2014年03月31日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・朝倉高校)

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後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)→こちら

H氏のお宅にうかがった後、H氏の車に便乗して向かったのは、後藤明生の母校・福岡県立朝倉高等学校である。福岡市内から高速道路を利用して小一時間。朝倉市甘木地区の中心地に位置する朝倉高校に到着した。後藤明生が朝倉高校の前身・朝倉中学校に入学したのは昭和21年5月のこと。その前年の4月に旧朝鮮・元山中学校に入学していたものの、日本の敗戦にともない、元山中学校に通うことが出来なくなったため、内地へ帰って来てからふたたび中学校に入りなおしたのである。その後、学制改革にともない、結局、6年間、同じ学校に通い続けている。私がはじめて朝倉高校を訪れたのは平成13年のこと。そのときは後藤明生の朝倉中学・高校時代の同級生E氏・S氏に案内していただいた。したがって、13年振りの訪問となる。数年前、校舎が全面的に建て替えられたという。そのせいだろう。はじめて訪れたところであるという印象が強かった。今回、ご案内いただいた方がE氏ではなかったことも感慨深い。前回、私を案内してくださったE氏はすでに鬼籍に入られている。合掌。(続く)
ラベル:後藤明生 高校
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2014年03月30日

後藤明生をめぐる旅(福岡篇・H氏と)

出発の朝、奈良はひどい雨だった。新大阪駅から新幹線に乗り込む。新幹線が西に向かうなか、雨は降ったり、やんだりを繰り返した。九州に入ってまず気づいたのは、すでに桜が咲きはじめていたことである。五分咲きくらいのものもあった。博多駅から在来線に乗り換え、香椎駅で下車。後藤明生の弟に当たるH氏と合流した。H氏の車でまず案内されたのは、H氏のご自宅だった。ご自宅でH氏や後藤明生の父親=規矩次氏および曽祖父=徳次郎氏の写真を拝見する。写真の規矩次氏は軍服姿であった。『行き帰り』(中央公論社/昭52・7)のなかで「父の最後の写真は、陸軍歩兵中尉の軍装だった。軍帽を目深くかぶり、椅子に腰をおろして軍刀を突いていた。昭和十九年、最後の応召のときの写真である」と書かれているものである。写真をきっかけにして、H氏からは規矩次氏や徳次郎氏のこと、後藤明生との関わりについてお話をうかがった。H氏は後藤明生のことを「兄貴」と呼んでいた。もちろん、弟であるH氏が後藤明生のことを「兄貴」と呼ぶのは当然である。しかし、私にはひどく新鮮に聞こえた。(続く)
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2014年03月29日

旅に出ていました。

旅に出ていました。今回のテーマは小説家・後藤明生ゆかりの地・福岡を有志でめぐるという企画。関西で続けている後藤明生を読む会の番外編というべき企画であり、参加者も後藤明生を読む会に出席してくれている有志で構成されていました。次回からおもだった訪問先を紹介していこうと思っています。乞うご期待。
ラベル:後藤明生 福岡
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2014年03月25日

たびねす掲載情報41

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前回、たびねすに第40回(意外な歴史を有する大阪府茨木市!茨木城から川端康成…茨木童子!?)を掲載したことは3月17日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは大阪府高槻市の今城塚古代歴史館です。ご覧下さい。

第41回「継体天皇?藤原鎌足?北摂地域の古代史に迫る高槻市・今城塚古代歴史館」

http://guide.travel.co.jp/article/3542/
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石川紀行(ハニベ巌窟院・大巌窟)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら
石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)→こちら
石川紀行(天徳院)→こちら
石川紀行(松任城跡)→こちら
石川紀行(松任城跡・カエデの巨木)→こちら
石川紀行(松任金剣宮)→こちら
石川紀行(ハニベ巌窟院・ハニベ大仏)→こちら
石川紀行(ハニベ巌窟院・阿弥陀洞)→こちら

ハニベ巌窟院といえば、やはりメインの大巌窟を忘れてはならない。阿弥陀洞の脇に設置された建物には、勇馬・伯馬両氏の作品が、多数、陳列されている。その建物を通り過ぎると、いよいよ大巌窟である。巌窟内は、「インド古代彫刻館」など、幾つもの小部屋に分かれており、小部屋ごとに勇馬・伯馬両氏のオブジェがところ狭しと並べられている。それぞれの小部屋をぬうようにして走る通路の長さは150メートルもあるという。なかでも、地獄の世界を現出させた一連の区画は必見である。地獄世界の入口には地獄に落ちた亡者を責め苛む牛頭馬頭がひかえている。そこから少し進むと、鬼たちがテーブルをかこんで談笑している区画にいたる。その雰囲気はいささか和やかに感じられるかも知れない。しかし、彼らが口にしている食べ物に注目しよう。彼らが食べているのは「目玉の串ざし」「耳と舌の甘煮」「面皮の青づけ」「人血酒」なのである。食卓のとなりではコック姿の別の鬼が人間たちを調理するコーナーも再現されている。写真は巨大な閻魔大王像。その迫力は圧巻である。

【参考記事】
北陸最強の幻想空間・小松市のハニベ巌窟院!地獄めぐりの果てに何を見る?

http://guide.travel.co.jp/article/3219/
ラベル:仏像
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2014年03月24日

石川紀行(ハニベ巌窟院・阿弥陀洞)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら
石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)→こちら
石川紀行(天徳院)→こちら
石川紀行(松任城跡)→こちら
石川紀行(松任城跡・カエデの巨木)→こちら
石川紀行(松任金剣宮)→こちら
石川紀行(ハニベ巌窟院・ハニベ大仏)→こちら

ハニベ大仏は、ハニベ巌窟院ならではの幻想空間にあっては、まだまだ序の口に過ぎない。ハニベ大仏を眺めながら山道を登っていこう。やがて、正面に大きな巌窟が現われる。敷地内にある2つの巌窟のうちの一つ、阿弥陀洞である。洞内には等身大の仏像や空海をはじめとする高僧の坐像などが安置されているほか、かわらけ祈願の区画も設けられている。私もかわらけに願い事を記した。

【参考記事】
北陸最強の幻想空間・小松市のハニベ巌窟院!地獄めぐりの果てに何を見る?

http://guide.travel.co.jp/article/3219/
ラベル:仏像
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2014年03月23日

石川紀行(ハニベ巌窟院・ハニベ大仏)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら
石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)→こちら
石川紀行(天徳院)→こちら
石川紀行(松任城跡)→こちら
石川紀行(松任城跡・カエデの巨木)→こちら
石川紀行(松任金剣宮)→こちら

今回の石川紀行でもっとも楽しみにしていたのは、ハニベ巌窟院である。その創設者は石川県出身の彫刻家・都賀田勇馬。明治24年生まれの勇馬氏は東京美術学校に学び、大正9年、帝展に初入選した。昭和22年には日展の特選にも選ばれており、石川県を代表する彫刻家としてその名は全国にとどろいている。勇馬がハニベ巌窟院を作りはじめたのは、昭和26年のこと。先の大戦で犠牲となった人たちの御魂を鎮め、世界の平和を祈願する目的で、かつて石切り場として使われていた山中の洞窟内に自作の仏像を安置したのがはじまりである。昭和56年に他界した勇馬の志は御子息の伯馬氏に引き継がれ、親子二代にわたって築かれた壮大な幻想空間が、現在、洞窟内で繰り広げられている。立明寺地区を奥へと進んでいくと、突然、山を背にした巨大な仏頭が姿を現す。通称「ハニベ大仏」である。現段階では肩から上の部分しか完成していない。しかし、それでも像高は約15メートルもある。ゆくゆくは像高33メートルの大仏として完成される予定とのこと。のどかな田園風景のなか、突如、出現するこの仏頭だけでも圧巻である。

【参考記事】
北陸最強の幻想空間・小松市のハニベ巌窟院!地獄めぐりの果てに何を見る?

http://guide.travel.co.jp/article/3219/
ラベル:仏像
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2014年03月22日

石川紀行(松任金剣宮)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら
石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)→こちら
石川紀行(天徳院)→こちら
石川紀行(松任城跡)→こちら
石川紀行(松任城跡・カエデの巨木)→こちら

JR松任駅前にかつて存在した松任城跡のことは【たびねす】の記事(石川県・松任駅の地下に眠る松任城!その規模は想像以上!)にも記した。そのなかで城の規模はわれわれの想像よりもさらに大きいことも記しておいた。城の西北部分は、現在、建設中の新幹線の高架をまたぎ、その反対側にまで張り出している。現在、そこに建つのが松任金剣宮である。松任金剣宮は養老元年の創立。松任城の城主だった鏑木氏らに厚く尊崇されており、彼らによって、荘厳な社殿が建立されている。いわば、松任城の守り神というべき存在であるといえよう。松任城が松任金剣宮と隣接していた理由がこの由緒からも納得できる。私が訪れたとき、境内は閑散としていた。

【参考記事】
石川県・松任駅の地下に眠る松任城!その規模は想像以上!

http://guide.travel.co.jp/article/3146/
ラベル:神社
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2014年03月21日

石川紀行(松任城跡・カエデの巨木)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら
石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)→こちら
石川紀行(天徳院)→こちら
石川紀行(松任城跡)→こちら

JR松任駅前にかつて存在した松任城跡のことは【たびねす】の記事(石川県・松任駅の地下に眠る松任城!その規模は想像以上!)にも記した。そこでもっとも感銘を受けたのは、本丸のあったところに生えているカエデの巨木である。これは大きい。見上げるほどの大きさである。この巨木を見る目だけでも松任城跡を訪れる価値はあると思う。実際、さまざまな角度から眺めた。特に真下からの眺めは迫力があった。

【参考記事】
石川県・松任駅の地下に眠る松任城!その規模は想像以上!

http://guide.travel.co.jp/article/3146/
ラベル: カエデ
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2014年03月19日

石川紀行(松任城跡)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら
石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)→こちら
石川紀行(天徳院)→こちら

JR松任駅前にかつて存在した松任城跡のことは【たびねす】の記事(石川県・松任駅の地下に眠る松任城!その規模は想像以上!)にも記した。松任城の築造は、平安時代末期にさかのぼる。当時、この地を支配していた松任氏の館が置かれたのが、そのはじまりである。戦国時代に入ると、一向一揆の旗本「松任組」の本拠地となり、次第に城砦の形が整えられた。天正5年(1577)には、上杉謙信と織田信長の軍勢とが激突した手取川の合戦に際して、上杉軍の猛攻にさらされた。落城したのは天正8年(1580)。柴田勝家によって落とされた。その後は前田利長などの支配下に置かれ、慶長19年(1614)、江戸幕府の打ち出した一国一城令に先駆けて、廃城となっている。いまでは本丸跡の上に整備された公園に「松任城址公園」と刻まれた石碑などが立っているに過ぎない。しかし、その城域はかなりの規模であったという。公園に生えているカエデの巨木も見事である。

【参考記事】
石川県・松任駅の地下に眠る松任城!その規模は想像以上!

http://guide.travel.co.jp/article/3146/
ラベル:
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2014年03月18日

石川紀行(天徳院)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら
石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)→こちら

天徳院も雪だった。境内には人っ子一人おらず、雪が降り積もっているだけであった。あまりの寒さのせいか、拝観の受付も堂内でおこなわれていた。受付を済ませると、目の前にストーブがあった。ストーブの前で暖をとっていると、案内役の女性が現れた。ソファーに座るように指示されたため、その指示に従った。その結果、ストーブからは離れることになった。ストーブが発する暖気はソファーまでは届かなかった。おかげで寒さが身にしみた。かたや、案内役の女性はみずからの手をストーブに向けながら寺の由緒来歴を語り続けた。その後、名物のからくり人形劇を見学した。見学者は私一人。からくり人形劇が上演される部屋は貸切状態であった。しかし、入口付近に案内役の女性が立ちはだかっている状態では、私にからくり人形劇を最後まで見学する義務が生じていることも意味していた。そして、実際、私はからくり人形劇を最後まで見ることになった。からくり人形は思いのほか動きに乏しかった。もっとアクティブに暴れまくったり、飛び跳ねたりするものかと思っていただけに少しがっかりだった。最後に天狗や烏天狗、狐の巨大なお面が掛けられた別棟に案内された。その巨大さが非現実的でからくり人形よりも強く印象に残った。天徳院といえば、私にとっては、からくり人形ではない。やはり、巨大なお面である。
ラベル:
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2014年03月17日

たびねす掲載情報40

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前回、たびねすに第39回(怨霊封じ!?奈良市南郊に点在する崇道天皇(早良親王)ゆかりの地探訪)を掲載したことは3月5日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは大阪府茨木市中心部に点在する名所旧跡です。ご覧下さい。

第40回「意外な歴史を有する大阪府茨木市!茨木城から川端康成…茨木童子!?」

http://guide.travel.co.jp/article/3445/
ラベル:石塔
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2014年03月13日

雨のなかの散髪と打ち合わせ。

朝から雨のなか散髪へ。髪の毛はすっきりしたものの、店を出たとたん、雨にやられる。おかげでせっかくセットしてもらった髪が台無しである。その後、仕事の打ち合わせで大阪へ。打ち合わせをしている最中、雨がもっともひどかった。打ち合わせを終えて帰る際もまだひどかった。しかし、電車に揺られている途中で小振りになった。もうそろそろ止むのではなかろうか。
ラベル:仕事
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2014年03月12日

石川紀行(近江町市場のエレベータ・ウシ)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら
石川紀行(兼六園)→こちら

近江町市場に隣接して駐車場がある。駐車場からエレベータで1階まで下りるとそこはもう近江町市場。写真はそのエレベータである。その名も「ウシ」。そのネーミングには何か意味があるのであろう。しかし、その意味をつかむことが出来なかった。「ウシ」。どうして!?
ラベル:エレベータ 市場
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2014年03月10日

石川紀行(兼六園)

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石川紀行(大雪のなかの旅立ち)→こちら

金沢に到着後、まず目指したのは、雪の兼六園である。以前、雪の兼六園を目にしたことがある。いまから十数年前のこと。大学に勤務していたとき、真冬の金沢に出張したとき以来である。今回は一面の白銀世界・・・とまではいかなかったが、それでも園内には充分な積雪が認められた。積雪量は十センチくらいだっただろうか。雪化粧を堪能するのであれば、もっと降り積もっていても良かっただろう。しかし、そうなると、今度は歩行が困難になる。今回くらいの積雪でちょうど良かったかも知れない。
ラベル: 庭園
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2014年03月09日

石川紀行(大雪のなかの旅立ち)

石川県を訪れたのは1月のことである。前日は早朝出勤。夕方、無事に仕事を終えて帰宅し、夕食と入浴を済ませるとすぐに床に就いた。翌朝は午前5時起床。京都からはサンダーバードに乗り込み、一路、金沢を目指した。あれから2ヶ月近い歳月が流れている。しかし、いまでも思い出すのは、非常に寒い日であったということだ。列車が滋賀県に入ると、いたるところ、雪の積もっているのが見られた。雪は列車が北上すればするほど深くなった。大雪のなかの旅立ちである。列車はこのまま予定通り金沢に到着できるのか。車窓から外の景色を眺めているうちにそんな不安もよぎった。さいわい、石川県に入ると、積雪量は急に少なくなった。金沢駅には予定通り到着した。午前10時にはすでに金沢の街角に立っていた。
ラベル: 金沢
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2014年03月08日

ドアノブ。

ベランダに出ようとしてドアノブを握った。そして、ドアを開けようとした瞬間、いつもの手応えのないことを感じた。自分の手を見た。ドアノブはドアから離れ、私の左手にしっかり握られていた。ドアノブだけを持っている。それは何ともいえない不思議な感覚であった。あわてて元に戻そうとしたが、ドアノブはうまくはまらない。ようやくはまったかと思うと、またとれる。結局、専門家にお願いをして修理をしてもらった。専門家はすぐにねじを回し、ドアノブをドアに取りつけてくれた。作業時間は30秒もかからなかったのではなかろうか。その早業には驚いた。専門家は「長年、使っていたので緩んだのでしょう」といって、平然と帰っていった。専門家が帰っていった後もドアノブだけを手にする感覚だけは残っていた。何度も書いておこう。それは何ともいえない不思議な感覚であった。
ラベル:ドアノブ
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2014年03月07日

【アーリーバード・ブックス】のご紹介。

1999年に他界した小説家・後藤明生の書籍が、昨年来、電子書籍でよみがえっています。刊行の主体は電子書籍レーベル「アーリーバード・ブックス」。その代表は後藤明生の長女に当たる元子さんです。その元子さんが綴るブログはこちら。是非、ご覧下さい。

http://earlybirdbooks.seesaa.net/
ラベル:後藤明生
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2014年03月05日

たびねす掲載情報39

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前回、たびねすに第38回(巨大な石の御神体にただただ圧倒!巨石信仰のメッカ・玉野市の玉比盗_社)を掲載したことは昨日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは奈良市郊外に点在する崇道天皇(早良親王)ゆかりの地です。ご覧下さい。

第39回「怨霊封じ!?奈良市南郊に点在する崇道天皇(早良親王)ゆかりの地探訪」

http://guide.travel.co.jp/article/3348/
ラベル:神社 天皇
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2014年03月04日

たびねす掲載情報38

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前回、たびねすに第37回(日本最大のチョウも舞う橿原市昆虫館!体験型施設で昆虫に触れよう!)を掲載したことは2月24日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは巨石信仰のメッカ・岡山県玉野市の玉比盗_社です。ご覧下さい。

第38回「巨大な石の御神体にただただ圧倒!巨石信仰のメッカ・玉野市の玉比盗_社」

http://guide.travel.co.jp/article/3347/
ラベル: 神社
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兵庫・岡山紀行(兵庫県三木市の飛び出し坊や)

兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(千体地蔵)→こちら
兵庫・岡山紀行(竹中半兵衛の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(三木城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(淡河弾正忠定範戦死之址)→こちら
兵庫・岡山紀行(別所長治夫妻の首塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(別所長治の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(厄神駅への道)→こちら
兵庫・岡山紀行(曹源寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(大光院・法華題目石)→こちら
兵庫・岡山紀行(熊山遺跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(宇喜多興家の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(黒田家墓所)→こちら
兵庫・岡山紀行(法界院)→こちら
兵庫・岡山紀行(岡山市水道記念館)→こちら

正月の兵庫・岡山紀行も今回で筆をおく。最後に兵庫県三木市で見つけた飛び出し坊やの写真を掲載しておこう。今回はキャラクターものばかりを掲載する。

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ラベル:飛び出し坊や
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2014年03月03日

兵庫・岡山紀行(岡山市水道記念館)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(千体地蔵)→こちら
兵庫・岡山紀行(竹中半兵衛の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(三木城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(淡河弾正忠定範戦死之址)→こちら
兵庫・岡山紀行(別所長治夫妻の首塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(別所長治の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(厄神駅への道)→こちら
兵庫・岡山紀行(曹源寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(大光院・法華題目石)→こちら
兵庫・岡山紀行(熊山遺跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(宇喜多興家の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(黒田家墓所)→こちら
兵庫・岡山紀行(法界院)→こちら

岡山市水道記念館にははじめて訪れた。岡山市水道記念館の開館は1985年のこと。しかし、建物自体はかつての三野浄水場旧動力室・送水ポンプ室を再利用しており、それ以上の歴史を持つ。現在は有形文化財に登録されている。その隣にある旧動力室煙突ともども、建造物の魅力がある。館内では岡山における水道の歴史、水道の仕組みなどが解説されているが、子どもが水に親しめるように、さまざまなアイデアが息づいているのが特徴である。思いのほか楽しめた施設である。またいつか訪れたいと思う。
ラベル:水道
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2014年03月02日

たこ焼き。

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久し振りにたこ焼き機でたこ焼きを作った。1年振りだろうか。それとも2年振りだろうか。とにかく久し振りである。したがって、焼き上がったたこ焼きをうまくひっくり返せなかった。ダシもたっぷり入れてしまったものだから、不恰好なたこ焼きになってしまった。しかし、紅ショウガを入れると、味が引き締まって美味しい。試しにチーズも入れてみた。こちらも正解であった。
ラベル:たこ焼き
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2014年03月01日

兵庫・岡山紀行(法界院)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(千体地蔵)→こちら
兵庫・岡山紀行(竹中半兵衛の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(三木城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(淡河弾正忠定範戦死之址)→こちら
兵庫・岡山紀行(別所長治夫妻の首塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(別所長治の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(厄神駅への道)→こちら
兵庫・岡山紀行(曹源寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(大光院・法華題目石)→こちら
兵庫・岡山紀行(熊山遺跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(宇喜多興家の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(黒田家墓所)→こちら

法界院を訪れたのは2年振りではなかったか。前回の訪問時と同様、正月にもかかわらず、境内は閑散としており、私以外に誰もいなかった。お寺の関係者と思しき人の姿もなく、誰にも声をかけることが出来なかった。したがって、本堂に安置されている毘沙門天像と持国天像はお堂の外から遠目にしか拝観することは叶わなかった。当然、秘仏の聖観音菩薩立像を安置した収蔵庫の開扉もなかった。寒い。それだけが印象として残っている。
ラベル:
posted by 乾口達司 at 21:39| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする