れた千葉県にも『万葉集』を代表する名歌が残されています。その歌の主人公は手児奈(てこな)といううら若き女性。今回は手児奈ゆかりの地に立つ市川市・弘法寺を訪ね、古代人の涙を誘った悲しい恋物語に思いを馳せてみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4548/
ラベル:万葉集 伝説
posted by 乾口達司 at 21:06| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・西公園2)

20140627-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・東公園)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・成道寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・光雲神社)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・西公園1)→こちら

西公園では、博多湾を一望出来る展望台も訪れた。『四十歳のオブローモフ』では、主人公の宗介は母親たちと展望台も訪れている。そのときのことは次のように記されている。「展望台で彼は、二つ備えつけられている望遠鏡をのぞいて見ようと思った。しかし、ズボンのポケットへ手を突込んで十円効果をつまみ出そうとしているうちに、横からあらわれた小学生に先を越されてしまった。/春休みのせいで、子供連れの客が目立っている。望遠鏡は、間もなく空いた。しかし、宗介はそのままぼんやりと、変り果てた海の景色を眺め続けた。/右手には、石油会社のマークをつけた球形の石油タンクが幾つも並んでいる。それらは銀色に光っていた。貨物船が見える。狭い溝のような水路を、のろのろと出て行くところらしい。人工的に作られたのは、埋め立てられたコンクリートの地面ではなく、むしろ海の方ではあるまいかと思えるくらいだ」。展望台の下に自生する松が生い茂り、部分的に視界をさえぎっているとはいえ、博多湾を眺めることは出来た。眼下には石油タンクも広がっていた。福岡空港に着陸する飛行機が沖合いから低空飛行でやって来る。それはやがて福岡の街中に消えていく。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 19:52| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇/西公園1)

20140626-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・東公園)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・成道寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・光雲神社)→こちら

私たちが訪れたとき、西公園の桜は満開であった。これには驚いた。関西を出発した2日前、関西では桜の蕾がまだ固かったからである。九州が関西よりも温暖な土地柄であることを実感した。後藤明生は『四十歳のオブローモフ』のなかで西公園の花見のことを次のように記している。「花見の一行は、総勢十一名だった。夫婦と子供二人の全員揃ったのが一組。これは、私立高校の教師をしている五男坊の一家である。それに二人の子供を連れた兄嫁。生まれて三カ月くらいの赤ん坊を背負った妹。これで九名。それに母親と宗介の十一名だった」「西公園の桜は、まだ六分咲きぐらいだった。しかし、新聞紙を敷いた斜面には風が当らず、体じゅう汗ばむような暑さだった」。「私立高校の教師をしている五男坊」が私たちを案内してくださったH氏である。写真は花見がもよおされた「斜面」付近。満開ということもあって、斜面にシートを敷いて花見を楽しんでいる人をちらほら見掛けた。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:46| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・光雲神社)

20140625-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・東公園)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・成道寺)→こちら

西公園の一角に鎮座する光雲神社は「てるもじんじゃ」と読む。H氏によると、後藤明生は福岡に戻って来た折、西公園で何度か花見をしているとのこと。その折、光雲神社にも参拝しているという。事実、『四十歳のオブローモフ』(文藝春秋)には、主人公の宗介が福岡の地で暮らす母親たちと西公園で花見をするシーンが描かれている。その際、宗介は光雲神社にも参拝し、お守りを購入している。写真は境内の一角に立つ母里太兵衛の銅像。ご存知、黒田節の人である。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:29| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月23日

たびねす掲載情報59

20140623-1.bmp

前回、たびねすに第58回(雄大な大自然も満喫しよう!篠山市の兵庫陶芸美術館)について記したことは6月18日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは奈良市の称名寺です。ご覧下さい。

【いったい何体あるの!?石仏・石塔のメッカ・奈良市の称名寺】
近鉄奈良駅近くの称名寺といえば、茶の湯の祖とたたえられる村田珠光ゆかりの寺として、その名を知る茶道愛好者も多いでしょう。しかし、村田珠光ゆかりの寺院ということだけで称名寺の魅力を片付けてはなりません。境内には無数の石仏・石塔が点在しており、石仏・石塔好きにもぜひ訪れていただきたいスポット。今回は称名寺に点在する石仏や石塔の数々を紹介し、そのもう一つの側面に光を当ててみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4608/
ラベル:石塔 石仏
posted by 乾口達司 at 21:02| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月22日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・成道寺)

20140622-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・東公園)→こちら

東公園を散策した後、市立体育館前でH氏と合流をした。一昨日、H氏には朝倉方面をいろいろご案内していただいた。一昨日は昼食をとるだけの時間もなかったほどの強行軍であった。H氏には大変な一日であったことだろう。まことに申し訳ないと思っている。しかし、それにもかかわらず、本日も飛行機に乗り込むまでの時間、福岡の街中をいろいろご案内して下さるという。H氏の車に乗り込んだ私たちはH氏の解説付きで博多の繁華街や大濠公園などを見てまわった。そして、その後、成道寺に参詣した。成道寺には後藤明生のご両親の位牌などがおさめられている。『嘘のような日常』のなかでは、終戦後、朝鮮半島・花山里の地で命を落とした父親のお墓をどこにするかということが「わたし」の懸案事項の一つとして挙げられていた。今回の旅では、その懸案事項の答えが成道寺であったことを知ることが出来た。これは大きな収穫であった。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:16| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月21日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・東公園)

20140621-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)→こちら

西鉄の福岡駅に降り立った私たちは地下鉄に乗り換え、馬出九大病院前駅で下車した。馬出九大病院前駅は「まいだしきゅうだいびょういんまええき」と読む。この難読名には参った。地上に出て東公園へ向かった。東公園が近づくにつれて、林のなかから巨大な銅像が姿を現した。東公園に隣接する宗教法人日蓮聖人銅像護持教会が管理する銅造日蓮上人立像である。明治37年(1904)に完成した青銅製の像で福岡市の文化財に指定されている。重量は74.25トン、像高は10.55メートル。その度肝を抜くスケールの大きさに、我々一同、圧倒された。東公園には、もう一つ、福岡県指定の有形文化財に選ばれている銅造亀山上皇立像もある。こちらは台座部分を除いた高さが4.8メートル。高村光雲の弟子・山崎朝雲によって木彫の原型が制作され、明治37年(1904)に建立された。後藤明生は、早稲田大学を卒業した日の翌日、福岡へと舞い戻っている。そして、一年近く、福岡の街でぶらぶらしている。そのときのことは、たとえば、「『司馬遷』と失業の思い出」(『円と楕円の世界』所収)のなかで次のように綴られている。「ナベ底景気といわれた、昭和三十二年だった。大学卒の初任給が、確か八、九千円代ではなかったろうか。福岡市におけるわたしの失業生活は、翌年の三月、中学、高校、大学の先輩に当るH氏の紹介で博報堂に入るまで、三百五十日くらい続いたわけだが、そのうちの約半分を、わたしは自転車で図書館へ通うことで過ごした。市立だろうか?県立だろうか?いずれにせよ木造平屋の粗末な建物で、博多湾を睨んで立っている亀山上皇と日蓮上人の銅像のある東公園の、松林の中にあった。入館料は八円か十円、あるいは学生六円、一般が十二円という料金だったかも知れない。とにかく半端な数字だったような気がする」。「市立だろうか?県立だろうか?」と記されているが、昭和32年当時、後藤明生が通っていた東公園内の図書館とは、福岡県立図書館のこと。昭和20 年 6 月 19 日、戦災によって焼失したため、東公園内に移転。昭和24 年7 月より閲覧を再開している。当時、後藤明生はここで武田泰淳の『司馬遷』を読み、衝撃を受けたという。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:17| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大宰府)

20140620-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)→こちら

最終日、まず目指したのは大宰府である。都府楼跡を見学した後は観世音寺を訪れた。観世音寺では収蔵庫に収められている巨大な仏像群に圧倒された。太宰府天満宮まではタクシーを利用した。いずれも二十数年振りの訪問であった。観世音寺の仏像群は二十数年前に訪れたときも圧倒されたが、今回もやはり圧倒的であった。私たちは太宰府天満宮の参道脇の店で昼食をとり、電車を乗り継いで福岡市内へと向かった。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:06| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月18日

たびねす掲載情報58

20140618-1.bmp

前回、たびねすに第57回(古代の大阪にタイムスリップ!河南町の「近つ飛鳥博物館」)について記したことは6月15日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは兵庫県篠山市の兵庫陶芸美術館です。ご覧下さい。

【雄大な大自然も満喫しよう!篠山市の兵庫陶芸美術館】
兵庫陶芸美術館といえば、日本六古窯の一つに数えられる丹波焼の産地に立つ美術館。館内には丹波焼をはじめ、兵庫県にゆかりのある陶磁器が数多く展示されています。しかし、当館の特徴は館内の展示品にだけあるわけではありません!今回は豊かな自然にかこまれた陶芸美術館の館外スペースをご紹介し、のんびりした時間を過ごせる、美術館そのものの魅力をお伝えしましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4514/
ラベル:美術館
posted by 乾口達司 at 21:07| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月17日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・二日市温泉)

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)→こちら

この日は二日市温泉に宿泊した。宿泊先は二日市温泉大観荘である。大浴場の泉質は前日の原鶴温泉よりも温泉らしく、硫黄のにおいも認められた。夕食は外でとる予定であったため、あたりをぶらつく。そして、行き当たりばったりでとある居酒屋に入った。ビールを注文した後は焼酎へと移行した。「馬のたてがみ」と呼ばれる馬肉をいただいた。焼酎によく合う味であった。部屋に戻ってからもアルコールを摂取。結局、床についたのは、日付が変わってからであった。(続く)
ラベル:温泉 後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:09| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月15日

たびねす掲載情報57

20140615-1.bmp

前回、たびねすに第56回(源頼朝から岡晴夫まで!旧下総国の総鎮守・市川市の葛飾八幡宮)について記したことは6月12日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは大阪府河南町の近つ飛鳥博物館です。ご覧下さい。

【古代の大阪にタイムスリップ!河南町の「近つ飛鳥博物館」】
古墳時代から飛鳥時代にかけて、大阪は仁徳天皇陵古墳を筆頭に巨大古墳が次々に築かれた王陵墳墓の地でありました。そんな古代史の舞台に立つのが、河南町の大阪府立近つ飛鳥博物館。展示品の多くが大阪府下から出土した古墳時代・飛鳥時代の遺物によって占められており、考古学や古代史に関心を持つ人にはぜひ訪れていただきたい博物館。今回は近つ飛鳥博物館を紹介し、古墳時代・飛鳥時代の大阪にタイムスリップしてみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4491/
ラベル:博物館 古墳
posted by 乾口達司 at 20:06| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月14日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・大刀洗平和記念館)

20140614-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)→こちら

タクシーは、無事、甘木鉄道の甘木駅に到着した。老運転手とはここでおサラバである。私たちは無事に甘木駅まで到着出来たことを神さまに感謝した。甘木駅からは電車に乗って筑前町立大刀洗平和記念館を目指した。大刀洗平和記念館は、戦時中、東洋一とうたわれた陸軍大刀洗飛行場があったところに建てられている。館内には陸軍九七式戦闘機や海軍零式艦上戦闘機三二型などが展示されており、見応えがあった。私たちが訪れた3月27日は、大刀洗飛行場にとって、祈念すべき日であった。69年前の3月27日、大刀洗飛行場はアメリカ軍による爆撃を受け、非戦闘員をふくめ、多くの人命が失われたのであった。当日はそれにちなんで献花台が設けられており、私たちもささやかながら献花をさせていただいた。後藤明生は「子供地蔵」(『スケープゴート』/日本文芸社/1990年8月刊)のなかで次のように記している。「それから、フーボーガラスを思い出しました。敗戦後、そちら(津軽)の方はどうだったかわかりませんが、ぼくが引揚げて来て転入した中学では、戦闘機や爆撃機の風防ガラスの破片が大流行でした。近くに陸軍航空隊の大刀洗飛行場があったせいかも知れません。たぶん復員兵や、勤労動員されていた中学生たちが持ち出して、ばらまいたせいでしょう。あるいは子供たちが拾って来たのでしょう。中には、器用に(その風防ガラスで)下敷きやら三角定規やらを作っているものもいました。どちらにも、やや厚すぎる感じでしたが、そう見えたのは、本当は半分はネタミからです。なにしろ、ただの破片だけでも、当時の中学生にとっては宝物みたいなものでしたから。/まず、第一に、あの何ともいえぬにおいです。机の角でこすって鼻に当てると、ぷうんと甘いにおいがしました。ズボンや袖口でこすっても同じです。まあ、シンナー遊びみたいなものだったかも知れませんが、中毒で倒れたという話はきかなかったようです。それに、においは、ほんの数秒間です。ちょうど深呼吸一回分くらいではなかったかと思う。その間に、大急ぎで鼻をくんくんやるわけです」。大刀洗飛行場で拾って来た風防ガラスの話は、後日、H氏からもうかがった。H氏も「こすったら甘いにおいがしたんですよ」とおっしゃっていた。当時を知るものからすれば、風防ガラスといえば、そのまま「甘いにおい」という言葉が導き出されるのであろう。ただ、残念なことに、大刀洗平和記念館には風防ガラスは展示されていなかった。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:40| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月12日

たびねす掲載情報56

20140612-1.bmp

前回、たびねすに第55回(続発する怪奇現象!斉明天皇の崩御をめぐる福岡県朝倉市の旅)について記したことは6月8日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは千葉県市川市の葛飾八幡宮です。ご覧下さい。

【源頼朝から岡晴夫まで!旧下総国の総鎮守・市川市の葛飾八幡宮】
JR総武本線本八幡駅や京成電鉄八幡駅の名の由来ともなった葛飾八幡宮は旧下総国の総鎮守。その格式にふさわしく、広い境内には数々の文化財が点在しています。さらに、古来、人々の崇敬を集めてきた歴史を物語るかのように、葛飾八幡宮と関わりを持った歴史上の偉人たちの偉業までもしのぶことができます。今回はいまなお人々に親しまれている関東屈指の古社・葛飾八幡宮を紹介し、その豊かな歴史性と魅力に迫ってみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4474/
ラベル:神社
posted by 乾口達司 at 19:34| 奈良 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月10日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉橘広庭宮跡)

20140610-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)→こちら

斉明天皇が暮らした朝倉橘広庭宮の所在地ははっきりしない。その所在地には諸説があるが、朝倉市では、朝倉の名の由来となった朝闇神社の付近一帯をその候補地として挙げている。神社の裏手には「橘廣庭宮之蹟」と刻まれた写真の石碑が立つほか、福岡県の史跡に指定されている長安寺廃寺跡などが点在しており、当地が古代から数々の歴史を堆積させたスポットであることは間違いない。猿沢池という名の小さなため池が残っているのには驚いた。奈良県出身にとって、猿沢池といえば、興福寺の境内にある猿沢池のことを指すからである。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:06| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月08日

たびねす掲載情報55

20140608-1.bmp

前回、たびねすに第54回(蒙古を迎撃せよ!元寇ゆかりのスポット・福岡市の東公園)について記したことは5月27日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは福岡県朝倉市の斉明天皇関連スポットです。ご覧下さい。

【続発する怪奇現象!斉明天皇の崩御をめぐる福岡県朝倉市の旅】
斉明天皇といえば、大化の改新の功労者として知られる中大兄皇子の母親として知られています。しかし、その斉明天皇がいつ、どこで、どのように崩御されたか、ご存知ですか?『日本書紀』をひもとくと、実は崩御の直前、天皇には数々の怪奇現象が襲い掛かっているのです。天皇さえも悩ました怪奇現象とは、いったいいかなるものか?今回は福岡県朝倉市に残る斉明天皇ゆかりの地をめぐり、その戦慄すべき事態をご紹介しましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4418/
ラベル:天皇
posted by 乾口達司 at 19:49| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月07日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・桂の池の跡)

20140607-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)→こちら

老人の危なっかしい運転にもかかわらず、私たちを乗せたタクシーは、無事、入地地区に入った。ところが、桂の池の跡が入地地区のどのあたりにあるのか、さっぱりわからない。集落のなかに入ったタクシーは桂の池の跡を探して狭い路地をうろうろした。結局、福成神社の前にタクシーを止め、神社の境内に入っていく村人を呼び止めて、その所在地を訊ねることにした。村人によると、桂の池の跡は私たちが入地地区に入って来た道路から一本北側の道路脇にあるという。わざわざ遠くから見に来ていただくほどのものではないのですけれども。村人はそういって苦笑いをした。そして、実際、桂の池の跡にたどり着いたとき、村人が苦笑いをした理由がよくわかった。桂の池の跡は、その名のとおり、池の跡地でしかなかったからである。しかも、これが池の跡だといわれなければ気がつかないほど、小さな区画に過ぎなかった。もちろん、池の痕跡など見当たらなかった。強いてあげれば、敷地内が道路より一段低くなっているくらいである。当地は宝生流の謡曲『綾の鼓』ゆかりの地。物語は斉明天皇が朝倉橘広庭宮に滞在していたときのエピソードにもとづいている。主人公は庭掃き番の老人・源太郎。源太郎は宮廷につかえる一人の女御に恋心を抱くが、女御は打っても鳴り響かない綾の鼓を源太郎に与え、その思いを拒絶。絶望した源太郎は桂の池に身を投じる。後藤明生はこのエピソードを「恋木社」(『八月/愚者の時間』所収)という小説のなかで紹介している。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:34| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・タクシーの老運転手)

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)→こちら

私たちの次の目標は入地地区にあるとされる桂の池跡であった。ところが、三連水車から入地地区まではかなりの距離がある。思い切ってタクシーを呼ぶことにした。十数分後、現われたタクシーの運転手は八十歳前後と思しき老人であった。ところが、この老人、何と桂の池跡の所在地を知らなかった。普段、筑後川の南側に位置する浮羽地区で営業をしているため、筑後川の北に広がる朝倉市内の名所旧跡には詳しくないという。かろうじて入地地区の位置だけは知っているということであったため、とにかく入地地区までタクシーを走らせてもらうようにお願いをした。ところが、この老人の運転が何とも危なっかしい。運転中、何度も激しく咳き込み、乗車している私たちを慌てさせた。しかも、職業柄、突然、目の前に飛び出して来る対向車に注意するためであろうか、ハンドルを握りながら、5秒に1度の割合で必ず右を振り向く。対向車の現われる心配のない一本道を走っていても、5秒に1度の割合で必ず右を振り向く。反対にすぐ前を車が走っていても、5秒に1度の割合で必ず右を振り向く。そして、突然、咳き込む。その繰り返しである。あたかも機械仕掛けの人形であるかのような老人の所作を目にして、私の隣にすわるA氏などは笑いをこらえるために途中から目を瞑り、眠ったフリをしていたほどである。乗務員証の写真におさめられている老人の写真もいまから3、40年ほど前に撮られたと思しき若々しい姿であった。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 15:31| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月03日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・三連水車)

20140603-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)→こちら

朝倉の地をはじめて訪れたのは、高校生のときである。もちろん、当時、後藤明生の名を知っているはずもなかった。朝倉の地を訪れたのは、単なる偶然に過ぎない。朝倉の名物となっている三連水車はそのときにも見学をした。大学に進学し、後藤明生のもとに出入りするようになって、後藤明生が朝倉と深い関わりを持っていることを知った。高校生のときに朝倉を旅したことがあると話すと、後藤明生は三連水車を見たかと訊ねた。大したものではないのだが、あのあたりでは三連水車が名物になっているのである。後藤明生はそういって少し照れ臭そうであった。今春の福岡紀行で久し振りに三連水車を見学したとき、私は当時のやりとりを思い出した。当時、水車は広大な田圃の真ん中にぽつんとあったのではなかろうか。しかし、いまではあたりは立派な公園に変わっていた。観光客相手の道の駅まで出来ていた。私たちはここで昼食をとった。暑い日であった。私はついでにアイスクリームも注文した。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:23| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月02日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿橋)

20140602-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)→こちら

写真は5月29日の記事に掲載した写真とほぼ同じ位置から撮影したものである。違いといえば、手前に橋の欄干が写り込んでいることくらいであろう。橋の名は恵蘇宿橋。『行き帰り』(中央公論社)では「わたし」宛てに「逸平」という未知の人物から封書が届けられる。封書のなかに同封されていた写真には4人の青年が並んでおり、彼らが立っている場所こそ恵蘇宿橋の上であった。そして、4人の青年のなかには「わたし」の父もふくまれていた。橋の上に居並ぶ彼らの様子は次のように記されている。「この写真の構図を決めているのは橋の欄干である。がっちりした素朴な木の欄干だった。それが右下から斜めに左上へ伸びており、右端の人物はカンカン帽に白浴衣姿で欄干にもたれている。素足に下駄ばきである。その足下に夏草が見えた。二人目、これは手紙にあった五高生だろう。黒の学生帽に眼鏡をかけ、夏服のボタンをはずして、裸足で欄干に腰かけている。その足下に、鼻緒のゆるんだ差し歯の下駄が見えた。三人目も欄干に腰かけている。帽子はソフトを真直ぐかぶっている。パナマかも知れない。ただ彼は下駄ばきのまま欄干に跨っているらしく、白浴衣の裾が開き内側がのぞいている。下駄は同じく差し歯である。四人目がわたしの父だった。父は白っぽいハンティングを目深くかぶって、これも欄干に腰かけている。左脚を右脚の腿のあたりで組み、右手でその足首のあたりを摑んでいる。そのため白浴衣の裾がまくれて右の脛は丸出しである。胸のあたりもはだけていた。下駄は差し歯である。/橋の畔に杉皮葺きの小屋があった。その少し先に小さな藁屋根が一つ見えた。間に、いかにも堂々たる楠の大木があった。太い幹が三股に分かれて扇形に広がり、葉はくろぐろと繁っていた。遠景は、ぼうっとかすんでいる。真夏の真昼のせいかも知れない。写真には誰の影も見えなかった。遠くにぼうっとかすんでいるのは、山並のようである。耳納連山ではないかと思った」。私の撮影した写真は引用箇所を意識して撮影したものである。もちろん、現在、橋は建て替えられている。写真に写り込んではいないが、橋の左には平行するようにして自動車専用の橋も設置されている。「いかにも堂々たる楠の大木」とは、5月29日の記事で紹介した「隠れ家の森」である。その背後の山並は「わたし」が述べているように「耳納連山」ではない。麻氐良山である。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:58| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

帰宅しました。

金曜日から東京と千葉に出掛けていました。先ほど無事に帰宅。今回の旅についても、今月以降、折を見て少しばかり書いておきたいと思います。
ラベル:東京 千葉
posted by 乾口達司 at 18:29| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする