2014年01月31日

兵庫・岡山紀行(別所長治夫妻の首塚)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(千体地蔵)→こちら
兵庫・岡山紀行(竹中半兵衛の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(三木城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(淡河弾正忠定範戦死之址)→こちら

三木城跡から南方へ10分たらずで雲龍寺に到着する。境内の一角には別所長治夫妻の首塚が残されている。三木合戦に敗れた長治は自刃。その首をもらい受けたのが、雲龍寺の住職であったという。ささやかな石塔である。しかし、大切にまつられているのであろう。墓前には花がたむけられていた。花は絶やされることがないのであろう。そう思わせるものがあった。
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2014年01月30日

兵庫・岡山紀行(淡河弾正忠定範戦死之址)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(千体地蔵)→こちら
兵庫・岡山紀行(竹中半兵衛の墓)→こちら
兵庫・岡山紀行(三木城跡)→こちら

淡河弾正忠定範は淡河城の城主。別所長治とは縁者に当たっていたこともあり、三木合戦の折には別所方について奮戦した。天正7年(1579)9月10日、戦死。戦死したとされる場所に写真のような立派な石碑が建てられている。三木城からは5、600メートルの距離であろうか。籠城戦が続くなか、定範が当地まで出っ張って奮戦したことがうかがえる。三木城に兵糧を運び込もうと奮戦した定範一派とそれを防ごうとした羽柴秀吉軍との息詰まる攻防戦が目に浮かんだ。
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2014年01月29日

たびねす掲載情報33

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前回、たびねすに第32回(備前福岡歴史探訪!西国随一の商業地は黒田官兵衛や宇喜多直家とも深い関わりを持つ!)を掲載したことは1月21日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは、謎の古代遺跡として知られる熊山遺跡を擁する岡山県備前地域の名峰・熊山です。ご覧下さい。

第33回「備前随一の名峰・熊山は山歩きのメッカ!歴史遺産から豊かな自然、抜群の眺望まで!」

http://guide.travel.co.jp/article/3028/
タグ: 遺跡
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兵庫・岡山紀行(三木城跡)

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兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
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兵庫・岡山紀行(千体地蔵)→こちら
兵庫・岡山紀行(竹中半兵衛の墓)→こちら

以前、三木城跡の脇を電車で通りすぎたことがある。そのときは車窓から、ああ、あれが名高い三木城跡かと思ったものである。今回、実際に城跡に登り、三木合戦の時代に思いを馳せることが出来た。写真は三木城の城主であった別所長治の石像。長治がなぜ織田信長を裏切ったのか、諸説があるものの、少なくとも勝算であっての裏切りであったことだろう。しかし、実際には籠城戦の果てに多くの将兵を「干し殺し」にしてしまったのである。「干し殺し」は合戦による死傷よりも凄惨である。ひと思いに殺してくれ。そう思っていた将兵も多かったことだろう。開城までのあいだに三木城内でどのような悲劇が起こっていたか。それを思うと身震いがする。
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2014年01月28日

兵庫・岡山紀行(竹中半兵衛の墓)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
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兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(千体地蔵)→こちら

後世、天才軍師と称えられた竹中半兵衛(重治)は、羽柴秀吉による三木城攻防戦のさなか、1579年にこの世を去った。墓は秀吉が本陣を置いた平井山のふもとに残されている。墓の周囲は白壁でかこわれており、墓そのものにはちょっとした盛り土がなされている。盛り土からは樹木が生え、大木にまで育っている。これは埋葬当時に植えられたものが大きく育ったのであろうか。あたりは綺麗に掃き清められている。地元民に手厚く保護されているのであろう。しかし、あたりには誰もいなかった。
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2014年01月27日

後藤明生を読む会(第19回)

後藤明生を読む会(第18回)→こちら

昨日は後藤明生を読む会の第19回がもよおされた。今回のテキストは『笑坂』(筑摩書房/1977年5月)。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。今回は私が基調発表を担当した。その後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておく。

・五街道の一つである中山道が信濃追分を含む軽井沢一帯通っていた関係で、江戸時代には、街道沿いに軽井沢宿・沓掛宿・追分宿という3つの宿場町が点在していた。しかし、明治時代に入ると、街道を往来する人の数が激減する。特に1884年(明治17)、後に国道18号線と呼ばれることとなる碓氷新道が開通したことで人や物資の流れが決定的に変わり、軽井沢の没落を決定づける
・1885年(明治18)、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーがリュウマチの静養を兼ねて軽井沢を訪れたことで、軽井沢に転機のときが訪れる。森林にかこまれた軽井沢の土地や風土に魅了されたショーは、1888年(明治21)、軽井沢に別荘を建てる。以後、軽井沢は外国人向けの避暑地としての名声を確立していくこととなる。注目すべきは、ショーが療養の目的で軽井沢を訪れ、その魅力を発見しているということである。この事実はその後の軽井沢のイメージを考えたとき、きわめて象徴的であるといえる。すなわち、ショーが療養目的で軽井沢を訪れたことにより、軽井沢は「癒しの空間」としての特権性を確保することが出来たのである。もちろん、「癒しの空間」のなかには「避暑」もふくまれる。「軽井沢的なもの」の代表として「癒し」がキーワードになるということをまずは念頭におく必要がある
・文学は「軽井沢的なもの」はより強化された形でそのイメージを大衆に植え付けていく。病や疲れからの回復を目的とした「癒しの空間」を物質的に条件付ける格好のトポスとして外国人に見出された「高原」が、柄谷行人『日本近代文学の起源』において語られる「風景の発見」の対象に含まれることは、明らかであろう。柄谷行人の指摘しているとおり、「風景の発見」は風景を眺める主体の発見、正確にいうと「内面の発見」も意味している。したがって、「癒しの空間」としての「高原」=軽井沢という観念がやがて日本の文学者に引き継がれ、「高原」=軽井沢との親和的で且つ内面的、ロマンティックな結びつき、そのなかで得られる自己恢復、自己再生の物語としての「高原文学」を開花させていったことは当然の軌跡であったといえよう。その代表的かつ典型的な作品として『美しい村』や『菜穂子』に代表される堀辰雄のロマネスク風の小説群をひとまず挙げておく
・「軽井沢的なもの」を強化した存在として、もう一つ、忘れてならないのは「皇室」である。なかでも、軽井沢と皇室との関わりを決定付けたものとして、軽井沢会テニスコートで繰り広げられたいわゆる「テニスコートの恋」を挙げることが出来る。現在の天皇と皇后にあたる2人の男女がテニスを通じて親交を深め、やがて結婚するにいたるというハッピーロマンスを提供した舞台として、軽井沢はいわゆる皇室マニアにとっても一種の聖地というべきところであるといえよう
・以上の点を踏まえると、『笑坂』が「軽井沢的なもの」から大きく逸脱しているということがいえる。その代表的な箇所として欅の大木が倒れているシーンや繰り返し登場する「崖」(穴)、皇太子や堀辰雄に対する無関心の表明部分などを挙げることが出来る
・「癒し」とはそぐわない不気味さが作品全体を覆っているのも「軽井沢的なもの」から『笑坂』を引き離している要因であるといえる。その代表的な作品としては「道」や「煙霊」を挙げることが出来る。特に「道」の花豆老人の存在
・「笑坂」の冒頭には「花豆老人が死んで一年経った。死んだのはお盆の少し前だった。追分のお盆は月遅れの八月である」と書かれている。しかし、「道」のなかで「わたし」が花豆老人と最後に二度遭遇するシーンを読み返してほしい。いずれも「わたし」が老人の姿を目撃するのはバス停である。そして、その目撃した日時は、「八月はまだ数日残っていた」という記述にもあるとおり、お盆が終わり、8月も終盤に入ってからなのである。したがって、「笑坂」の冒頭の一文が正しいとすれば、「わたし」がバス停で目撃した花豆老人は、すでにこの世のものではなかったということになる。つまり、「道」は怪談めいた雰囲気を漂わせた小説ではなく、れっきとした<怪談>にほかならない
・『笑坂』が「癒す」という言葉とそぐわない小説であることの理由として、もう一つ、「わたし」自身の抜群の行動力を挙げることが出来る。「わたし」はひたすら動く存在として描かれている。すなわち、癒す―癒されるという関係から喚起される静的なイメージとはおよそ掛け離れた主人公の抜群の行動力が「癒す」というイメージをたたえる「軽井沢的なもの」から本作を引き離している要因として挙げられる
・「分去れ」と『吉野大夫』の第1章を比較すると、実は「分去れ」において描かれる「十一月はじめのある日」は『吉野大夫』の第1章で描かれている日、すなわち、主人公の「わたし」が吉野大夫という遊女の墓を探しに行く日である
・小林幹也の研究によると、「ある日」とは、正確には1976年11月2日のこと。興味深いのは、「分去れ」=『笑坂』と『吉野大夫』が同じ日の同じシーンを描きながら、対照的な軌跡を描いていることである
・なかでも、決定的なのは、ドライブインの食堂を出た後、「分去れ」の「わたし」がバスに乗って帰宅の途につくことが暗示されているのに対して、『吉野大夫』の「わたし」はそのまま国道を東へと向かい、吉野大夫の墓を探しにさらに探索を続けている点である。この分裂した展開は、最近、流行りの言葉でいえば、パラレルワールドとしてとらえることが出来るだろう。実際、『吉野大夫』はパラレルワールドを明瞭に意識したテクストとして描かれている。たとえば、『吉野大夫』を締め括る「草道を下りながら、わたしは、いつだったかこのあたりでモンペの女を思い出したことを、思い出した。そして、首筋のあたりが、ぞくっとしたことも思い出した。すると、とつぜん背筋のあたりが、ぞくぞくっとした。いま、もう一人のわたしが、吉野坂を歩いているような気がしたのである」という一節は、その代表的な箇所であるといえる
・分去れは、追分に実在する三角地帯。北国街道と中山道とが分岐するポイント。つまり、北国街道と中山道との分岐はそのまま帰宅の途につく「わたし」とさらに吉野大夫の墓を探しにいく「わたし」の分裂と重なりあっている
・パラレルワールドを踏まえると、「分去れ」のなかで「いま自分がこの場所にいるのは何かの偶然ではなかろうか。そう思ったとたん、とつぜん不思議な気持になった。人間は誰でも常にどこかにいなければならない。同時にその場所は必ず一箇所でなければならない。この事実が平凡であるからこそ、不思議な気持になったのだと思う」という一文そのものが相対化されているともいえる
・『笑坂』は『吉野大夫』とパラレルワールドとしての楕円の世界を構成しているとともに、後に描かれる『吉野大夫』によって相対化=批評されたテクストであるといえる

次回の研究会は4月頃、テキストは『汝の隣人』(河出書房新社)を予定している。
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2014年01月25日

後藤明生を読む会発表資料作成。

明日は後藤明生を読む会である。今回は私が基調発表の担当に当たっている。それにもかかわらず、正月明けからなかなかエンジンがかからず、明日の資料を完成させたのは、ついいましがたであった。まったくやれやれである。しかし、とにかく間に合ってよかった。テキストとしてあつかう『笑坂』が、その表面的な印象とは異なり、如何にとんでもない小説であるかをうまく伝えられたらと思っている。

日時 2014年1月26日(日)13:00〜17:00
場所 夙川公民館2階和室(兵庫県西宮市羽衣町1-39)
最寄駅 阪急夙川駅/JRさくら夙川駅/阪神香櫨園駅
テキスト 後藤明生『笑坂』(筑摩書房)
会費 500円程度(会場使用料を参加者人数で割ります)
その他 終了後、近くの酒場で懇親会をおこないます(会費は別途)/会場を確保する際に「嚠喨の会」やその他の名儀で登録している場合がございます
タグ:後藤明生
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2014年01月24日

兵庫・岡山紀行(千体地蔵)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)→こちら

千体地蔵の由来は、その昔、当地に疫病が流行り、多くの人命が失われたことにちなむという。彼らに対する供養の目的で数多くの石仏が寄せられることとなり、現在のように、崖に無数の小石仏が並べられているような状態が出現したというのである。安置されている石仏の大きさにそれほど違いがないため、一定のまとまりを感じさせる。崖一面に並べられている様子は壮観である。
タグ:石仏
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2014年01月23日

兵庫・岡山紀行(伽耶院・石造五重塔)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院)→こちら

伽耶院の行者堂を見学していた折、裏手の山際に石造五重塔があるのを見つけた。少し崖を登り、それを見学。その裏手には小さな一石五輪塔の群れも見つかった。しかし、詳しいことを記した立て札の類は見つからなかった。
タグ:石塔
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2014年01月21日

たびねす掲載情報32

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前回、たびねすに第31回(継体天皇の真の陵墓?高槻市・今城塚古墳をめぐる発見と謎の旅)を掲載したことは1月10日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは岡山県瀬戸内市長船町の備前福岡です。ご覧下さい。

第32回「備前福岡歴史探訪!西国随一の商業地は黒田官兵衛や宇喜多直家とも深い関わりを持つ!」

http://guide.travel.co.jp/article/2962/
タグ:福岡 宿場町
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2014年01月20日

葛城市歴史博物館特別公開「観音菩薩立像―今在家観音寺の仏像―」

昨日は葛城市歴史博物館の特別公開「観音菩薩立像ー今在家観音寺の仏像−」も見学した。今在家区に伝わる観音寺の本尊・観音菩薩立像は平安時代の作。一木造で像高は約56センチメートルである。面相は目を吊り上げているせいできりりと引き締まっており、腰の部分のどっしりした量感と相俟って、小像ながらも存在感がある。前髪を結い上げた髪型も珍しかった。見学者も稀でじっくり観察することが出来た。
タグ:仏像
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2014年01月19日

飛鳥資料館特別展『発見30周年記念キトラ古墳壁画特別公開』

飛鳥資料館で1月26日までもよおされている『発見30周年記念キトラ古墳壁画特別公開』を見学。剥ぎ取られた壁画のうち、今回は「白虎」と「玄武」が展示されていた。事前には長蛇の列を予想していたものの、実際に訪れると、休日にもかかわらず、館内は閑散としており、壁画やその他の展示物をゆっくり見学することが出来た。これまでに何度も公開されているからであろうか。思いのほかゆっくり見学することが出来たため、何度も往復して「白虎」と「玄武」を堪能した。
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2014年01月18日

兵庫・岡山紀行(伽耶院)

兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら
兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)→こちら

伽耶院は初詣で賑わっていた。本堂や多宝塔の扉は開け放たれており、本堂の内陣には毘沙門天像(国重文)も展示されていた。行者堂では山伏による祈祷がおこなわれており、私が訪れたときは、祈祷を受ける参拝者で長蛇の列であった。もちろん、私も祈祷を受けた。宝船を描いた吉祥図も買い求めた。
タグ:初詣
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2014年01月16日

兵庫・岡山紀行(伽耶院・仁王門)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら
兵庫・岡山紀行(志染の石室)→こちら

伽耶院(兵庫県三木市志染町大谷410)でまず目に付いたのは、仁王門に残されている2体の金剛力士像である。天正年間の兵火により、いずれも胸部から上と腰から下や足の下半分が焼失している。文化財としての価値には乏しいだろう。しかし、それがかえって強烈な印象を見るものに与えている。欠損の美である。黒焦げになった部分もまだ残っている。
タグ:仏像
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2014年01月15日

兵庫・岡山紀行(志染の石室)

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兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)→こちら

志染の石室は、古代、雄略天皇に殺害された市辺押磐皇子の二人の皇子が隠れ住んだとされる石室である。しかし、石室内には湧き水がたまり、水分を補給するのには格好の場所であっても、とても暮らしていける環境ではない。実際に志染の石室を訪れてそう思った。志染の石室といえば、もう一つ、忘れてならないのはヒカリモである。私が訪れたとき、ヒカリモらしき一群が水面下に見られた。しかし、水面すべてを覆うほど金色に漂うというにはほど遠い状態であった。近いうちにもう一度訪れて、水面上をただようその姿を見てみたい。そう思っている。
タグ:ヒカリモ
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2014年01月14日

旅に出ていました。

旅に出ていました。金沢方面に出掛けていました。その経過も、後日、書いてみます。
タグ:金沢
posted by 乾口達司 at 22:24| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月10日

たびねす掲載情報31

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前回、たびねすに第30回(お水取りのメッカ・東大寺二月堂を満喫!釣燈籠の灯りや夕景も必見!!)を掲載したことは1月8日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは大阪府高槻市の今城塚古墳です。

第31回「継体天皇の真の陵墓?高槻市・今城塚古墳をめぐる発見と謎の旅」

http://guide.travel.co.jp/article/2808/
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2014年01月08日

たびねす掲載情報30

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前回、たびねすに第29回(古代史なら奈良県立橿原考古学研究所附属博物館へ!日本最大の円筒埴輪や藤ノ木古墳出土の副葬品は必見!!)を掲載したことは12月28日の日記に記しました。今回、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは東大寺二月堂です。ご覧下さい。

第30回「お水取りのメッカ・東大寺二月堂を満喫!釣燈籠の灯りや夕景も必見!!」

http://guide.travel.co.jp/article/2802/
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2014年01月07日

兵庫・岡山紀行(初詣客の合間をぬって)

旅に出たのは1月1日である。当日は午前3時半に起床。おにぎり3つを自分で握り、いざ出発。近鉄電車に揺られ、一路、阪神電車の新開地駅を目指す。新開地駅で乗り換えて三木方面へ。列車のなかは初詣帰りの客が多かった。しかし、奈良方面に向かう客でゴッタ返す奈良行きの列車とは異なり、シートには余裕を持って座ることは出来た。新開地でも湊川神社に向かう初詣客が多いかと思いきや、それほどでもなかった。三木方面に向かうと車内は閑散としはじめた。
タグ:初詣
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2014年01月06日

兵庫・岡山紀行。

年明けから兵庫県・岡山県を旅して来ました。今後、しばらくはそのときに訪れたスポットを書き残しておこうと思います。乞うご期待。
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2014年01月05日

謹賀新年。

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今年も宜しくお願い申し上げます。
タグ:正月
posted by 乾口達司 at 17:22| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする