
後藤明生を読む会(第15回)→
こちら昨日は後藤明生を読む会の第16回がもよおされた。今回のテキストは『使者連作』(集英社/1986年4月)。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。その後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておく。
・『使者連作』はいわゆる書簡体形式で構成されている。書簡体小説は18世紀以来の伝統を持つものの、本作はそれと類縁があるようには思えない。一人物が多数の人物に宛てて書くという体裁も珍しいが、これを書簡体小説といって良いのだろうか。むしろ、書簡体小説のフリをした一人称小説というべきではあるまいか
・後藤明生がなぜこのような形式を選んだのかはわからない。わかるのは、このような語りかける形式がたとえ過去のことを語っていても、語りつつある現在をいやおうなくあらわにしてしまうということである。それが手紙の形式で書くということの効果である
・出来事は計画にもとづく必然の相を帯びてはいない。大枠だけは確かにあらかじめ設定されているのであろう。しかし、そのなかで物事は偶然の積み重ねのように生起しており、そこに何らかの理路を見出すのは、読み手がそこに何かを持ち込むからだといわんばかりである
・宛先が変われば、語り方も当然異なって来る。本作では同一の語り手が語る相手を違えることにより、語る内容も語り方も微妙に異なってしまうことを語りの現在において指し示している
・対象は語りの現在における韓国であるが、現在は過去との関係なしに現在たり得ないから、いささか抑制的であるとはいえ、現在における過去は呼び出される。朝鮮が後藤明生の生まれ故郷である以上、現住所である日本との関わりも語られ、その際、出会いがしら(偶然)をそのまま放置しない独特の運動感覚によって、複数の中心を持つデコボコした地図を形成している
・語る「わたし」「ぼく」は宛先の移動あるいは複数性によって一定のものにとどまることが出来ない。語る「わたし」「ぼく」は他者にむかっていやおうなくみずからを開いているのであって、語りかける相手によって分光化され、「バラバラになった破片」(p216)としての自己を受け入れている。ここにはもとより不動の「わたし」「ぼく」は存在しない。対蹠点=両極の中間の偶然の場所にあって揺れ動きながら漂流する複数となった「わたし」の小説というべきではないか
・全体の構成は単純。2篇ずつで1つのテーマから成り、最後が全体のまとめとなる
・今回、特に取りあげる「不思議な星条旗」は、李聖子と金鶴泳の死を受けて、全体を転調させる役割を果たしている。しかし、後藤明生の作品がしばしばそうであるように、ここでも何も起こらない。「筋のある、まとまった話でも何でもない」(p98)
・文中ではたたみかけるように語られる「空白」に注目したい。その過剰な語法が作品の不可解さを演出している
・「不安なビル」(p112)という奇妙な表現について
・「星条旗ビル」に関して語られる「人間以外の何ものか」とはいったい何か
・次篇において語られる「旧植民地時代」に対する言及部分との関わりを踏まえると、「星条旗ビル」と「隣の空白」とは、帝国日本の不在とその結果としての現存を指し示しているのではないか。日本人不在の「うどんとタクワン」と同様、いまもそこに存在する理由がよくわからない何かとしてあるのではないか(日本の植民地支配はとっくの昔に消滅しているにもかかわらず、構造上は現存しているという奇態さ)。ある支配形式の消滅と現存を「無人ビルを警護する兵士」という奇怪な仮象によって描出したのは手柄であろう
・ちなみに本篇が執筆された2ヶ月ほど後の1985年5月23日、学生たちがこの「星条旗ビル」(当時、アメリカ文化センター、韓国式には「米国文化学院」であった)の図書館を占拠する事件が起こっている
・「ブトールを知っていますか?」の最後に引用されているビュトールの詩篇(p27)の語訳。「地下室に謝する真夜中の果樹園/台地のかぐわしさの中に死に絶える砂丘(段丘)/(それらは)北の池の墓の中に立ち去る/重くのしかかるぺディメントのある老齢の空港」。「果樹園」はブドウ園、「老齢の空港」は李聖子自身を指しているのであろう
・なお、3行目の「vant」は「vont」」の誤植とひとまず解する。すなわち、s'en allerの直説法現在の三人称複数形s'en vont。これが一般的な解釈である。しかし、通常の文法では考えられないことだが、これをs'en vanterの直説法現在の三人称複数形s'en vantentの語尾が脱落したものと解すれば、3行目は「北の池の中でほらを吹く(自画自賛する)」ということになって、かなり色調が変わる。ビュトールならやりかねないとは思うが、ひとまずおいておく。「わたし」がわざわざこの箇所を引用してみせたのは、その判断を専門家である「大兄」=清水徹に問うたからではあるまいか
・詩篇に登場する「地下室」「墓」「老齢」「空港」が後の話のなかに登場することに留意したい(「地下室」は地下鉄などの話題で登場する/「老齢」は「わたし」よりも年上の韓国人詩人などによって表わされている)
・金鶴泳の作品について
・「ナムサン、コーサン」において不意に登場する「韓国文化院」と「星条旗ビル」との関係について
・韓国文化院の対日工作について(中上健次がそれにかかわっていたことについて)
・後藤明生自身もその対日工作の一環として韓国に招聘されたのではないか?しかし、後藤明生本人はそのことに自覚的であったため、韓国でおこなったという公式の講演内容についてはほとんど語られていない(その政治性の拒絶としての『使者連作』)
・韓国ブームのなか、自分の身のまわりに「韓国」=朝鮮がしのび寄って来ていることに対する複雑な思い
・「わたし」「ぼく」が語る相手の不確かさについて(実在しない人物も含まれているのではないか)
・シャーマニズムとしてのムーダンに対する関心=言葉に対する関心
・ここでも少年時代の朝鮮半島が想起されている
次回の研究会は10月頃、テキストは『スケープゴート』(日本文芸社)を予定している。詳細は、決定次第、ご案内します。