2014年04月28日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」2)

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」3)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」4)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」5)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「五月の幻想」6)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・後藤明生文庫)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・若き日の後藤明生)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑1)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・学生歌歌碑2)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・『福岡県立朝倉高等学校同窓生名簿』)→こちら
後藤明生をめぐる旅(福岡篇・「記念誌」1)→こちら

もう一点、昭和24年3月20日発行の「記念誌」で注目したいのは、当時、後藤明生が所属していた文藝部の活動状況が「記念誌」のなかで報告されていることである。その内容は、終戦後、朝倉高校に文藝部が成立することになったいきさつが語られた上で主要な部員の活動を紹介するという形でまとめられている。後藤明生(後藤明正)のことは次のように紹介されている。「後藤の出現は、二十三年度の朝高文壇にとつて大きな収穫であつた。處女作“天職”に示した鋭い感覚と上手な技巧は、十七歳とも思えぬ様に秀れていて、小説では文藝部の最先端を行く第一人者である。彼は、技巧派、新感覚派、更にアプレゲール等の種々の良所を巧みに取り入れて自分の作品を秀れたものにした。始め“天職”“二人の乞食”といわゆる乞食物を描いたが、本誌掲載の“ある主義の青年”は、彼の力量を遺憾なく発揮した堂々四十二枚の力作である。現在、併中三年の彼が今度どう伸びるかは、大きな興味と期待を呼ぶものであらう」。(続く)
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:54| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする