2013年01月31日

福砂屋のフクサヤキューブ。

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福砂屋(長崎県長崎市船大工町3-1)のカステラを頂戴した。「フクサヤキューブ」である。包装をとくとなかからカラフルなパッケージの箱が現れる。今回、頂戴したのは5箱入り。カステラの老舗がこのようなおしゃれなパッケージの新商品を出したのには驚かされる。もちろん、中身も箱にあわせて小型である。このサイズでちょうど一人前なのであろう。一度では食べきれない従来の長めのサイズに比べると、その場で食べ切ってしまえるぶん、保存の手間がかからない。お土産として配るのにも適している。有難いと思う人は多いだろう。プラスチック製の折りたたみ式フォークも便利である。
ラベル:カステラ
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2013年01月30日

香梅堂の鈴焼。

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香梅堂(和歌山県新宮市大橋通3-3-4)の鈴焼を頂戴した。鈴の形をしたベビーカステラといったところだろうか。鈴の形は地元・熊野速玉大社の神前にある速玉鈴に由来するという。素朴な味である。しかし、小腹が空いたときにはつい手を伸ばしてしまう。ふわふわした食感も良い。
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2013年01月28日

吹雪。

昨日の夕方、東の空から丸い月が昇っているのが見えた。しかし、夜の十時くらいであっただろうか。窓の外から耳障りな音が聞こえるため、窓を開けてみた。すると、驚いたことに外は猛烈な吹雪である。横殴りの雨ならぬ雪が窓ガラスを叩きつけている。もちろん、ベランダにも雪が積もりはじめている。丸い月がぽっかり浮かんだ夕方までの天候とは大違いである。この変化に驚かされた。明日は大雪だろうか。そう思いながら床についた。さいわい、雪はそれほど降り積もらなかった。うっすら雪化粧といった程度である。おかげで今朝は大雪に見舞われることなく外出することが出来た。
ラベル:
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2013年01月26日

前野直彬注解『唐詩選』(上)

先日、久し振りに岩波文庫の前野直彬注解『唐詩選』(上)をひもとく必要に迫られた。今回、おもに読み返したのは李白の「江上吟」である。

木蘭之竝ケ棠舟
玉簫金管坐兩頭
美酒尊中置千斛
載妓隨波任去留
仙人有待乘黄鶴
海客無心隨白鴎
屈平詞賦懸日月
楚王臺榭空山丘
興酣落筆搖五嶽
詩成笑傲凌滄洲
功名富貴若長在
漢水亦應西北流

いかにも李白らしいスケールの大きな詩である。特に「興酣落筆搖五嶽/詩成笑傲凌滄洲」という文言は、文学を志すものならば、誰もが一度は夢に見る境地であろう。『唐詩選』(上)には李白と双璧を成す杜甫の詩も収録されている。李白と杜甫。いずれも天才である。しかも、同時代人である2人は実際に親交を深めた間柄でもある。にもかかわらず、その作風はまったく対照的である。対照的であるにもかかわらず、われわれが抱く漢詩に対するイメージを2人の作品は代表している。そこが面白い。近いうちに暇を見てもう少しゆっくり読み返してみようと思う。
ラベル:漢詩 李白 杜甫
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2013年01月25日

生駒市の神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑。

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「神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑」と刻まれた石碑が富雄川の東岸(生駒市上町)にある。裏面には「神武天皇戌午年十二月皇軍ヲ率ヰテ/長髄彦ノ軍ヲ御討伐アラセラレタリ/時ニ金鵄ノ瑞ヲ得サセ給ヒシ二因リ/時人其ノ邑ヲ鵄邑ト稱セリ聖蹟ハ此/ノ地方ナルヘシ」と刻まれている。建立は昭和15年。これまでに見て来た神武東征関連の石碑に比べると、はるかに巨大である。石碑を建立した有志の強い思いがうかがえる。もちろん、私は当地において実際に神武天皇率いる東征軍と長髄彦=登美毘古との戦いが繰り広げられたとは考えない。神話の類を史実としてとらえることには懐疑的である。確かに富雄川沿いには「鵄山」と呼ばれる丘陵が存在する。「鵄山」には「金鵄発祥之處」と刻まれた石碑が立つ。今回の探訪では訪れなかったものの、白庭台地区には「饒速日命墳墓」「長髄彦本拠」「鳥見白庭山」といった文言が刻まれた石碑も点在する。真弓地区には「真弓」の地名の由来となった真弓塚もある。これらは、池田勝太郎代表/池尾宥祥編輯『金鵄発祥史蹟考』(増補再版・第4版/金鵄会/1939・6 )において、いずれも神武東征神話と関わりのある史蹟として紹介されている。しかし、それらが富雄川の流域に存在しているからといって、東征神話が史実であったという証拠にはならない。何しろ、それらの石碑が建てられたのは『古事記』や『日本書紀』に記された神武天皇の時代からは2600年近くも後のことなのである。真弓塚もまた長弓寺の創建に関わる奈良時代の史蹟として伝えられているに過ぎない。私自身は、現在、生駒山地の一角にある「十三塚」を「とみづか」と読み、「十三塚は養老の『軍防令』の規定にならった古代の烽台跡ではなかろうか」(「十三塚」/『地名伝承論―大和古代地名辞典』所収/名著出版/1990・10)と考える池田末則の論考との関わりから、「トミ」の地名を持つ当地=登美=富雄の歴史をとらえてみたいと思っている。池田によると、「トビ」や「トミ」といった音をふくむ地名は古代の「烽」(飛火)にちなむという。すなわち、古代の「烽」にちなんだ当地が後代に東征神話と結びつき、あたかも長髄彦=登美毘古の本拠地であり、同時に東征軍との激戦の地であったかのように解釈されたのではないか、と。「時人其ノ邑ヲ鵄邑ト稱セリ聖蹟ハ此/ノ地方ナルヘシ」という文言の刻まれた巨大な石碑を前にして、あらためて神話と史実との違いについて考えた。
ラベル:神武天皇
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2013年01月24日

生駒市の夫婦塚。

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富雄川の西岸から百メートルほど丘陵側に入ったところに饒速日命の妻で那賀須泥毘古(長髄彦)の妹であった登美夜毘賣(御炊屋姫)の塚とされる石碑が立っている。夫婦塚である。出典は池田勝太郎代表/池尾宥祥編輯『金鵄発祥史蹟考』(増補再版・第4版/金鵄会/1939・6 )による。『金鵄発祥史蹟考』には北倭村の「字高樋にあり御炊屋姫塚なりといふ」と記されている。神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑とは富雄川を挟んだ反対側の田畑の一角である。田畑の一角にぽつんと立っている。遠くからでは田畑のなかにこのような石碑があることなど気がつかないだろう。もちろん、塚と称してはいても、神話の類の人物のものである。当然、墳丘らしきものはない。事実、「夫婦塚」と刻まれた文字の下にはそれよりも小さな文字(横書き)で「傳稱」(伝称)と刻まれている。その謙虚さがまことに良い。
ラベル: 神武天皇
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2013年01月23日

今年の風邪は。

先週末より風邪をひいている。しかし、今年の風邪は熱が出ないようである。少なくとも私の場合はそうである。その代わり、鼻水と咳が続く。それも深刻なほどではない。しかし、何日もだらだら続く。これが今年の風邪の特徴なのであろうか。忙しい時期である。本来であれば、風邪などひいている場合ではない。一日も早く恢復したい。
ラベル:風邪
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2013年01月22日

生駒市の「金鵄発祥之處」の石碑。

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戦前に発行された池田勝太郎代表/池尾宥祥編輯『金鵄発祥史蹟考』(増補再版・第4版/金鵄会/1939・6 )によると、高山郵便局(生駒市上町3410-2)の裏手に位置する丘陵が鵄山であるという。実際、高山郵便局の裏手の丘陵の一角に「金鵄発祥之處」と刻まれた石碑が建立されている。「金鵄発祥之處」と刻まれた石碑は樹木が生い茂る林のなかにぽつんと立っている。視界も樹木によって遮られ、部分的に富雄川方面が見通せるくらいである。いまでは誰からも顧みられなくなっているかのようにそのたたずまいも寂しげである。「鵄山」の石碑と同様、石碑そのものはそれほど古いものではない。近代に入ってから建てられたものであろう。
ラベル:神武天皇 石碑
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2013年01月21日

生駒市の「鵄山」の石碑。

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富雄には神武天皇東征神話にちなんだ伝承地が幾つか残されている。正月、初詣を兼ねて富雄川沿いを散策した折にはその伝承地の幾つかをめぐった。ここでまず断っておきたいのは、伝承は、所詮、伝承に過ぎないことである。伝承を史実の反映であるとは積極的に考えるべきではない。伝承と史実との違いを明確に意識しておくことはやはり必要である。しかし、過去、実際にそういった出来事があったかどうかは別にしても、神武天皇東征神話がその土地に伝わって来たことは興味深い。もちろん、伝承が史実を必ずしも反映させたものではないように、伝承自体も時代の変遷によって変化しているはずである。私が本当に知りたいのはその変化の過程である。しかし、いまではそれももはや不可能というものであろう。写真は「鵄山」の石碑である。富雄川沿いにある高山郵便局(生駒市上町3410-2)から裏手に入っていく道がある。「鵄山」の石碑はそのかたわらに立っている。「従是東二丁」と刻まれているように、この道を奥(東)へと入っていくと、やがて長髄彦との戦いのさなかに出現した「金色霊鵄」(金鵄)の発祥の地とされる鵄山に到着する。高山郵便局の裏手に位置する丘陵が鵄山であるという。
ラベル:石碑 神武天皇
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2013年01月20日

後藤明生を読む会(第14回)

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後藤明生を読む会(第13回)→こちら

昨日は後藤明生を読む会の第14回がもよおされた。今回のテクストは『めぐり逢い』(集英社/1976年3月)である。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。貴重発表の後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておこう。

・夏目漱石の『我輩は猫である』を如何に「本歌取り」したかが『めぐり逢い』の大きなテーマとなっている
・「あとがき」における「『吾輩は猫である』の本歌取り式のことをやってみたいと思った」という微妙な表現について(なぜ、率直に「『吾輩は猫である』の本歌取りをやってみたいと思った」と書かなかったのか?)
・藤原定家の『毎月抄』における「本歌取り」についての解説(「よみかへ」「その歌をとれるよと、きこゆるやうによみなす」「あまりにおほくとる事は、あるまじき」)
・漱石の時代と現代=『めぐり逢い』の時代とのズレを団地という場所によって描く
・冒頭で披露されている「わたし」が猫を嫌う理由=「猫は笑わない」という記述は『吾輩は猫である』における「猫だって笑わないとは限らない」云々の箇所を意識した一節である。いわば、その冒頭部分からすでに『吾輩は猫である』に対する批評性を含んでいる
・ユーモアあふれる列記法の継承(『夢かたり』における「胃痛」から「肩こり」への変化の過程と『我輩は猫である』における苦沙弥先生の胃痛対策部分との対比)
・「極限すれば、伝統的な空間意識に根ざした語彙では、高層住宅の描写で正確なコミュニケーションを保つことさえできにくくなっている」(磯田光一『戦後史の空間』)という点について(磯田をはじめとする団地論としての後藤論についての批判も含めて)
・団地によって関係は如何に変化したのか?→関係の不透明化=都市化=「噂」の発生(『めぐり逢い』のもう一つの大きなテーマとして団地内の「噂」がある)
・「わたし」の職業に関する噂について「明治の人間なら怒るところ」(p28)という記述は漱石の『我輩は猫である』を意識している
・p191前後の「わたし」の「つくり話」としての「噂」を語った箇所は噂そのものの生成過程を描いた箇所であるともいえる
・後藤明生「噂の構造」(「図書」1979年8月)との関わりについて
・「実さい何匹目だろう」(p94)と書かれているくらい、さまざまな猫が登場する(スギノヤの猫・追分における子連れの野良猫・墓地の前で遭遇した猫・団地に登場したゴン・ナナ)
・「怪電話」において「猫の繁殖力」が語られていることとの関係について
・「怪電話」の後には今度は「贋ゴン」まで出現すること
・これらの異常な増殖がグロテスクであり、喜劇でもある形で描かれていること(その増殖はナナの虚勢手術およびナナ・ゴンの失踪によって強制的に終了する)
・第二の「怪電話」において撒き散らされた「噂」
・猫殺しの噂と冒頭近くで言及される『刑事コロンボ』との対応関係
・『吾輩は猫である』以外にもさまざまな作品からの「本歌取り」がおこなわれている
・物語の最後に登場する「立別れいなばの山の峯に生ふるまつとしきかば今かへりこむ」(中納言行平)の和歌のシーンは内田百閧フ『ノラや』のなかの一節を踏まえたものであろう
・百閧フ作品名は具体的に登場しないが、さまざまな点で巧みに踏まえられていると考えられる(大学でドイツ語を教えているという「ドイツ猫」の教師は海軍機関学校でドイツ語を教えていた百閧意識したものであろう/怪電話のシーンも『ノラや』の一節を意識しているものと思われる)
・作中に登場する『百人一首』との関わりでいえば、タイトルとなった「めぐり逢い」という文言は「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」(紫式部)の和歌を踏まえていると考えられる(そうであるからこそ、物語の最後でナナとゴンは「雲隠れ」をしてしまう)
・猫を題材にした作品にありがちなように、猫に愛着を持った小説として描かれていない点に特色がある
・むしろ猫を通して家族間の人間関係(他者性)や団地内の不透明さ、噂の構造、団地(間取り)の構造などを描いた小説であるといえる
・猫以外にも犬やウサギ、ハト、虎などさまざまな動物が登場するのも特徴である
・猫の話かと思えば、犬の話に脱線したりする
・しかも、それらの動物は、本来、画一的で閉鎖的であるはずの団地やそこに住まう「わたし」自身を侵食して来るような存在=他者として描かれている(その意味では団地の持つ画一性・閉鎖性を諷刺した小説としても読むことが出来る)
・ドイツ猫の教師、寿司屋のおやじ、「わたし」が喧嘩をするシーンの滑稽さと幻想性について
・深夜2時に作られる「不精ラーメン」の持つゴッタ煮性が『めぐり逢い』の方法を部分的に象徴している
・「性格」や「動機」(因果関係)によって世界をとらえることを拒絶していることについて
・異物としての「東アチ」案内文とその引用方法
・「東大襖部」について(襖の破れ目をそのままにしておくことの意味について)
・1975年9月21日から新聞で連載された本作はそれを読み進める読み手自身の日常的な時間と重なりあうようにして出来事を進行させているものの、同年の年末で連載が終わるにもかかわらず、物語は正月のシーンを持ち出して終わる(現実と小説とのズレを喚起することで本作がまぎれもないフィクションであることを指し示している)

次回の研究会は春頃を予定している。私が貴重発表をおこなう。テキストは『首塚の上のアドバルーン』(講談社)。詳細は、決定次第、ご案内します。
ラベル:後藤明生
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2013年01月18日

学園赤松町の阿弥陀寺。

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富雄川沿いの法融寺(奈良市二名1-2420)の石段下から学園前方面に抜ける道がある。その道を学園前方面に向かって歩いていく。左手に「二名小学校跡」と刻まれた石柱を見ながらさらにだらだら坂を登る。ささやかな峠を越えて下っていくと、左手に阿弥陀寺(奈良市学園赤松町2826-1)がある。一般に「みねのてら」と呼ばれているという。富雄と学園前とを分かつ丘陵の峯に建てられているからであろう。いまではあたりは住宅で埋め尽くされているが、かつては眼下に山野が広がる見晴らしの良いビュースポットであったはずだ。写真は境内に並べられた石仏の一つ。石を組み合わせて簡素な屋根を作っているのが微笑ましい。本堂の裏手には役の行者の石像が置かれていた。参道の脇には山中麦邨の句碑も建立されていた。
ラベル: 石仏
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2013年01月17日

二名町の二名小学校跡。

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法融寺(奈良市二名1-2420)の石段下から学園前方面に抜ける道がある。その道を学園前方面に向かって少し歩くと、左手に「二名小学校跡」と刻まれた石柱が立っている。奈良市立二名小学校(奈良市二名町1-3716-1)は現在も存在する。しかし、その位置は石柱のある付近から北方へ500メートルほどのところである。創立は昭和48年であるとのこと。ということは、昭和48年当時、石柱のあった付近が二名小学校のあったところなのであろうか。詳しいことは何もわからない。あたりに人影もなく、誰に訊ねることも出来なかった。
ラベル:小学校
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2013年01月16日

二名町の法融寺。

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法融寺(奈良市二名1-2420)は杵築神社(奈良市二名平野町2-2097)の南方数百メートルのところに位置している。長い石段をのぼっていくとやがて山門に達する。七福神を刻んだ巨大な石造物には圧倒される。お堂も真新しく、近年、建て替えられたのであろう。境内を散策していた参拝者の話によると、大晦日には除夜の鐘で多くの参拝者が詰め掛けるという。写真は長い石段の登り口に安置された地蔵石仏である。境内には他にも多くの石仏・石塔が見られた。
ラベル: 石仏
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2013年01月15日

二名町の杵築神社。

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初詣の日は、長弓寺(生駒市上町4446)に参詣した後、富雄川沿いをさらに南下した。途中、杵築神社(奈良市二名平野町2-2097)の参道に長蛇の列が出来ているのを見つけた。田んぼに挟まれた参道は、普段、閑散としている。それが新年を祝う参拝者で埋め尽くされているとは珍しい。地元民にしか知られていない秘密の功徳でもあるのだろうか。思わずその列に連なり、想定外の参拝と相成った。杵築神社は、6世紀末期以降、当地をおさめた敏達天皇皇子・春日王ゆかりの古社であるという。杵築神社はもしかすると春日王とその末裔の本拠地に建てられた神社であったかも知れない。本殿の斜め裏手、やや小高くなったところには頌徳社という小社がまつられている。その脇にはコンクリート製の収蔵庫が建っている。格子の隙間からなかをのぞくと、像高数十センチ程度の仏像などが安置されていた。当地にかつて存在した神宮寺にでもまつられていた仏像であったのであろうか。
ラベル:神社
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2013年01月14日

真弓で昼食。

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昨日は午前5時起床の早朝出勤。帰宅後、別件の仕事を夜中の1時過ぎまで続けた。今朝も午前中は仕事に励み、昼過ぎにようやく終了。今月前半の山場を何とかクリアした。やっと終わったという印象である。午後からは昼飯と買い物がてら生駒市北部および奈良市西部に出没した。昼食で訪れたのは“そば庵吟 ”(生駒市真弓1-3-16)である。本当は生駒市内の別の蕎麦店を訪れるつもりであった。しかし、そちらが臨時休業であったため、急遽、行き先を“吟”に変更したのであった。“吟”を訪れるのははじめてである。その住所は、昨日、一緒に仕事をした某女の近所である。こんなことになるなら、昨日、事前に某女から“吟”の情報を仕入れておくべきであった。土日祝日限定の十割蕎麦をいただく。丁寧に作られているのが良くわかる美味しい蕎麦であった。個性的な女性店員との会話も楽しんだ。買い物では登美ケ丘界隈に出没した。
ラベル:蕎麦
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2013年01月11日

今月前半の山場。

昨夜、来週〆切の短文を書き上げた。短いだけに書くことを取捨選択しなければならず、かえって苦心惨憺であった。本日、無事、提出。今日から来週の月曜日にかけては仕事の掛け持ちが続く。今月前半の山場である。特に明日・あさっては朝から大忙しである。途中でバテないように頑張ります。
ラベル:仕事
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2013年01月10日

生駒市の長弓寺・石塔婆。

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写真は長弓寺(生駒市上町4446)本堂の脇に建てられた石塔婆(板碑)である。高さは140センチメートル。身部に宝塔が刻まれており、その基礎の部分には永禄元年(1558)の年号も残されている。
ラベル: 石塔
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生駒市の長弓寺・本堂。

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元日の午後、初詣に高山八幡宮(生駒市高山12679-1)を参拝した。その後、富雄川沿いを南に下って長弓寺(生駒市上町4446)を訪れた。正月3ケ日には、普段、一般には公開されていない本堂(国宝)が開放されている。本堂は正面に1間の向拝がつく桁行5間・梁間6間の入母屋造・檜皮葺。弘安2年(1279)の建立である。和様を基本としながらも、建立当時、大陸から伝わっていた意匠(大仏様)が各所にほどこされており、いわゆる新和様の代表的な仏堂となっている。堂内は菱欄間と格子戸によって内陣と外陣とに区画されており、外陣の上には3間通しの長大な虹梁が渡されている。本堂の開放にともない、内陣に安置されている本尊・十一面観音菩薩立像(国重文)も御開帳されていた。
ラベル:
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2013年01月09日

生駒市の法楽寺・十三重石塔。

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元日の午後、初詣に高山八幡宮(生駒市高山12679-1)に参拝した。その後、すぐ近くの法楽寺(生駒市高山町6601)を訪れた。法楽寺を訪れるのははじめてである。訪れたとき、寛文3年(1663)に再建された本堂では改修工事がおこなわれていた。今年の3月には工事が完了するようである。したがって、今回は堂内をじっくり拝観することは叶わなかった。本尊の薬師如来坐像や寺宝の女神像などの文化財も別の場所に移されているようである。十三重石塔は庫裏と思しき建物の庭先に安置されていた。高さ370センチメートル。初層の軸部4面には仏像が半肉彫りされている。上部の相輪部分の破損が見られ、それが不安定な印象を与えているようである。康永4年(1345)の銘があるという。
ラベル:石塔
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散髪。

今日は朝のうちに仕事を終わらせた。その後、昼過ぎまで雑用に追われた。来週〆切予定の原稿の構想も練らなければならなかった。午後から外出。2ヶ月振りの散髪に出向いた。髪を短く刈り込んだおかげで気分もすっきりである。それにしても、今日は知り合いに良く遭遇した。理髪店におもむいている途中、まず出会ったのは小学時代の同級生Sであった。Sは愛犬を連れて優雅に散歩をしている最中であった。散髪からの帰り道に出会ったのは仕事仲間のMである。その後、別のところでNと出くわした。日中、街中をぶらぶらしていることが多いとはいえ、こんなに知り合いと遭遇するのは珍しい。不思議な昼下がりの出来事であった。
ラベル:散髪
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2013年01月07日

生駒市の高山八幡宮。

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高山八幡宮(生駒市高山12679-1)には初詣の折に訪れた。本殿(国重文)は三間社流造・檜皮葺。1572年の造立である。蟇股には蓮・隼人瓜・枇杷、虹梁木鼻には牡丹・桃・渦文の彫刻がほどこされている。しかし、拝殿の脇から遠目に見ることになるため、自分の眼ではっきり確認することがなかなか難しい。敷地内には拝殿のほかにも舞台や宮座用に使われると思われる建物が立ち並んでいる。いまでも地元民の尊崇を集めているのであろう。私が訪れたときも近くに住む方々が数多くお参りに訪れていた。
ラベル:神社
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2013年01月06日

帰宅しました。

新年早々から旅に出ていました。無事、帰宅。今回は兵庫・岡山方面を旅しました。具体的にどのあたりをめぐったかはまた後日報告します。とにかく今夜はゆっくりします。
ラベル:岡山 兵庫
posted by 乾口達司 at 22:07| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

謹賀新年。

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今年も宜しくお願いします。始発列車に乗り込み、これから瀬戸内方面への旅に出ます。週末に帰宅します。
ラベル:正月
posted by 乾口達司 at 04:39| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする