2014年05月21日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)

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本籍地・朝倉について語る際、後藤明生は恵蘇宿に鎮座する恵蘇八幡宮(木の丸殿)について繰り返し言及している。たとえば、『行き帰り』では次のように綴られている。「バス停のすぐそばに石の階段があって、それが木の丸殿への登り口だったと思う。わたしは立ち止まった。この石段は、はじめてではなかった。バスの中から、何度も見ていた。しかし下を歩いて通るのははじめてだった。勾配の急な石段だった。わたしはリュックサックを背負ったまま、下から見上げた。木の丸殿は見えなかった。石段は森の中に入っていた。わたしは歩きはじめた。母はすでにバス停に立っていた。木の丸殿のことは何もいわなかった。バスに乗ってからも、母は黙っていた」。終戦後、朝倉の地に引き揚げて来た学生の後藤明生が母親と一緒に買い出しに出た折、恵蘇八幡宮(木の丸殿)の前に立ったときの回想部分である。実際、巨大な鳥居が立つ石段の下に立つと、本殿は見えない。その裏山にある斉明天皇の殯斂地(御陵山)も見えなかった。それにしても、巨大な鳥居である。その威容は田舎の神社のものとは思えぬほどの迫力であった。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:53| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする