2014年05月12日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)

20140512-1.bmp

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら

教法寺は朝倉高校から車で数分のところにあった。今回の福岡訪問で、是非、訪れたいと思っていたお寺である。『嘘のような日常』のなかに教法寺についての言及があったからである。なかでも、私がもっとも興味を持ったのは、次の一節である。「しかし母は、寺からの帰りに一度こんなことをいった。教法寺の欄間の彫刻は曽祖父の作品だそうである。朝鮮に行く前の仕事らしい」。「曽祖父」とは後藤徳次郎のこと。徳次郎は1852年(嘉永5)3月13日生まれ。「朝鮮に行く前の仕事らしい」という箇所からもわかるように、徳次郎は青年時代より宮大工として活躍し、その後、朝鮮半島に渡っている。『夢かたり』などでは、朝鮮半島に渡った後、徳次郎が永興の南山に鎮座していた永興神社をはじめ、朝鮮各地で神社の建立などに関わっていたことが紹介されている。しかし、私はまだ徳次郎が作った実際の作品を目にする機会に恵まれていなかった。それだけに徳次郎の作品かも知れない教法寺の欄間を拝見したいものである。かねてよりそう思っていたのである。福岡に出掛ける前にあらかじめ教法寺に連絡を取り、訪問の許可をいただいていただけに、当日はご住職が私たち一行を快く出迎えてくださった。ご住職に案内していただいたのが、写真の本堂正面の木戸である。木戸の上部には確かに菱格子の欄間が、一対、はめ込まれている。ご住職によると、本堂が再建されたのは明治15年(1882)とのこと。欄間もそのときに作られたのではなかろうかということであった。残念ながら、徳次郎の作であることを示す記録は残されていなかった。しかし、明治15年というと、徳次郎が30歳のときのことである。時代的に徳次郎が製作に関わったことは充分に考えられる。ご住職はさらに渡り廊下の上に取り付けられた鐘楼もそのときにあわせて作られたはずであるとおっしゃっていた。したがって、鐘楼にも徳次郎が製作に関わった部分があるかも知れない。(続く)
ラベル:
posted by 乾口達司 at 21:07| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする