
後藤明生を読む会(第14回)→
こちら昨日は後藤明生を読む会の第15回がもよおされた。今回のテキストは『首塚の上のアドバルーン』(講談社/1989年2月)である。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。今回は私が報告をおこなった。その後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておく。
・『首塚の上のアドバルーン』に対する印象は「厄介な小説である」というひと言に尽きる。その厄介さの一因として、エクリチュールが意味内容のレベルで深みをともなわず、ひたすら表層にとどまり続けていることがあげられる
・ここまで奥行きを感じさせない世界を構築するには、作者である後藤明生の強固な意志と方法意識がそなわっていなければならない
・「ピラミッドトーク」に登場するピラミッドトークはおそらく後に登場する馬加康胤の首塚を意識した小道具であろう
・ピラミッドトークの「予言」と「私」の予想(認識)とは常にズレる。いわば、首塚にまつわる歴史を明らかにしようとする「私」(わたし)の試みはズレを含んで挫折することがあらかじめ暗示されている
・ピラミッドトークのモデルとなったエジプトのピラミッドは、ヘロドトスの『歴史』以来、陵墓であると見なされて来た。しかし、そのなかには埋葬施設のともなわないものもあり、現在では必ずしも陵墓として作られたものばかりではないと考えられている。陵墓なのか?それとも何かのモニュメントなのか?そのあいまいさ、不確かさも首塚の存在と重ね合わせることが出来るかも知れない
・「私」と高田氏との対話部分ではピラミッドトークや日航ジャンボ機墜落事故、トマトジュースの缶、カイジン二十一面相事件、人工海水浴場などのさまざまな話題があらわれるにもかかわらず、それらはいずれも深化せず、切断=断片化によって表層的なレベルにとどめられている
・「以前のお宅までが、社から約三十五分、今度はそれに約十分ですね。でも今度のお宅の方が、車ではずっと便利ですよ。湾岸からでも、旧高速からでも、真直ぐに来て一度カーブすれば到着ですから」という高田氏の発言について
・吉沢氏へ自宅までの道のりを案内する「私」の言説は、「国鉄の駅」以下、これまでに案内して来た事物よりもはるかに頻繁に接しているはずの自宅前のありようを的確に明示出来ないでいる。最後の最後で言葉を見失ってしまっているという点も「私」(わたし)の首塚探索がどのような結末を迎えるのかをあらかじめ暗示していると見なすことが出来る
・「コの字形をしたマンション」や「S字形にカーブした道路」や路上に記された「消防隊進入口」や「Y字型三叉路」や「黄色いヘルメットをかぶった作業員たちが歩きまわっている」「小さなT字角」や屋内テニス場としての「黄色い箱」や「青い屋根、黄色い屋根、赤い屋根の小さな商店」や夜になると頂上に救急車のような赤いランプが点り、燈台のように見える放送大学の鉄塔など、後藤にとっては何気ない日常の風景も言葉と線描、色彩とによって織り成されたテクストにほかならない。しかも、「私」はそのあいだをぬうようにして歩く。テクストを書く主体と書かれる対象(エクリチュール)とが同一平面上に存在し、エクリチュールの表層性を印象付けている
・語る主体が語られる対象になっていくという経緯は食道手術体験という想定外の事態の発生からもいえる。「実際、体じゅう管だらけでした。まず点滴の管。これは血管につながっているのは一本ですが、その一本めがけて、アミダクジ式に何本もの管が群がっています」という記述に代表されるように、ここでは「点滴の管」「排尿管」「細い管」「脇腹のあたりから突き出た管」によってつながれた「わたし」自身が「アミダクジ」の一部と化している。「アミダクジ式遍歴」を続ける「わたし」自身が「アミダクジ」そのものを体言してしまっているのである
・引用方法が手術体験記以降に変化する。それ以前の引用文では当該箇所を省略せずに引用したり、手が加わったりしても、前略・中略・後略を意味する「(……)」以外の改変は見られなかった。しかし、手術体験以降は引用に積極的な手が加えられている。「最小限必要と思われる範囲でカッコの中に注を入れたり、現代文を補足したりする形でやってみます」や「原文に我流に補注をつけながらやってみると、こうなります」「『首問答』を、問答形式にして意訳すると、ざっと次のようになります」「直接関係ある個所だけを全体から抽出して、引用させていただきます。カッコ内は、わたしが書き込んだものもあります」「山下宏明氏の校注を参考にしながら、原文・現代文チャンポン文体で紹介してみます」など、それらはさながら「食道に発見された潰瘍の部分を切除」(分解)し「胃袋を引き上げて食道の切り口につないだ」(補足)という「わたし」の手術の方法そのものである
・原典から切除された引用文を身体から切りとられた「首」とアナロジカルな関係にあるととらえると、谷崎潤一郎『武州公秘話』における「首」への死化粧(切り取った「首」にさまざまな手を加える行為)との関連も考えられるかも知れない。富岡幸一郎によるインタビュー「後藤明生との一時間」(『作家との一時間』日本文芸社/1990・10)によると、当初の計画では『武州公秘話』も作中で紹介する予定であったらしい
・「私」の眼差しのなかで増殖し続ける「丘」は表層性にあふれた作品世界のなかで謎の増殖と重ね合わせられている。いわば、「丘」の増殖は表層的な作品世界に虫食いのような<穴>をあけていく行為であるといえ、謎が謎のままで残されるという「丘」の表層的な属性がかえって作品全体を覆い尽くす表層的世界そのものを批評し、相対化する装置としてとらえられている。表層性が表層的世界そのものを相対化し、表層的であると同時にもはや表層的とすらいえないような名付け得ぬ世界を現出させている
・「人工女性の声」や「人工海水浴場」などの「人工」というものに対するこだわり
・「あの便はいつかきっと落ちるであろうとスチュワデスたちが噂していたという噂」という表現について
・高田氏によって最後まで開封されないトマトジュースの缶は、トマトジュースの色彩(赤)との関わりから考えると、『平家物語』において「血」が描かれないという指摘と関わっているかも知れない
・「私」はなぜ「あれは三浦半島と海に間違いないと断定し」ていながら、後に薬局の夫婦に対して「そんなこといいましたか」と繰り返しているのか?
・「正直いって田舎くさい」「駅前商店街」を「満員電車的であることによって都市的である」ととらえる後藤の都市認識
・「彼岸花」の群生は「血」をイメージさせるとともに首塚に出現したという「火の玉」とも関わるか?
・「彼岸花」の群生=「血」に彩られた「丘」=巨大な「首」が「黄色い箱」と並べられているようにして曲線上(S字形六車線)に並べられている(旧千葉街道と隣接している首塚をS字形六車線に隣接しているように記述した理由について)
・「ピラミッドトーク」「黄色い箱」「変化する風景」では語り手は「私」と記されている。しかし、「『瀧口入道』異聞」以降は「わたし」と表記されている(分身のテーマ?)
・「変化する風景」以降は書簡体に変化する。その点でよりエクリチュールを強調する書き方に変化しているといえる。ただし、その「書簡」の宛先が誰なのか、はっきりしない
・「『平家』の首」以降のスタイルを果たして書簡体と決め付けて良いのか?
・「私」/「わたし」や「三浦半島」に対する認識のズレ、表現形式の変化などを踏まえると、語り手はもしかすると一人ではないかも知れない(「私」と「わたし」は別人か?/「三浦半島」をめぐる言説でも「私」はそれぞれ別人としてとらえることが出来るのではないか?/パラレルワールド?)
・「萱葺きのトンネルみたいなものです」をいつの時点で思いついた所感としてとらえるか?
・「しかし、新田義貞が『太平記』の作者とは、まったく愉快ではありませんか!」という記述に見られる花田清輝『小説平家』に対する意識
・花田清輝「天草本『平家物語』について」で語られる天草本『平家物語』の対話性と喜劇性について
・「目下進行中であり、未完結である」テクストとしての『太平記』=『首塚の上のアドバルーン』
・「ニセモノとホンモノの関係を絵に描いたような世界でしょう」や「もちろんここで結論を出すつもりはありません」からうかがえる後藤の小説論
・「誤記」「書き変え」としての「快楽」を肯定すること=反アカデミズム
・「しかし、謎は解けなくとも、変化は生じます」や「素加天王神社伝記を読む前とあとでは、大違いであります」という記述を踏まえると、われわれが「生産」という言葉からイメージするものとは決定的に異なる何か―何ものにも奉仕しないもの、あるいは有用性・有意味性といった属性をともなわない何か―を着実に生み出しているテクストであるといえる
・「アドバルーン」の飄逸さ(あまりに長閑な光景ではないか!)
・口頭的表現の可能性とさまざまな場面で登場する「女」(ピラミッドトークにおける「人工女性の声」)の口頭表現との関わりについて
・さまざまな場面で登場する「女」の不気味さもまた深く追及されない
次回の研究会は梅雨時を予定している。テキストは『使者連作』(集英社)。詳細は、決定次第、ご案内します。