2013年03月31日

生駒市の四季の森公園(花見)

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午前中に県立図書情報館へ。その後、エミ・エリ親子とイトーヨーカドーにおもむく。午後からは思い立って生駒市の四季の森公園まで足をのばした。四季の森公園にはいままでに何度か訪れている。しかし、桜の季節に訪れるのははじめてである。満開の桜もあれば、七分咲きのものもあった。公園には親子連れがたくさんいた。野球をするもの、遊具にしがみついているもの、走りまわっているものなどなど、それぞれ好き勝手に遊んでいた。
タグ:花見
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2013年03月29日

兵庫・岡山紀行(天石門別保布羅神社・釈塔様)

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兵庫・岡山紀行(仁豊野)→こちら
兵庫・岡山紀行(常福寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(宮ノ前古墳群)→こちら
兵庫・岡山紀行(親王塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(性海寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(置塩城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺宝塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(若王子神社)→こちら
兵庫・岡山紀行(花山法皇御輿屋敷跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(太陽公園)→こちら
兵庫・岡山紀行(日応寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(安養寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(備前国総社宮)→こちら
兵庫・岡山紀行(与太郎さま)→こちら
兵庫・岡山紀行(由加神社本宮)→こちら
兵庫・岡山紀行(蓮台寺)→こちら

天石門別保布羅神社(倉敷市福田町広江福田町)の敷地内には「釈塔様」と呼ばれる石造層塔が立っている。本殿と拝殿のあいだに位置しており、総高は約220センチメートル。屋根の部分に瓦を刻んだ痕跡が残るとのこと。後鳥羽院の年忌法要の折に頼仁親王と覚仁親王によって供養塔として建てられたものであると伝えられている。奈良県高市郡明日香村稲淵竜福寺にある「竹野王塔」と類似しており、元来は三重ないしは五重の塔であったと思われるとのことだが、風化が著しく、いまでは建立当時の雄姿を思い描くことは難しい。境内に人気はなく、いささか薄気味悪さを感じさせた。
タグ:神社 石塔
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2013年03月28日

兵庫・岡山紀行(蓮台寺)

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兵庫・岡山紀行(仁豊野)→こちら
兵庫・岡山紀行(常福寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(宮ノ前古墳群)→こちら
兵庫・岡山紀行(親王塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(性海寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(置塩城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺宝塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(若王子神社)→こちら
兵庫・岡山紀行(花山法皇御輿屋敷跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(太陽公園)→こちら
兵庫・岡山紀行(日応寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(安養寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(備前国総社宮)→こちら
兵庫・岡山紀行(与太郎さま)→こちら
兵庫・岡山紀行(由加神社本宮)→こちら

由加神社本宮の境内と接する形で蓮台寺がある。蓮台寺と由加神社本宮とは近代以前は神仏習合の関係にあったものと思われる。しかし、現在はそれぞれ別の宗教法人になっているようである。おまけにあまり関係がよろしくないようだ。そのことをうかがわせる看板もある。多宝塔は、その性格上、蓮台寺の所有物であると考えられる。しかし、多宝塔の立つ敷地は由加神社本宮側に飛び地のようにして存在しており、どこまでが蓮台寺の敷地でどこからが由加神社本宮なのかを厳密に見定めることは至難の業である。しかし、そんなことなどお構いなく、参拝者は蓮台寺にお参りに行ったり、由加神社本宮で御神籤を引いたりしている。そのあたりの寺院・神社側の思惑と民衆とのズレが面白い。
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2013年03月27日

兵庫・岡山紀行(由加神社本宮)

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兵庫・岡山紀行(仁豊野)→こちら
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兵庫・岡山紀行(宮ノ前古墳群)→こちら
兵庫・岡山紀行(親王塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(性海寺)→こちら
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兵庫・岡山紀行(弥勒寺)→こちら
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兵庫・岡山紀行(花山法皇御輿屋敷跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(太陽公園)→こちら
兵庫・岡山紀行(日応寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(安養寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(備前国総社宮)→こちら
兵庫・岡山紀行(与太郎さま)→こちら

今回の旅では由加山にはじめて訪れた。まずは由加神社本宮(倉敷市児島由加2852)へ参拝。真っ先に興味を持ったのは備前焼で作られた大鳥居である。明治27年に建立された大鳥居の両脇にはやはり備前焼で作られた大きな狛犬が控えている。狛犬の方は文政12年に奉納されたものであるとのこと。したがって、狛犬の方が大鳥居よりも古いことになる。本殿の裏手は斜面になっている。ところどころ巨石が顔をのぞかせている。巨石は磐座なのであろう。
タグ:神社
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2013年03月25日

後藤明生を読む会(第15回)

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後藤明生を読む会(第14回)→こちら

昨日は後藤明生を読む会の第15回がもよおされた。今回のテキストは『首塚の上のアドバルーン』(講談社/1989年2月)である。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。今回は私が報告をおこなった。その後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておく。

・『首塚の上のアドバルーン』に対する印象は「厄介な小説である」というひと言に尽きる。その厄介さの一因として、エクリチュールが意味内容のレベルで深みをともなわず、ひたすら表層にとどまり続けていることがあげられる
・ここまで奥行きを感じさせない世界を構築するには、作者である後藤明生の強固な意志と方法意識がそなわっていなければならない
・「ピラミッドトーク」に登場するピラミッドトークはおそらく後に登場する馬加康胤の首塚を意識した小道具であろう
・ピラミッドトークの「予言」と「私」の予想(認識)とは常にズレる。いわば、首塚にまつわる歴史を明らかにしようとする「私」(わたし)の試みはズレを含んで挫折することがあらかじめ暗示されている
・ピラミッドトークのモデルとなったエジプトのピラミッドは、ヘロドトスの『歴史』以来、陵墓であると見なされて来た。しかし、そのなかには埋葬施設のともなわないものもあり、現在では必ずしも陵墓として作られたものばかりではないと考えられている。陵墓なのか?それとも何かのモニュメントなのか?そのあいまいさ、不確かさも首塚の存在と重ね合わせることが出来るかも知れない
・「私」と高田氏との対話部分ではピラミッドトークや日航ジャンボ機墜落事故、トマトジュースの缶、カイジン二十一面相事件、人工海水浴場などのさまざまな話題があらわれるにもかかわらず、それらはいずれも深化せず、切断=断片化によって表層的なレベルにとどめられている
・「以前のお宅までが、社から約三十五分、今度はそれに約十分ですね。でも今度のお宅の方が、車ではずっと便利ですよ。湾岸からでも、旧高速からでも、真直ぐに来て一度カーブすれば到着ですから」という高田氏の発言について
・吉沢氏へ自宅までの道のりを案内する「私」の言説は、「国鉄の駅」以下、これまでに案内して来た事物よりもはるかに頻繁に接しているはずの自宅前のありようを的確に明示出来ないでいる。最後の最後で言葉を見失ってしまっているという点も「私」(わたし)の首塚探索がどのような結末を迎えるのかをあらかじめ暗示していると見なすことが出来る
・「コの字形をしたマンション」や「S字形にカーブした道路」や路上に記された「消防隊進入口」や「Y字型三叉路」や「黄色いヘルメットをかぶった作業員たちが歩きまわっている」「小さなT字角」や屋内テニス場としての「黄色い箱」や「青い屋根、黄色い屋根、赤い屋根の小さな商店」や夜になると頂上に救急車のような赤いランプが点り、燈台のように見える放送大学の鉄塔など、後藤にとっては何気ない日常の風景も言葉と線描、色彩とによって織り成されたテクストにほかならない。しかも、「私」はそのあいだをぬうようにして歩く。テクストを書く主体と書かれる対象(エクリチュール)とが同一平面上に存在し、エクリチュールの表層性を印象付けている
・語る主体が語られる対象になっていくという経緯は食道手術体験という想定外の事態の発生からもいえる。「実際、体じゅう管だらけでした。まず点滴の管。これは血管につながっているのは一本ですが、その一本めがけて、アミダクジ式に何本もの管が群がっています」という記述に代表されるように、ここでは「点滴の管」「排尿管」「細い管」「脇腹のあたりから突き出た管」によってつながれた「わたし」自身が「アミダクジ」の一部と化している。「アミダクジ式遍歴」を続ける「わたし」自身が「アミダクジ」そのものを体言してしまっているのである
・引用方法が手術体験記以降に変化する。それ以前の引用文では当該箇所を省略せずに引用したり、手が加わったりしても、前略・中略・後略を意味する「(……)」以外の改変は見られなかった。しかし、手術体験以降は引用に積極的な手が加えられている。「最小限必要と思われる範囲でカッコの中に注を入れたり、現代文を補足したりする形でやってみます」や「原文に我流に補注をつけながらやってみると、こうなります」「『首問答』を、問答形式にして意訳すると、ざっと次のようになります」「直接関係ある個所だけを全体から抽出して、引用させていただきます。カッコ内は、わたしが書き込んだものもあります」「山下宏明氏の校注を参考にしながら、原文・現代文チャンポン文体で紹介してみます」など、それらはさながら「食道に発見された潰瘍の部分を切除」(分解)し「胃袋を引き上げて食道の切り口につないだ」(補足)という「わたし」の手術の方法そのものである
・原典から切除された引用文を身体から切りとられた「首」とアナロジカルな関係にあるととらえると、谷崎潤一郎『武州公秘話』における「首」への死化粧(切り取った「首」にさまざまな手を加える行為)との関連も考えられるかも知れない。富岡幸一郎によるインタビュー「後藤明生との一時間」(『作家との一時間』日本文芸社/1990・10)によると、当初の計画では『武州公秘話』も作中で紹介する予定であったらしい
・「私」の眼差しのなかで増殖し続ける「丘」は表層性にあふれた作品世界のなかで謎の増殖と重ね合わせられている。いわば、「丘」の増殖は表層的な作品世界に虫食いのような<穴>をあけていく行為であるといえ、謎が謎のままで残されるという「丘」の表層的な属性がかえって作品全体を覆い尽くす表層的世界そのものを批評し、相対化する装置としてとらえられている。表層性が表層的世界そのものを相対化し、表層的であると同時にもはや表層的とすらいえないような名付け得ぬ世界を現出させている
・「人工女性の声」や「人工海水浴場」などの「人工」というものに対するこだわり
・「あの便はいつかきっと落ちるであろうとスチュワデスたちが噂していたという噂」という表現について
・高田氏によって最後まで開封されないトマトジュースの缶は、トマトジュースの色彩(赤)との関わりから考えると、『平家物語』において「血」が描かれないという指摘と関わっているかも知れない
・「私」はなぜ「あれは三浦半島と海に間違いないと断定し」ていながら、後に薬局の夫婦に対して「そんなこといいましたか」と繰り返しているのか?
・「正直いって田舎くさい」「駅前商店街」を「満員電車的であることによって都市的である」ととらえる後藤の都市認識
・「彼岸花」の群生は「血」をイメージさせるとともに首塚に出現したという「火の玉」とも関わるか?
・「彼岸花」の群生=「血」に彩られた「丘」=巨大な「首」が「黄色い箱」と並べられているようにして曲線上(S字形六車線)に並べられている(旧千葉街道と隣接している首塚をS字形六車線に隣接しているように記述した理由について)
・「ピラミッドトーク」「黄色い箱」「変化する風景」では語り手は「私」と記されている。しかし、「『瀧口入道』異聞」以降は「わたし」と表記されている(分身のテーマ?)
・「変化する風景」以降は書簡体に変化する。その点でよりエクリチュールを強調する書き方に変化しているといえる。ただし、その「書簡」の宛先が誰なのか、はっきりしない
・「『平家』の首」以降のスタイルを果たして書簡体と決め付けて良いのか?
・「私」/「わたし」や「三浦半島」に対する認識のズレ、表現形式の変化などを踏まえると、語り手はもしかすると一人ではないかも知れない(「私」と「わたし」は別人か?/「三浦半島」をめぐる言説でも「私」はそれぞれ別人としてとらえることが出来るのではないか?/パラレルワールド?)
・「萱葺きのトンネルみたいなものです」をいつの時点で思いついた所感としてとらえるか?
・「しかし、新田義貞が『太平記』の作者とは、まったく愉快ではありませんか!」という記述に見られる花田清輝『小説平家』に対する意識
・花田清輝「天草本『平家物語』について」で語られる天草本『平家物語』の対話性と喜劇性について
・「目下進行中であり、未完結である」テクストとしての『太平記』=『首塚の上のアドバルーン』
・「ニセモノとホンモノの関係を絵に描いたような世界でしょう」や「もちろんここで結論を出すつもりはありません」からうかがえる後藤の小説論
・「誤記」「書き変え」としての「快楽」を肯定すること=反アカデミズム
・「しかし、謎は解けなくとも、変化は生じます」や「素加天王神社伝記を読む前とあとでは、大違いであります」という記述を踏まえると、われわれが「生産」という言葉からイメージするものとは決定的に異なる何か―何ものにも奉仕しないもの、あるいは有用性・有意味性といった属性をともなわない何か―を着実に生み出しているテクストであるといえる
・「アドバルーン」の飄逸さ(あまりに長閑な光景ではないか!)
・口頭的表現の可能性とさまざまな場面で登場する「女」(ピラミッドトークにおける「人工女性の声」)の口頭表現との関わりについて
・さまざまな場面で登場する「女」の不気味さもまた深く追及されない

次回の研究会は梅雨時を予定している。テキストは『使者連作』(集英社)。詳細は、決定次第、ご案内します。
タグ:後藤明生
posted by 乾口達司 at 20:57| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月23日

草稿・資料作成。

仕事の合間に明日の日曜日に予定されている後藤明生を読む会の発表草稿を作成した。当日、配布する資料もほぼ完成した。あとは字句の若干の修整をおこなうだけである。しかし、あらためて明日のテキストである『首塚の上のアドバルーン』を読み返し、つくづく厄介な小説であると痛感した。明日はその厄介さの一因として書かれた言葉(エクリチュール)の表層性をあげるつもりでいる。結論からいうと、『首塚の上のアドバルーン』では、エクリチュールが意味内容のレベルで深みをともなわず、ひたすら表層にとどまり続けている。『平家物語』や『太平記』の世界、あるいは室町時代後期以降の関東平野での騒乱などの「歴史」について言及していながら、歴史が、当然、そなえているはずの深みや奥行きのまったく感じられない世界を形成している。このつかみどころのなさが『首塚の上のアドバルーン』の特徴の一つであるといえる。しかし、では、単に言葉の表層だけで成り立った小説なのかといえば、それもまた違う。次第に増殖する首塚の「丘」が、最後まで首塚の謎を明らかにしないことによって、作品全体を覆う表層性そのものに対する<穴>あるいはシミのような存在として機能している。いいかえれば、「丘」の抱え込んだ表層性が表層的な世界そのものを相対化し、破綻する役目をになっているのである。表層性が表層的世界そのものを相対化し、表層的であると同時にもはや表層的とすらいえないような名付け得ぬ世界を現出させている。それこそ『首塚の上のアドバルーン』の世界=小説にほかならない。われわれはそのような作品世界とどう向き合えばよいのだろうか。厄介な小説であると述べる所以である。

日 時  3月24日(日)13:00〜17:00
場 所  プレラにしのみや401集会室(西宮市高松町4-8)
テキスト 後藤明生『首塚の上のアドバルーン』(講談社1989/講談社文芸文庫1999)
発表者  乾口達司
参加費用 500円程度(参加者数によって変動します)
その他  終了後、近くの酒場で懇親会をおこないます(会費は別途)
タグ:後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:28| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月22日

奈良町で一杯。

毎年恒例の2月・3月生まれの誕生日会で夕方から奈良町のワインバー“seve”(奈良市西寺林町19-1)へ。今年に入ってからバタバタしていたこともあり、訪問するのは昨年の大晦日以来である。キッシュや生ハムなどをつまみにして白ワインや赤ワインをいただく。1時間半ほどの滞在中、M嬢と会えなかったのは残念であったが、N部長とは会うことが出来た。店の雰囲気にそぐわないほど騒々しく、マスターには申し訳がなかった。また機会をとらえて訪れたいと思っている。
タグ:ワイン
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2013年03月21日

モクレン開花。

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庭のモクレンが白い花を咲かせている。例年よりも開花が1週間から10日ほど早いような気がする。3月に入って暖かい日が続いたせいだろうか。このぶんだと桜の開花も早いかも知れない。いや、もう咲きはじめているところもあるかも知れない。
タグ:モクレン
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2013年03月20日

精華町で夕食。

夕方、数年振りに“スシロー”精華町店(京都府相楽郡精華町大字柘榴小字権谷3-1)を訪れた。休日の夕方だったせいだろうか。店内は人でゴッタ返していた。20組待ちで30分ほど待ってテーブルにつくことが出来た。炙り赤えび塩レモンや極上まぐろ大トロなどの一貫ものを中心に食べた。おかげでお腹がいっぱいになった。帰り際も入店待ちの客でやはりゴッタ返していた。
タグ:回転寿司
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2013年03月19日

兵庫・岡山紀行(与太郎さま)

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兵庫・岡山紀行(日応寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(安養寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(備前国総社宮)→こちら

与太郎さま(玉野市八浜町大崎)は宇喜多与太郎基家の墓であると伝える。1581年、毛利軍と戦った八浜合戦の折、足に傷を負った与太郎は追っ手から逃れるために竹やぶに身をひそめる。しかし、村人に潜伏していることを通報され、あえなく討ち取られた。塚はそのときの侘びと供養のために村人によって建てられたものであるという。そういった経緯もあり、いまでは足や腰の神様として敬われているとのこと。実際、私が参拝に訪れたときにも何人かの老若男女がお参りにやって来ていた。
タグ:神社
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2013年03月18日

終日オフ。

昨日は早朝出勤であった。今日は終日オフ。久々にゆっくりした。昼食後、ベッドに入って本を読んでいるうちにいつのまにか寝てしまい、気がつくと、すでに夕方だった。3時間ほどぐっすり寝ていたことになる。疲れがなかなかとれない。今夜ももう眠るとしよう。
タグ:昼寝
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2013年03月16日

インフルエンザ、その後。

インフルエンザにかかっていたことは3月12日の日記に記した。あれから順調に回復している。いまではもうすっかり元気である。今日も仕事の打ち合わせでそのことを話すと、発熱の時点でさっさとインフルエンザを疑うべきだったと仲間たちから揶揄された。家人のインフルエンザもすっかり良くなった。明日は早朝出勤である。明日は一日がんばります。
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2013年03月14日

兵庫・岡山紀行(備前国総社宮)

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兵庫・岡山紀行(日応寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(安養寺)→こちら

備前国総社宮(岡山市北区祇園596)は安養寺(岡山市北区賞田333)から歩いて10分ほどのところにある。1992年2月16日に発生した放火事件により、写真にある随神門以外の本殿や幣殿などが消失したという。ところが、有志の努力のかいもあって、私が訪れた折には真新しい本殿が再建されていた。これはまことに喜ばしいことである。今後は拝殿や幣殿などの再建に取り掛かるのであろう。また数年後には参拝し、再建の経緯を確認したいものである。
タグ:神社
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2013年03月13日

原稿提出。

普段の仕事とは別に受け負っていた原稿を提出した。〆切間際の提出であった。自分の頭だけを使って書くのであればすぐに書ける分量であった。しかし、今回の原稿は、その性質上、いろいろと仕込みが大変であった。おかげで事前の調査に手間取った。まったくやれやれである。これで今月の大きなハードルの1つを乗り越えることが出来た。残るは今週末と来週末の2つのハードルである。これらもそれぞれ大変である。それらを乗り越えたら、来月にかけて少しゆっくりしたいと思う。今回の原稿については活字化されたときにあらためてご報告します。
タグ:原稿
posted by 乾口達司 at 19:48| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月12日

インフルエンザ。

先週の後半はひどいくしゃみと高熱に襲われた。そのときのことは以前の日記にしたためた。そのときは風邪をひいたか、花粉症が嵩じた結果であろうと勝手に推測して症状を記していたものである。しかし、昨日、家人がインフルエンザを発症させた。家人のインフルエンザは明らかに私がうつしたものである。ということは、私自身もインフルエンザにかかっていたことになる。先週のくしゃみと高熱はインフルエンザの症状だったというわけである。しかし、いまから振り返っても、6、7年前にインフルエンザにかかったときほど深刻なものではなかった。あのときも突発的に高熱を発したが、悪寒とともに関節が痛み出し、その場に立っていることすら出来ない状態であった。それに比べると先日の症状は高熱が出た上に一時的に悪寒もあったものの、机に向かって普通に仕事をしていたくらいに軽かった。薬を呑むと平熱に戻った。それ以降、高熱は出ていない。せいぜい微熱程度である。今年のインフルエンザは以前のものに比べると少し弱いのであろうか。とにかくいまは平熱に戻っている。まだ少しぼんやりする感じは残ってはいるが、明日かあさってには本格的に恢復しそうな予感である。それよりも家人のインフルエンザが心配である。様子を見守り続けている。
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2013年03月10日

同窓生と。

現在、千葉に住んでいる小学校時代の同窓生が久し振りに奈良に帰省した。それを口実にしてその本人を含む計5名で会食の機会を持った。JR奈良駅近くの某所で合流。風邪をひいている身の上であるため、酒はほとんど呑まなかったが、それでも充分に楽しいひとときを過ごすことが出来た。千葉在住の同窓生と顔を合わせるのは小学校以来である。ということは、かれこれ30年振りの再会ということになる。当時の面影がしっかり残っており、30年の歳月をほとんど感じさせなかった。今度、千葉に出掛けたときはあらためて一杯やりたいものである。
posted by 乾口達司 at 23:49| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 同窓会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月09日

花粉症?風邪?その後。

花粉症なのか、それとも風邪か。そのことは昨日の日記に記した。今日も午前中は熱が出なかった。くしゃみもおさまって来た。昨日一日、自宅にとどまっていたおかげだろう。しかし、夕方からはふたたび熱が出て来た。薬を呑んで対処する。おかげで熱は平熱に戻った。しかし、薬のせいで眠たい。今夜は早めに休もうと思う。
タグ:花粉症 風邪
posted by 乾口達司 at 21:36| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月08日

花粉症?風邪?

昨日より花粉症と思しき症状が出ている。くしゃみと鼻水である。症状は今朝になってよりひどくなった。例年、非常にひどい症状が数日間続く。どうやらその数日間に突入したようだ。夕方からは頭のあたりが火照りはじめた。くしゃみのし過ぎで頭がぼうーっとしているのであろうか。そう思って念のために体温計で体温をはかると38.8℃もあった。風邪をひいたのであろうか。それとも発熱も花粉症の症状の一環であろうか。どちらか判断がつかないまま、発熱を抑える薬を呑んだ。おかげでいまは平熱に戻っている。
タグ:風邪 花粉症
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2013年03月06日

兵庫・岡山紀行(安養寺)

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兵庫・岡山紀行(仁豊野)→こちら
兵庫・岡山紀行(常福寺)→こちら
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兵庫・岡山紀行(性海寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(置塩城跡)→こちら
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兵庫・岡山紀行(若王子神社)→こちら
兵庫・岡山紀行(花山法皇御輿屋敷跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(太陽公園)→こちら
兵庫・岡山紀行(日応寺)→こちら

安養寺(岡山市賞田333)は以前にも訪れている。そのときは賞田廃寺や唐人塚古墳を見学した折に足を伸ばしたのであった。本尊は秘仏の聖観世音菩薩立像。本堂の向かって右手前に石碑が立っている。石碑の存在は写真でもわかるだろう。その土台に使われている石のなかには賞田廃寺から出土した礎石が含まれている。その一部は近年に新たに作られたと思しきレプリカである。賞田廃寺の整備にともない、一部が賞田廃寺に戻され、その代わりにレプリカが置かれたのであろうか。
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2013年03月05日

兵庫・岡山紀行(日応寺)

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兵庫・岡山紀行(仁豊野)→こちら
兵庫・岡山紀行(常福寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(宮ノ前古墳群)→こちら
兵庫・岡山紀行(親王塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(性海寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(置塩城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺宝塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(若王子神社)→こちら
兵庫・岡山紀行(花山法皇御輿屋敷跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(太陽公園)→こちら

日応寺(岡山市日応寺302)を訪れたのは小雪の舞う寒い日だった。岡山空港の近くの山間部に位置していることもあり、平野部よりもさらに寒かった。養老2年(718)に報恩大師によって創建されたと伝えられる。栄西が青年時代に修業した寺でもあるという。本堂の大きさには圧倒される。建造物としては入母屋造・桁行三間・梁間三間・茅葺の番神堂に惹かれた。その横の宝篋印塔もしげしげ眺めた。木造毘沙門天立像(国重文)は以前に岡山市でもよおされた展覧会で拝観をした。しかし、私が訪れたとき、収蔵庫の扉はかたく閉じられていて拝観は叶わなかった。
タグ: 石塔 仏像
posted by 乾口達司 at 23:14| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

兵庫・岡山紀行(太陽公園)

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兵庫・岡山紀行(仁豊野)→こちら
兵庫・岡山紀行(常福寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(宮ノ前古墳群)→こちら
兵庫・岡山紀行(親王塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(性海寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(置塩城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺宝塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(若王子神社)→こちら
兵庫・岡山紀行(花山法皇御輿屋敷跡)→こちら

太陽公園(兵庫県姫路市打越1342-6)は社会福祉法人愛光社会福祉事業協会によって運営されているテーマパークである。「石のエリア」と「城のエリア」から成り立っており、「石のエリア」には凱旋門や天安門広場、ピラミッド、モアイ像、双塔寺、兵馬俑など世界中の名立たる建造物が再現されている。写真は中国・西安郊外の兵馬俑を再現した兵馬俑展示館の内部である。「城のエリア」の中心はヨーロッパに見られるような巨大な白鳥城である。丘の上に立つ白鳥城に行くにはモノレールを利用した。
posted by 乾口達司 at 20:33| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月03日

兵庫・岡山紀行(花山法皇御輿屋敷跡)

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兵庫・岡山紀行(仁豊野)→こちら
兵庫・岡山紀行(常福寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(宮ノ前古墳群)→こちら
兵庫・岡山紀行(親王塚)→こちら
兵庫・岡山紀行(性海寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(置塩城跡)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺)→こちら
兵庫・岡山紀行(弥勒寺宝塔)→こちら
兵庫・岡山紀行(若王子神社)→こちら

花山法皇御輿屋敷跡は、いい伝えによると、花山法皇の御輿を留め置いたところであるという。室町時代、その伝承がすたれるのを憂いた有志が写真にある一石五輪塔を当地に安置したとのこと。高さは数十センチメートルと小さい。しかし、どっしりとした存在感のある逸品である。
タグ:石塔
posted by 乾口達司 at 21:56| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする