2012年11月05日

後藤明生を読む会(第12回)

20121105-1.bmp

後藤明生を読む会(第11回)→こちら

11月3日には後藤明生を読む会の第12回目がもよおされた。今回のテクストは8月に刊行されたばかりの『この人を見よ』(幻戯書房/2012年8月)である。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。今回は編集者のA氏の担当であった。A氏の発表後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておこう。

・第16章の「某日(土)東京(?)」において場所(空間)が曖昧になり、引き続いて第17章の「某日(土?)東京」において曜日(時間)が不確かになる。以後、現実に近接していた時間と空間は消滅する
・第2章において「日本酒はどうですか」という「私」からの密会の暗号にR子は応えない。小説内の現実の事件はここで終わる。「私」とR子との電話でのやりとりを除くと、現実のエピソードはすでに第2章で終焉している
・第6章の「正確に」「順序通りに」書くと、リアルであるはずの文章がかえって非リアルな奇怪な文章に転化してしまう
・第7章・8章の「アロエ大明神」の手足をもぎとるという行為について
・第9章・10章の京都散策は「文学散歩」を批評した「反=文学散歩論」となっている
・第10章に描かれる土下座姿の高山彦九郎像とうら若き白人女性との関係は谷崎的マゾヒズム・外国人女性崇拝のパロディとして描かれていること。さらにそこに視姦族との三角関係も生じている
・第10章の京橋のシーン。温泉マークやポンビキ氏の出現には後藤明生自身の生の感動がどこかで出ているのではないか?
・坂口安吾の『道頓堀罷り通る』における連れ込み旅館の言及は真実か!?
・『この人を見よ』における主要な作品『鍵』の作者である谷崎潤一郎自身も大阪論を書いているが、よりによって安吾の大阪論のようなトンデモナイものを出して来るところが面白い
・第15章において「私」が急に司会者として自信を失うのは「私」のインポテンツと関わりがあるのか?
・第20章冒頭の4ページは異様である。いったい何のためにこの4頁があるのかわからない。すでにはじめられている架空シンポジウムでもなければ、すでに捨て去られた日記でもない。しかも、その内容たるや、荒唐無稽そのものである
・第20章に登場する歌(カラスの赤ちゃんの歌)が、昭和14年、海沼実(1909〜1971)によって作詞・作曲され、戦後も海沼の創設した音羽ゆりかご会で合唱された歌であることは知られているが、そのこと自体を披露しても何の意味もない。注目すべきはむしろ「私」における記憶と欲望の反復性である。「繰り返し、繰り返し、繰り返し」という強迫性は「関係」そのものであるといっても良いだろう。
・本文の随所に戦歌・童謡・歌謡曲・唱歌・都都逸・民謡・讃美歌などが挿入されている。そのすべてで作者名が抜け落ちており、個人の消滅に対して、歌詞(言葉)だけが残されている
・さらにはそこから派生した奇妙な歌「レディース・アンド・ジェントルメン!/太郎さん、花子さん!/お父さんは単身赴任/お母さんはカルチャーセンター/太郎さんは大阪へ/花子さんは新宿へ/レディース・アンド・ジェントルメン!/太郎さん、花子さん!」(p75・155・223に行分けの形で出て来るが、初形はp43やp47などの行分けなしの本分中にある)のようなものまで自然発生的に現われている
・後藤明生における戦歌や歌謡のテーマはあらためて論じられるべきであろう(「マーラーの夜」における驚くべき異種混淆的歌詞も参照)
・ギリシャ劇風のコロスの合唱や能・歌舞伎の地謡、シェイクスピアの魔女(?)は「声」(1)〜(10)や「声(?)」とどこかで通底しているかも知れない
・三角関係の氾濫。「三」には衆知を纂めるという含意があろう(「一」は独白・「二」は対話・「三」は鼎談であり、「二」が「三」になると、たちまち飛躍・混乱が生じる)。この場合は嫉妬(他人の欲望に喚起された自己の欲望)が三角関係の生みの親となっている
・謎めいたA某氏は『ゴドーを待ちながら』のゴドーと同じ役割か?(その一方で「私」やB某氏に相対化される存在でもある)
・当初の「私」はA某氏の千円札文学論に批判的である。しかし、やがてA某氏を意識するあまり、その書き方がA某氏の文学理論に似て来る(「私」の書き方の変化も『この人を見よ』の大きなテーマの一つ)
・「この人を見よ」(エッケ・ホモ)の「この人」とは、本来、イエス・キリストのことを指すが、ニーチェになると「このオレを見よ」という自伝形式となる。現代的は有名人の伝記に「この人を見よ」が使用されるが、本作にはこのようなコノテーションはないと思われる。むしろ日記形式の「私」から架空シンポジウムの経緯を説明する話者としての「私」を経て、架空シンポジウムの司会者(らしきもの)になりゆくのであり、結果は「私」の縮減あるいは消滅へと向かう。最終的な結果はどうなったか?「この小説を見よ」(言葉)が残ったといえる
・日記(のようなもの)の筆者である「私」が脳髄中のシンポジウムの導入者兼語り手となり、その司会者兼記録者になることによって、思いがけず小説の書き手のようなものになってしまう。主要な登場人物が小説の書き手であるというのは私小説の常道ではあるものの、この小説の場合は私小説とは似ても似つかない。いわば、後藤式小説講座実践篇の観を呈している
・『この人を見よ』全体が谷崎や芥川、太宰の晩年および晩年の作品をあつかい、中野重治による葬式めぐりについても言及されているように、作品の底流には「死」や「晩年」という事態に対する後藤明生の意識が踏まえられているのではないか(p244の「番外篇」という表現も(人生)の「番外篇」=「おまけ」=余生意識とつながっているのか?/後藤明生版「余生小説」として読めるのではないか?―いわゆる「余生小説」とは似ても似つかない奇怪なテクストではあるが)
・芥川の『西方の人』に登場するカラスについて
・『この人を見よ』の連載当時に起こったソ連邦の崩壊や湾岸戦争に対する批判の痕跡はあるのかどうか?

次回の研究会は来年の年明けを予定している。テキストは『めぐり逢い』。ただし、その前に年末恒例の文学散歩・忘年会もおこなうつもりである。文学散歩は『この人を見よ』に登場する「温泉マーク」や「ポンビキ氏」を求めて京橋界隈を散策する予定。詳細は後日あらためて案内します。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:08| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする