2013年07月30日

たびねす掲載情報8

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前回、たびねすに第7回(海女さんからパワースポットまで!志摩半島パールロード周辺に点在する必見スポット)の記事を掲載したことは7月24日の日記に記しました。本日、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは三重県志摩半島にある志摩スペイン村パルケエスパーニャです。ご覧下さい。

第8回「アトラクションだけじゃない!志摩スペイン村パルケエスパーニャをより楽しむために」

http://guide.travel.co.jp/article/1537/
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2013年07月29日

井上謙先生を偲ぶ会当日のプログラム。

8月3日、井上謙先生を偲ぶ会が開かれることは6月29日の日記に記しました。先週末、最終的なプログラムが完成したため、以下に掲載します。なお、当日は井上先生の近畿大学時代の同僚であった先生のご出席も予定されています。近畿大学文芸学部の学生で先生の薫陶を受けた方はふるってご参加下さい。

会場:プレラにしのみや4階403集会室
住所:兵庫県西宮市高松町4-8/電話:0798-67-1567

第1部「井上謙を読む」
会場・受付 12時40分〜
開会 13時〜
1.事務局より(参加者紹介など)
2.代表挨拶
3.「井上謙」をテーマとした有志による基調発表
@『中国大河の旅』を読んで(亀谷奈津子)
A<遊び>としての『C58坂を上る』(乾口達司)
B井上謙と森敦(小林幹也)
(休憩)
4.フリーディスカッション(出席者全員)
5.閉会(撤収)16時45分
第2部「懇親会」ふじや民芸店(0798-64-9940)17時〜
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2013年07月28日

志摩紀行(パルケエスパーニャ・ピレネー)

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志摩紀行(志摩国分寺)→こちら
志摩紀行(安乗埼灯台)→こちら
志摩紀行(安乗埼灯台案内板)→こちら
志摩紀行(ホテル志摩スペイン村)→こちら

志摩スペイン村の中核施設パルケエスパーニャのなかでもっとも目立つのは、やはりインバーテッドコースター・ピレネーであろう。スペインとフランスとの国境を分かつピレネー山脈からその名をとった「ピレネー」の最高地点は、45メートル。コースターは最高時速100キロで45メートルから急降下するが、その絶叫体験もさることながら、曲線と直線とが複雑に組み合わさった現代アート風の外観自体に魅了される人も多いだろう。かくいう私もその一人である。
ラベル:遊園地
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2013年07月27日

志摩紀行(ホテル志摩スペイン村)

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志摩紀行(志摩国分寺)→こちら
志摩紀行(安乗埼灯台)→こちら
志摩紀行(安乗埼灯台案内板)→こちら

今回の志摩紀行では、志摩スペイン村でも遊んだ。宿泊したのは付属施設のホテル志摩スペイン村である。スペインをイメージさせる外観のほか、館内にもスペイン風の絵皿が壁にかけられていたりして、スペインらしさにあふれている。夜は「ひまわりの湯」(温泉)につかった。今回、はじめて宿泊したホテルではあるものの、また泊まってみたいと思った。
ラベル:ホテル
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2013年07月26日

大切な人が。

大切な人が亡くなりました。思い出がたくさんあります。ここにはとても書き切れないくらいです。先方からどのような恩恵を受けたでしょうか。そして、それはどれくらいのものだったでしょうか。それを思うと、自分が如何に非力であったかがわかります。せめて今夜だけでも先方の冥福を祈り、静かに時を過ごしたいと思います。
ラベル:
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2013年07月24日

たびねす掲載情報7

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前回、たびねすに第6回(ヤマト王権の武器庫か?剣を祭神とする天理市郊外の石上神宮)の記事を掲載したことは7月17日の日記に記しました。本日、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは三重県志摩半島を走るパールロード周辺のスポットです。ご覧下さい。

第7回「海女さんからパワースポットまで!志摩半島パールロード周辺に点在する必見スポット」

http://guide.travel.co.jp/article/1499/
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2013年07月22日

志摩紀行(安乗埼灯台案内板)

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志摩紀行(志摩国分寺)→こちら
志摩紀行(安乗埼灯台)→こちら

写真は安乗埼灯台で見かけた案内板である。この脱力系の案内板には笑わされた。
ラベル:灯台
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2013年07月20日

志摩紀行(安乗埼灯台)

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志摩紀行(志摩国分寺)→こちら

安乗埼灯台は、灯台にしては珍しく、四角の形をしている。内部に立ち入ることが出来るのは魅力である。上からの眺めは爽快そのもの。雄大な太平洋を眼下におさめることが出来る。日本映画の名作『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台になったところであるという。灯台の内部にはロケ当時の写真も掲載されていた。
ラベル:灯台
posted by 乾口達司 at 22:30| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月18日

志摩紀行(志摩国分寺)

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先日、志摩半島を旅した。今回から何回かにわたって、そのときのことを書いてみよう。今回、はじめて訪れた寺院に志摩国分寺(志摩市阿児町国府3476)がある。パールロードの南側の終点・鵜方から、安乗埼方面に車を走らせると、十分ほどで志摩国分寺に到着する。志摩国分寺は、奈良時代、聖武天皇の勅によって建立された国分寺の一つである。当寺のある国府という地名ともども、かつては志摩国の中心地であったところであろう。本堂の内部には大きな厨子が置かれている。その内部には、1507年、定栄によって作られた本尊・薬師如来坐像(像高194センチメートル)が安置されている。正式な御開帳は20年に1度とされている。しかし、本堂脇の庫裏に声をかけると、厨子の横から、そのお姿を拝ませていただける。
ラベル: 仏像
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2013年07月17日

たびねす掲載情報6

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前回、たびねすに第5回(ちんちん鈴!?男女のシンボルをかたどった立石が点在する飛鳥坐神社)の記事を掲載したことは7月8日の日記に記しました。本日、新たな記事を掲載しました。今回のテーマはヤマト王権の武器庫であったという説もある石上神宮です。ご覧下さい。

第6回「ヤマト王権の武器庫か?剣を祭神とする天理市郊外の石上神宮」

http://guide.travel.co.jp/article/1473/
ラベル:石上神宮
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2013年07月16日

帰宅しました。

今夕、伊勢志摩から帰宅しました。後日、何回かに分けて、今回の旅の軌跡を紹介してみます。お楽しみに。
ラベル:伊勢 志摩
posted by 乾口達司 at 22:08| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月14日

旅に出ます。

明日は朝から旅に出ます。行き先は伊勢志摩。近場ではあるものの、久し振りに訪れるところなので楽しみです。火曜日の夜に帰宅します。
ラベル:
posted by 乾口達司 at 19:28| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

称名寺の石仏・石塔群3

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称名寺(奈良市菖蒲池町)の境内の東側に並べられた「千体石仏」から裏手の墓地へと歩いていくと、「千体石仏」を並べている石垣の側面を見ることが出来る。良く見ると、積み石には地蔵石仏が混じっている。「南無阿弥陀仏」という文字が刻まれているものもある。戦国時代、松永弾正によって築かれた多聞城の石垣に使われていた石仏群をその落城後に集めて、まつったものとされる「千体石仏」を並べている石垣そのものに地蔵石仏や墓石が使われているという点はなかなかおもしろい。
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2013年07月12日

称名寺の石仏・石塔群2

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称名寺(奈良市菖蒲池町)で目を見張るのは、やはり境内の東側に並べられた「千体石仏」であろう。小型の地蔵石仏を中心とした石仏がずらりと並べられており、その眺めは壮観である。一説によると、戦国時代、松永弾正によって築かれた多聞城の石垣に使われていた石仏群をその落城後に集めて、まつったものとされる。石垣に使われたにしてはいささか小さすぎるような気もするが、とにかく一見の価値のある石仏群である。
ラベル:石仏
posted by 乾口達司 at 19:51| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月11日

称名寺の石仏・石塔群1

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称名寺(奈良市菖蒲池町)はわび茶の祖・村田珠光りゆかりの古寺である。散歩コースの一つでもあるため、しばしば参詣する。境内で目をひくのは数々の石仏・石塔類である。写真は参道脇に設けられた覆屋によって雨露をしのいでいる大型の石仏である。一番手前のもっとも大きな阿弥陀如来立像は頭光の蓮華紋がはっきり残っており、造型的にも魅力的である。一番奥の地蔵石仏は、補修の痕が大怪我を負い、包帯を巻かれているようにも見えて、何とも痛々しい。
ラベル:石仏
posted by 乾口達司 at 21:29| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月10日

漢國神社・吉村長慶の石碑。

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近鉄奈良駅近くの漢國神社(奈良市漢國町2)を訪れた。境内社の林神社もあわせて参拝。林神社は、一部で知られているように、日本に饅頭を伝えた中国人・林浄因を祭神としてまつっている。今回、訪れて気がついたのは、林神社の脇に大黒と戎の姿を刻んだ石碑が置かれていたことである。銘文の末尾に石碑を奉納した人物の名前も記されている。それによると、安置したのは吉村長慶である。吉村長慶ゆかりの石碑は奈良県内の各地に残されている。しかし、漢國神社の境内にもあるとは知らなかった。石碑には、昭和十五年の奉納とある。ということは、長慶の晩年の石碑である。しばしのあいだ、興味深く眺めていた。
ラベル:石碑 吉村長慶
posted by 乾口達司 at 20:20| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月08日

たびねす掲載情報5

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前回、たびねすに第4回(こんな所にも往時の痕跡が!東大寺と双璧をなす「西大寺」の在りし日の姿を求めて)の記事を掲載したことは7月3日の日記に記しました。本日、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは男根と女陰をかたどった陰陽石と夫婦和合の所作をおこなうおんだ祭で有名な「飛鳥坐神社」です。ご覧下さい。

第5回「ちんちん鈴!?男女のシンボルをかたどった立石が点在する飛鳥坐神社」

http://guide.travel.co.jp/article/1443/
ラベル:飛鳥坐神社
posted by 乾口達司 at 21:14| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | たびねす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月07日

天保山で昼食。

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数年振りに天保山へ出掛けた。昼食場所はマーケットプレース内にある“鶴橋風月”(大阪市港区海岸通1-1-10天保山マーケットプレース3F)である。“風月”に入るのも久し振りである。かれこれ十年以上振りであろう。豚キムチ玉を注文。はじめて食べたが、思いのほか美味しく、お腹がいっぱいになった。ビールもあわせて注文。昼間から呑んでしまった。休日ということもあり、店内は家族連れでゴッタ返していた。
ラベル:お好み焼
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2013年07月06日

イクラの醤油漬け。

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先日、とある人からイクラの醤油漬けを頂戴した。イクラをスプーンですくいとり、あつあつのご飯の上にかける。後はひたすらかき込むだけである。これだけでいくらでも食べられる。珍しくご飯をお代わりしてしまった。いくらの醤油漬けは賞味期限が短いため、開封した次の日の夜にはもう食べ尽くした。美味しいものはすぐになくなるものだ。
ラベル:イクラ
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2013年07月04日

ナスビが続々と。

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ナスビが実をつけたことは6月16日の日記に記した。それからもナスビは次々に実をつけている。大小さまざまなナスビである。これからもまだ実をつけるだろう。楽しみである。
ラベル:ナスビ
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2013年07月03日

たびねす掲載情報4

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前回、たびねすに第3回(「東洋のミューズ」が微笑む奈良市郊外の古刹・秋篠寺)の記事が掲載されたことは6月25日の日記に記しました。本日、新たな記事を掲載しました。今回のテーマは「西大寺」です。ご覧下さい。

第4回 「こんな所にも往時の痕跡が!東大寺と双璧をなす「西大寺」の在りし日の姿を求めて」

http://guide.travel.co.jp/article/1420/
ラベル:西大寺
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2013年07月01日

後藤明生を読む会(第16回)

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後藤明生を読む会(第15回)→こちら

昨日は後藤明生を読む会の第16回がもよおされた。今回のテキストは『使者連作』(集英社/1986年4月)。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。その後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておく。

・『使者連作』はいわゆる書簡体形式で構成されている。書簡体小説は18世紀以来の伝統を持つものの、本作はそれと類縁があるようには思えない。一人物が多数の人物に宛てて書くという体裁も珍しいが、これを書簡体小説といって良いのだろうか。むしろ、書簡体小説のフリをした一人称小説というべきではあるまいか
・後藤明生がなぜこのような形式を選んだのかはわからない。わかるのは、このような語りかける形式がたとえ過去のことを語っていても、語りつつある現在をいやおうなくあらわにしてしまうということである。それが手紙の形式で書くということの効果である
・出来事は計画にもとづく必然の相を帯びてはいない。大枠だけは確かにあらかじめ設定されているのであろう。しかし、そのなかで物事は偶然の積み重ねのように生起しており、そこに何らかの理路を見出すのは、読み手がそこに何かを持ち込むからだといわんばかりである
・宛先が変われば、語り方も当然異なって来る。本作では同一の語り手が語る相手を違えることにより、語る内容も語り方も微妙に異なってしまうことを語りの現在において指し示している
・対象は語りの現在における韓国であるが、現在は過去との関係なしに現在たり得ないから、いささか抑制的であるとはいえ、現在における過去は呼び出される。朝鮮が後藤明生の生まれ故郷である以上、現住所である日本との関わりも語られ、その際、出会いがしら(偶然)をそのまま放置しない独特の運動感覚によって、複数の中心を持つデコボコした地図を形成している
・語る「わたし」「ぼく」は宛先の移動あるいは複数性によって一定のものにとどまることが出来ない。語る「わたし」「ぼく」は他者にむかっていやおうなくみずからを開いているのであって、語りかける相手によって分光化され、「バラバラになった破片」(p216)としての自己を受け入れている。ここにはもとより不動の「わたし」「ぼく」は存在しない。対蹠点=両極の中間の偶然の場所にあって揺れ動きながら漂流する複数となった「わたし」の小説というべきではないか
・全体の構成は単純。2篇ずつで1つのテーマから成り、最後が全体のまとめとなる
・今回、特に取りあげる「不思議な星条旗」は、李聖子と金鶴泳の死を受けて、全体を転調させる役割を果たしている。しかし、後藤明生の作品がしばしばそうであるように、ここでも何も起こらない。「筋のある、まとまった話でも何でもない」(p98)
・文中ではたたみかけるように語られる「空白」に注目したい。その過剰な語法が作品の不可解さを演出している
・「不安なビル」(p112)という奇妙な表現について
・「星条旗ビル」に関して語られる「人間以外の何ものか」とはいったい何か
・次篇において語られる「旧植民地時代」に対する言及部分との関わりを踏まえると、「星条旗ビル」と「隣の空白」とは、帝国日本の不在とその結果としての現存を指し示しているのではないか。日本人不在の「うどんとタクワン」と同様、いまもそこに存在する理由がよくわからない何かとしてあるのではないか(日本の植民地支配はとっくの昔に消滅しているにもかかわらず、構造上は現存しているという奇態さ)。ある支配形式の消滅と現存を「無人ビルを警護する兵士」という奇怪な仮象によって描出したのは手柄であろう
・ちなみに本篇が執筆された2ヶ月ほど後の1985年5月23日、学生たちがこの「星条旗ビル」(当時、アメリカ文化センター、韓国式には「米国文化学院」であった)の図書館を占拠する事件が起こっている
・「ブトールを知っていますか?」の最後に引用されているビュトールの詩篇(p27)の語訳。「地下室に謝する真夜中の果樹園/台地のかぐわしさの中に死に絶える砂丘(段丘)/(それらは)北の池の墓の中に立ち去る/重くのしかかるぺディメントのある老齢の空港」。「果樹園」はブドウ園、「老齢の空港」は李聖子自身を指しているのであろう
・なお、3行目の「vant」は「vont」」の誤植とひとまず解する。すなわち、s'en allerの直説法現在の三人称複数形s'en vont。これが一般的な解釈である。しかし、通常の文法では考えられないことだが、これをs'en vanterの直説法現在の三人称複数形s'en vantentの語尾が脱落したものと解すれば、3行目は「北の池の中でほらを吹く(自画自賛する)」ということになって、かなり色調が変わる。ビュトールならやりかねないとは思うが、ひとまずおいておく。「わたし」がわざわざこの箇所を引用してみせたのは、その判断を専門家である「大兄」=清水徹に問うたからではあるまいか
・詩篇に登場する「地下室」「墓」「老齢」「空港」が後の話のなかに登場することに留意したい(「地下室」は地下鉄などの話題で登場する/「老齢」は「わたし」よりも年上の韓国人詩人などによって表わされている)
・金鶴泳の作品について
・「ナムサン、コーサン」において不意に登場する「韓国文化院」と「星条旗ビル」との関係について
・韓国文化院の対日工作について(中上健次がそれにかかわっていたことについて)
・後藤明生自身もその対日工作の一環として韓国に招聘されたのではないか?しかし、後藤明生本人はそのことに自覚的であったため、韓国でおこなったという公式の講演内容についてはほとんど語られていない(その政治性の拒絶としての『使者連作』)
・韓国ブームのなか、自分の身のまわりに「韓国」=朝鮮がしのび寄って来ていることに対する複雑な思い
・「わたし」「ぼく」が語る相手の不確かさについて(実在しない人物も含まれているのではないか)
・シャーマニズムとしてのムーダンに対する関心=言葉に対する関心
・ここでも少年時代の朝鮮半島が想起されている

次回の研究会は10月頃、テキストは『スケープゴート』(日本文芸社)を予定している。詳細は、決定次第、ご案内します。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:52| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする