2014年05月29日

後藤明生を読む会(第21回)のお知らせ。

2009年の年末以来、大学時代の同窓生たちと内向の世代の小説家・後藤明生(1932年〜1999年)をめぐる勉強会を立ち上げようと話し合って来た。これまでに何度も会合を重ねた。そして、2010年8月29日に第1回の読書会をもよおすことが出来た。以後、勉強会を重ねて来ている。先日の研究会のことは4月7日の日記に記したとおりである。参加は自由である。興味のある方はいらっしゃって下さい。

■第21回後藤明生を読む会の御案内
2009年の暮れから有志で集まり、内向の世代の文学者・後藤明生の評論集を制作・刊行してみようと話しあってまいりました。それに先立ち、後藤明生の文学をより深く理解するため、これまでに「後藤明生を読む会」を企画・運営し続けております。後藤作品について共同で討議をするなかでお互いの認識と協同性を高めあい、後藤明生論集を執筆・刊行してゆく道筋をつけていければと考えております。特に発表者と聞き手とが相互に入れ替わることで各人がテクストの読み手であると同時に書き手であるという相互変換的な存在へと成長していければと願っております。
さて、来る7月13日、第21回の「後藤明生を読む会」をもよおします。参加資格などは一切ありません。万障お繰り合わせの上、御出席を賜りますよう御案内申し上げます。

日時 2014年7月13日(日)13:00〜17:00
場所 プレラにしのみや6F603集会室(西宮市高松町4-8)→こちら
最寄駅 阪急西宮北口駅
テキスト 後藤明生「関係」(「関係」は『関係』/1971年10月/皆美社や『新鋭作家叢書―後藤明生集』1972年5月/河出書房新社などに収録されています。
会費 500円程度(会場使用料を参加者人数で割ります)
その他 終了後、近くの酒場で懇親会をおこないます(会費は別途)/会場は「GSW読書の会」名儀で手配しています
タグ:後藤明生
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・隠れ家の森)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)→こちら

「隠れ家の森」と呼ばれる楠の巨木は、恵蘇八幡宮から歩いて10分ほどのところに立っている。国内第9位の規模を誇る巨木であるという。後藤明生は「隠れ家の森」について「麻氐良城」(『八月/愚者の時間』所収)のなかで次のように記している。「昔、恵蘇宿に名乗りの関と呼ばれる関所があった頃、故あって名乗れない者たちがこの森をこっそり抜けて行ったのだそうだ」「大楠のまわりは、いまは田圃の中にぽつんと残されてた小さな空地で、古ぼけた青年団の集会所のようなものが傍にあった。わたしと同級生は、大楠のまわりを、黙ってゆっくりと二めぐりばかりした。まわりながら、わたしは、さっきの朝倉弁の誤訳のことを思い出したが、黙ったまままわり続けた。大楠は、国の天然記念物に指定されているらしい。立札には、『胸高周囲一八・二メートル、樹高二六メートル』と書いてあった。しかし樹齢は見えなかった。大枝が一本折れたあとに、セメントが詰め込まれていたが、そのセメントの色も木と同じ色に見えた」。写真は筑後川の堤防から遠景で撮影したもの。その後方、右手の奥に控えるのが「麻氐良城」において言及されている「麻氐良山」である。(続く)
タグ:後藤明生
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2014年05月27日

たびねす掲載情報54

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前回、たびねすに第53回(1万株のアジサイと石仏・仏堂とのコラボ!大和郡山市の矢田寺)について記したことは5月24日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは福岡市の東公園です。ご覧下さい。

【蒙古を迎撃せよ!元寇ゆかりのスポット・福岡市の東公園】
福岡市の東公園といえば、市内有数の大型公園。都会のオアシスとして、日中、福岡市民がくつろいでいる姿をしばしば見掛けますが、そうだからといって、どこにでもある公園と思ったら大間違い!鎌倉時代、日本列島を襲った元寇ゆかりのスポットが園内には点在しており、私たちを中世の世界へといざなってくれます。今回は園内に点在する元寇ゆかりのスポットをめぐり、東公園がたたえる意外な歴史に触れてみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4238/
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2014年05月26日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮3)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)→こちら

後藤明生の小説やエッセイによると、その本籍地(番地)は恵蘇八幡宮の前を走る車道になっているという。写真は恵蘇八幡宮の境内からその車道を見下ろしたもの。厳密にどのあたりかを突き止めてはいないが、おおよそ、写真のあたりではなかろうかと思われる。ちなみに、車道の向こうに流れているのは筑後川である。(続く)
タグ:後藤明生
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2014年05月24日

たびねす掲載情報53

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前回、たびねすに第52回(展示品だけじゃない!奈良国立博物館とその周辺の必見スポット)について記したことは5月22日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは関西屈指のアジサイの名所・矢田寺です。ご覧下さい。

【1万株のアジサイと石仏・仏堂とのコラボ!大和郡山市の矢田寺】
大和郡山市の西方、矢田丘陵の中腹に立つ矢田寺(金剛山寺)は奈良県屈指のアジサイの名所としても知られています。その数、何と1万株!毎年6月から7月上旬にかけて60種類のアジサイが可憐な花を咲かせますが、境内に点在する石仏や仏堂とセットで観賞すると、その光景はいっそう情緒に富んだものとなります。今回は石仏や仏堂とのコラボレーションという観点から、矢田寺に咲き誇るアジサイの魅力をお伝えしましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4111/
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2014年05月23日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮2)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)→こちら

恵蘇八幡宮の裏山にあるのが、写真の斉明天皇殯斂地(御陵山)である。後藤明生は「麻氐良城」(『八月/愚者の時間』所収)のなかで斉明天皇の死をめぐる『日本書紀』の記述に言及している。そして、岩波書店版・日本古典文学体系『日本書紀』下巻の当該記事に付された「注」について「読んでわたしは、いずれもなるほど、合理明快な注解だと思った。しかし、これではぜんぜん面白くもおかしくもない」と批判している。私が斉明天皇の殯斂地を訪れるのは、13年振りのことである。しかし、その様子は13年前とまったく変わりがないように見受けられた。説明版によると、その形態は前方後円墳ではないかという説があるものの、町では円墳2基とみているとのこと。もちろん、いずれが正しいのか、その判断は私にはつかなかった。(続く)
タグ:後藤明生
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2014年05月22日

たびねす掲載情報52

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前回、たびねすに第51回(暗殺!寝返り!下克上!戦国の梟雄・宇喜多直家をめぐる岡山の旅)について記したことは5月19日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは奈良国立博物館です。ご覧下さい。

【展示品だけじゃない!奈良国立博物館とその周辺の必見スポット】
奈良国立博物館といえば、秋の正倉院展をはじめとして数々の展覧会がもよおされる、奈良を代表する博物館。「奈良博」の愛称で語られる博物館の館内には素晴らしい美術品が数多く展示されており、それらに感銘を受ける人も多いはず。しかし、館内の展示品だけでは「奈良博」の魅力は語れません!今回は「奈良博」とその周辺に点在するスポットを紹介し、「奈良博」自体がいかに魅力的なスポットであるかをお伝えしましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4148/
タグ: 博物館
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2014年05月21日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇八幡宮1)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)→こちら

本籍地・朝倉について語る際、後藤明生は恵蘇宿に鎮座する恵蘇八幡宮(木の丸殿)について繰り返し言及している。たとえば、『行き帰り』では次のように綴られている。「バス停のすぐそばに石の階段があって、それが木の丸殿への登り口だったと思う。わたしは立ち止まった。この石段は、はじめてではなかった。バスの中から、何度も見ていた。しかし下を歩いて通るのははじめてだった。勾配の急な石段だった。わたしはリュックサックを背負ったまま、下から見上げた。木の丸殿は見えなかった。石段は森の中に入っていた。わたしは歩きはじめた。母はすでにバス停に立っていた。木の丸殿のことは何もいわなかった。バスに乗ってからも、母は黙っていた」。終戦後、朝倉の地に引き揚げて来た学生の後藤明生が母親と一緒に買い出しに出た折、恵蘇八幡宮(木の丸殿)の前に立ったときの回想部分である。実際、巨大な鳥居が立つ石段の下に立つと、本殿は見えない。その裏山にある斉明天皇の殯斂地(御陵山)も見えなかった。それにしても、巨大な鳥居である。その威容は田舎の神社のものとは思えぬほどの迫力であった。(続く)
タグ:後藤明生
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2014年05月19日

たびねす掲載情報51

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前回、たびねすに第50回(旧岡山藩主・池田家の権勢をしのぶ!岡山市中区の曹源寺)について記したことは5月15日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは岡山の戦国大名・宇喜多直家です。ご覧下さい。

【暗殺!寝返り!下克上!戦国の梟雄・宇喜多直家をめぐる岡山の旅】
大河ドラマ『軍師官兵衛』のなかでもっとも強烈な個性を発揮している人物といえば、陣内孝則演じる岡山の戦国大名・宇喜多直家でしょう。名軍師の誉れの高い黒田官兵衛さえも翻弄し、織田と毛利の対立を利用して勢力の拡大をはかろうとする毒々しさに圧倒された人も多いはず。しかし、そんな直家がどのような生涯を送ったか、ご存知ですか?今回は戦国の梟雄・直家ゆかりの地をめぐり、その波乱に満ちた生涯をたどってみましょう。
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4136/
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2014年05月18日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・恵蘇宿)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)→こちら

西鉄バスに乗り込んだ私たち一行が降り立ったのは「恵蘇宿」という名のバス停である。後藤明生の『行き帰り』には次のような記述がある。「恵蘇宿はわたしの本籍地一帯の通称らしい。それを祖母は『ヨソンシク』といっていた」。つまり、私たちは後藤明生の本籍地に降り立ったわけである。前日とは打って変わり、良い天気である。厚手のジャンパーを着て来たA氏などはひどく暑そうであった。おまけにA氏のリュックのなかには、昨夜、呑み残した焼酎のボトルもリュックも仕舞われており、重そうである。私たちは降り注ぐ日差しのなかを木の丸殿とも呼ばれる恵蘇八幡宮へ向けてとぼとぼ歩き出した。(続く)
タグ:後藤明生
posted by 乾口達司 at 19:08| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月17日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・原鶴温泉)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
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O先生宅を辞した後、H氏の案内で宿泊先の原鶴温泉へ向かった。ところが、途中で道に迷い、原鶴温泉に到着するまでにかなりの時間を要した。たぶん、車は筑後川沿いに原鶴温泉へと向かったのであろう。原鶴温泉は筑後川沿いに開けた温泉街である。したがって、筑後川に沿って進めば、やがて原鶴温泉に到着するはずである。事実、H氏の車は筑後川の土手の上を通る車道を走った。ところが、土手の上の車道を走っているつもりが、車はいつしか土手から離れていく。そして、気がつくと、見知らぬ集落のなかに迷い込んでしまっている。そのたびにH氏は集落に暮らす村人のもとを訊ね、集落から脱出し、筑後川沿いの土手へと戻る道を教えてもらっていた。そんなことを2、3度、繰り返したのではなかろうか。原鶴温泉ではホテルパーレンス小野屋に宿泊した。一息ついていると、関西を午後から旅立ったK氏が到着した。K氏は、この日、校務の都合で早朝から出発することが出来ず、校務の終了後、新幹線に飛び乗り、夕方、ホテルパーレンス小野屋に到着したのであった。私はK氏がJR博多駅経由でやって来るものと思っていた。しかし、K氏は博多駅を通り過ぎ、久留米駅で新幹線を降りて久大本線に乗り換え、筑後吉井駅からタクシーを飛ばしてやって来たという。夜は「反省会」と称して深夜未明まで酒を呑んだ。就寝する頃には、夕方、ホテルの売店で買い求めた焼酎のボトルの中身はほとんど残されていなかった。翌朝は「上原鶴サンライズ前」というバス停から西鉄バスに乗った。福岡といえば、西鉄バスである。しかし、バス停の表示は意味不明であった。「?」は私たち自身に突きつけられた謎のようであった。(続く)
タグ:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:11| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

たびねす掲載情報50

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前回、たびねすに第49回(土俵にあがってどすこい!どすこい!奈良・葛城の相撲館けはや座)を記したことは5月8日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは岡山藩主・池田家の菩提寺である岡山市中区の曹源寺です。ご覧下さい。

【旧岡山藩主・池田家の権勢をしのぶ!岡山市中区の曹源寺】
「岡山市中区の曹源寺は岡山県屈指の禅寺。寺で修行を積む数十人の僧侶がすべて外国人であるということもあり、禅に関心を持つ人々を中心に、その名は世界中に広く知れ渡っています。そして、その境内には旧岡山藩主・池田家ゆかりの方々が眠る墓所をはじめ、貴重な文化財も数多く点在しています。今回は境内を散策し、岡山藩主・池田家の権勢をしのばせる曹源寺の豊かな歴史と魅力をお伝えしましょう。」
(続きは以下のURLをクリック!)

http://guide.travel.co.jp/article/4086/
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2014年05月14日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・O先生と)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
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後藤明生の恩師に当たるO先生宅にはその日の午後にうかがった。大正9年のお生まれであるにもかかわらず、先生は矍鑠としており、とても90幾つの御歳であるとは思えないほどであった。後藤明生の学生時代のエピソードのほか、当時の朝倉高校の雰囲気、当地の歴史性や風土性、O先生のお婆さまと深い関わりを持つ夏目漱石に関する話題などにまで話がおよび、結局、2時間以上もお話をうかがってしまった。先生のご許可をいただいていないので、うかがった話の内容をここに記すことは控えるが、非常に充実したものであったことだけは記しておきたい。ただ、一点だけ記しておくと、先生によると、『挾み撃ち』で描かれる当時の甘木の街の描写や説明にフィクションは交じっていないという。主人公の「わたし」を娼婦の「ヨウコさん」のもとに案内してくれる「久家」も実在の人物であるということであった。(続く)
タグ:後藤明生
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2014年05月12日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・教法寺)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)→こちら

教法寺は朝倉高校から車で数分のところにあった。今回の福岡訪問で、是非、訪れたいと思っていたお寺である。『嘘のような日常』のなかに教法寺についての言及があったからである。なかでも、私がもっとも興味を持ったのは、次の一節である。「しかし母は、寺からの帰りに一度こんなことをいった。教法寺の欄間の彫刻は曽祖父の作品だそうである。朝鮮に行く前の仕事らしい」。「曽祖父」とは後藤徳次郎のこと。徳次郎は1852年(嘉永5)3月13日生まれ。「朝鮮に行く前の仕事らしい」という箇所からもわかるように、徳次郎は青年時代より宮大工として活躍し、その後、朝鮮半島に渡っている。『夢かたり』などでは、朝鮮半島に渡った後、徳次郎が永興の南山に鎮座していた永興神社をはじめ、朝鮮各地で神社の建立などに関わっていたことが紹介されている。しかし、私はまだ徳次郎が作った実際の作品を目にする機会に恵まれていなかった。それだけに徳次郎の作品かも知れない教法寺の欄間を拝見したいものである。かねてよりそう思っていたのである。福岡に出掛ける前にあらかじめ教法寺に連絡を取り、訪問の許可をいただいていただけに、当日はご住職が私たち一行を快く出迎えてくださった。ご住職に案内していただいたのが、写真の本堂正面の木戸である。木戸の上部には確かに菱格子の欄間が、一対、はめ込まれている。ご住職によると、本堂が再建されたのは明治15年(1882)とのこと。欄間もそのときに作られたのではなかろうかということであった。残念ながら、徳次郎の作であることを示す記録は残されていなかった。しかし、明治15年というと、徳次郎が30歳のときのことである。時代的に徳次郎が製作に関わったことは充分に考えられる。ご住職はさらに渡り廊下の上に取り付けられた鐘楼もそのときにあわせて作られたはずであるとおっしゃっていた。したがって、鐘楼にも徳次郎が製作に関わった部分があるかも知れない。(続く)
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posted by 乾口達司 at 21:07| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月11日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」追記)

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)→こちら

朝倉高校で発見した「五月の幻想」のことは以前に記した。先日、朝倉高校同窓会事務局の御厚意により、そのコピーを頂戴することが出来た。真っ先に確認したのは、詩の末尾に記された日付である。そこには「一九五ニ・五・一三」と記されていた。校長室で実物を拝見したとき、私は「一九五三」の部分を「一九五二」と判読したものの、その後、「一九五三」の見誤りであるということを4月4日付けの「後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)」に記した。しかし、やはり「一九五二」が正しかったようである。ということは、「五月の幻想」は後藤明生が上京した年の春に書かれたものであるということになる。以上、その点を訂正しておきたい。(続く)
タグ: 後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:17| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・旧将校町)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)→こちら

朝倉高校の同窓会事務局を辞した後、H氏が案内してくださったのは、同窓会事務局の裏手に位置する旧将校町であった。終戦後、朝鮮半島から引揚げて来た後藤一家が身を寄せていたところである。『挾み撃ち』には旧将校町のことが次のように紹介されている。「わたしが住んでいたのは、戦争中は将校町と呼ばれた一角だった。三里ばかり離れたところに陸軍の太刀洗飛行場と高射砲連隊があって、そこの将校の家族たちが住んでいたらしい。らしい、というのは、わたしは敗戦の翌年に北朝鮮からそこへ引揚げてきたからである。母方の祖母と伯母の家族が住んでいる家へ転がり込んだわけだ。町名はもちろん変っていた。将校の家族たちもすでにいなかった。戦後は、中学、高校の教師が多かったようだ。国漢系が三人、物理、生物、英語、図工、書道、と周りは教師だらけだった。隣は地歴の教師。母の兄に当たる伯父はすでに死亡していたが、彼も兄やわたしが卒業した県立中学の物理、数学の教師だった。伯母も、同じ町の県立高女の国漢教師である。/もと将校町は、筑前の田舎町の中では落ち着いた住宅地といえた。伯母の家族との同居とはいえ、北朝鮮からの引揚者にはもったいないような場所だった。赤煉瓦造りの門があり、座敷の両側には幅一間の廊下と縁側があり、小さいながら野菜を作れる程度の庭もあった。学校へも走れば一分である。もっとも借家で、家主はブラジルだかハワイだかから帰って来たという老夫婦だった」。現在、かつての将校町には真新しい家屋がたくさん建てられている。普請中のものも幾つか見られた。何しろ、後藤明生が身を寄せていた時代から60年以上の歳月が流れているのである。事実、後藤明生の一家が身を寄せていた建物も存在しない。一家が身を寄せていた建物の跡地には、現在、「メゾン寿」というハイツが建てられている。写真の手前に見えるハイツが「メゾン寿」である。H氏によると、伯母の家には、もっとも多いときで3家族が身を寄せていたという。当然、めいめいが自分たちの専用の部屋を持つことなど許される状況ではない。後藤明生やその兄などは使用人が使う小部屋を使って、日夜、勉学にいそしんでいたという。(続く)
タグ:後藤明生
posted by 乾口達司 at 10:47| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

たびねす掲載情報49

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前回、たびねすに第48回(巨大観音がお出迎え!ずば抜けたスケールを誇る大観音加賀寺)を記したことは5月2日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは奈良県葛城市の相撲館けはや座です。ご覧下さい。

第49回「土俵にあがってどすこい!どすこい!奈良・葛城の相撲館けはや座」

http://guide.travel.co.jp/article/3969/
タグ:土俵 相撲
posted by 乾口達司 at 20:36| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

帰宅しました。

ゴールデンウィーク中、瀬戸内方面を旅して来ました。無事、昨日の夜に帰宅しています。今回の旅の成果は何らかの形でオンライン上に反映していきたく思います。
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posted by 乾口達司 at 19:59| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

たびねす掲載情報48

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前回、たびねすに第47回(東播磨の雄・別所長治VS秀吉!三木合戦ゆかりの地をめぐる)を記したことは4月29日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは石川県の大観音加賀寺です。ご覧下さい。

第48回「巨大観音がお出迎え!ずば抜けたスケールを誇る大観音加賀寺」

http://guide.travel.co.jp/article/3893/
タグ:仏像
posted by 乾口達司 at 17:41| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月01日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「幻の故郷」)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)→こちら

「幻の故郷」と題された後藤明生のエッセイは甘木朝倉法人会より刊行された「法人会だより」第3号(1976年)に掲載されている。ここで記されている「故郷」とは、朝倉高校のある甘木・朝倉の地のことである。「幻の故郷」では、後藤明生がその年の3月に久し振りに朝倉の地を訪れたことが記されている。文末には「このあたりのことは、そのうち一度、是非、小説に書きたいと思っている」と記されているが、その思いは、後年、『八月/愚者の時間』(作品社/1980年)に結実することになる。「幻の故郷」の自筆原稿もあわせて保存されていたのは貴重である。(続く)
タグ:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:57| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする