2012年11月30日

後藤明生を読む会(第13回)のお知らせ(文学散歩&忘年会)

2009年の年末以来、大学時代の同窓生たちと内向の世代の小説家・後藤明生(1932年〜1999年)をめぐる勉強会を立ち上げようと話し合って来た。これまでに何度も会合を重ねた。そして、2010年8月29日に第1回の読書会をもよおすことが出来た。以後、勉強会を重ねて来ている。前回の勉強会のことは11月5日の日記で報告した。今回は、昨年末の第7回と同様、通常の読書会とは趣向を変えて『しんとく問答』および『この人を見よ』ゆかりの地をめぐる文学散歩と忘年会をもよおす。参加は自由である。興味のある方はいらっしゃって下さい。

■第13回後藤明生を読む会の御案内
2009年の暮れから有志で集まり、内向の世代の文学者・後藤明生の評論集を制作・刊行してみようと話しあってまいりました。それに先立ち、後藤明生の文学をより深く理解するため、これまでに「後藤明生を読む会」を企画・運営し続けております。後藤作品について共同で討議をするなかでお互いの認識と協同性を高めあい、後藤明生論集を執筆・刊行してゆく道筋をつけていければと考えております。特に発表者と聞き手とが相互に入れ替わることで各人がテクストの読み手であると同時に書き手であるという相互変換的な存在へと成長していければと願っております。
さて、来る12月10日、第13回の「後藤明生を読む会」をもよおします。
通常の読書会とは趣向を変え、今回は番外編として後藤明生『しんとく問答』および『この人を見よ』ゆかりの地をめぐる文学散歩と忘年会をもよおします。
参加資格などは一切ありません。
万障お繰り合わせの上御出席下さいますよう御案内申し上げます。
謹白

日   時  12月10日(月)
集合時間  14:00
集合場所  JR森ノ宮駅改札口(みどりの窓口付近/構内図→)
散策ルート JR森ノ宮駅→聖マリア大聖堂→越中井→後藤明生旧居→難波宮跡公園→宇野浩二文学碑(中大江公園)→大阪城公園→JR京橋駅(忘年会は京橋界隈にて)
テキスト  後藤明生『しんとく問答』(講談社)/『この人を見よ』(幻戯書房)
参加費用  なし(忘年会では実費負担)
※…荒天により大幅に交通の乱れが生じた場合は中止
※…はじめて参加される方、忘年会のみ参加希望の方は前日までにこちら(inu_t@hotmail.com)までご連絡下さい
タグ:後藤明生
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2012年11月28日

天王寺で一杯。

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“正宗屋”(大阪市阿倍野区阿倍野筋1-6-1ヴィアあべのウォーク1F)はあべのウォークの一角に店舗を構えている。午前11時から開店しているという。昼間から酒が呑めるので有難い。訪れたのは午後1時過ぎ。久し振りに昼酒を楽しんだ。きずしや串カツを食べながらである。店内には私のような昼酒を楽しむ客が多かった。
タグ:
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2012年11月27日

大阪市の天王寺動物園(動物慰霊碑)

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天王寺動物園(大阪市天王寺区茶臼山町1-108)の一角に「動物の霊のために」と書かれた大きな慰霊碑が建てられている。社団法人大阪動物愛護協会の寄贈。天王寺動物園の開園以来、園内および大阪府下で死んだ動物・家畜を供養するために建てられたものであるという。表面のレリーフにはさまざまな動物が描かれている。天王寺動物園といえば、先日も国内最高齢のキリンが死んだばかりである。先日、園内をめぐったとき、今年だけでもキリン以外にたくさんの動物が死んでいることを知った。こういった動物たちもやがて慰霊碑において供養されることになるのであろう。
タグ:動物園
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2012年11月25日

大阪市の天王寺動物園。

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天王寺動物園(大阪市天王寺区茶臼山町1-108)を訪れたのはかれこれ二十年振りだろうか。学生時代に訪れて以来ではないかと思う。今日は絶好の行楽日和であった。動物の多くはあたたかい日差しのもとでうつらうつら昼寝をしていた。コアラなどは動く気配すらなく、置物のようにただただじっとしていた。写真の中央にいるのはゾウである。後方に見える高い建物はあべのハルカス。天王寺動物園といえば、これまでは園内から見える通天閣の存在感が強かった。しかし、今後はあべのハルカスが通天閣にとってかわるのかも知れない。
タグ:動物園
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2012年11月24日

明日香村の飛鳥資料館。

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奈良文化財研究所飛鳥資料館(奈良県高市郡明日香村奥山601)を訪れた。11月1日から12月2日まで奈良文化財研究所創立60周年記念特別展『花開く都城文化』がもよおされている。『花開く都城文化』では韓国国立文化財研究所とともに奈良文化財研究所が進めて来た古代都城制に関わる研究の成果が紹介されている。本来は中国を交えた日中韓の三国による共同展となる予定であった。しかし、先日の尖閣諸島の問題がわざわいしたのであろうか。中国から借用する予定であった展示物の展示が叶わず、日本と韓国の二国による展示へと急遽変更になった。その間の経緯を奈良文化財研究所の内部からの証言で見聞きしているだけに、こういったところで日中問題がわざわいしているのは残念である。写真は吉備姫皇女王の墓域に安置されている4体の猿石のうちの1体(山王権現)のレプリカ。飛鳥資料館の敷地内にはそれらを含めた古代飛鳥の石造物の多くがレプリカとして展示されている。本物ではないものの、さまざまな角度から対象を眺められるのは有難い。写真の「山王権現」の場合は正面からしか眺められない本物とは違い、その背面も確かめることが出来る。写真はその背面部分。その背面にこのような奇怪な顔のようなものが刻まれているのは興味深い。
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2012年11月23日

綴喜郡宇治田原町の禅定寺・五輪塔。

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禅定寺(京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字庄地100)の境内に五輪塔が立つ。2メートル近い高さである。地輪の表面に「康永壬午十二月四日」の銘が刻まれている。したがって、南北朝時代前期の造立である。禅定寺といえば、どうしても収蔵庫に安置された仏像群に真っ先に関心が向いてしまう。しかし、こういった五輪塔にも目を向けたいものだ。
タグ:石塔
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2012年11月22日

綴喜郡宇治田原町の禅定寺。

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禅定寺(京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字庄地100)をはじめて訪れたのは十年くらい前だろうか。確か大晦日に近い寒い日であったと思う。三山木の観音寺を訪れた折についでに足をのばしたのである。少し前、用があって久し振りに禅定寺を再訪した。禅定寺といえば、収蔵庫に安置された仏像群を挙げねばなるまい。本尊の木造十一面観音立像(国重文)は像高286センチメートルの堂々たる体躯である。木造日光・月光菩薩立像(国重文)と同様、彫りに力強さは感じられない代わりに優美な印象を受ける。藤原時代の作であるというのもうなづける。真正面にすわり、下から見上げるようにして拝すると、実に素晴らしい。他にも四天王立像や大威徳明王像、地蔵菩薩坐像などが安置されており、壮観である。それぞれを側面や背面から眺めることが出来るのも有難い。以前の年末に訪れたとき、収蔵庫のなかは底冷えのする状態であった。寒くてじっとしていられなかったほどである。しかし、訪れた時期が早かったせいだろう。今回はそれほど寒さを感じなかった。
タグ: 仏像
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2012年11月21日

宇治田原で昼食。

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新立麺館”(京都府綴喜郡宇治田原町立川立川67−1)を訪れたのはしばらく前のことである。かねがね食べてみたいと思っていたデリシャスラーメンを注文。分厚いバラ肉が何枚も乗せられており、麺はその重みでスープのなかに沈んでいた。バラ肉は美味しかった。しかし、その分量には圧倒された。おかげで食べるのに一苦労であった。がっつり食べたい若者には喜ばれることだろう。麺とスープは第一旭の流れをくんでいるのであろうか。醤油をベースにしたスープであった。次回、訪問する機会があれぱ、牛骨ラーメンを食べてみたい。
タグ:ラーメン
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2012年11月19日

散歩。

今日は久し振りの終日オフ。昨日まで大忙しであったため、何も考えず、ゆっくりした。午後から2時間近くを散歩についやした。平城宮跡から奈良町界隈まで足をのばした。おかげでなまった身体もリフレッシュすることが出来た。
タグ:散歩
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2012年11月16日

ならまち消防ポンプ収納庫。

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天理街道に面した飛鳥小学校の校門脇に「ならまち消防ポンプ収納庫」が設けられている。収納庫の上には鹿の像が置かれている。これが大きい。おそらく実際の鹿と同じくらいの大きさがあるのではないか。角が特に立派である。扉にも鹿が描かれている。
タグ:消防 鹿
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2012年11月15日

平城宮跡の公孫樹。

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平城宮跡・遺構展示館の裏手に大きな公孫樹がある。この時期、それが色づいていくのを見るのが楽しみである。青々していた葉が次第に黄色く色づいていく。はじめのうちはゆっくり色づく。しかし、ある段階まで来ると一気に進行する。今年も立派に色づいた。平城宮跡の公孫樹が色づくと秋であることを実感する。
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2012年11月14日

平城宮跡のすすき原。

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平城宮跡を散策。この頃はすすきの群生が見られる。すすきの群れが風によっていっせいにゆれるさまは幻想的である。だらりと垂れ下がった部分は人の手のようにも見える。おいで、おいで。そう誘われているかのようだ。
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2012年11月12日

奈良旅手帖2013年。

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2013年用の奈良旅手帖を購入。今回の表紙は石舞台をはじめとして明日香村の石造物を配したものである。ちなみに現在愛用している2012年版の表紙は奈良県内に点在する古墳をイラスト化したもの。2012年版に比べるとインパクトに欠けるものの、2013年版も愛用することだろう。
タグ:手帖
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2012年11月11日

京都国立博物館特別展『宸翰―天皇の書』

11月25日まで京都国立博物館でもよおされている特別展『宸翰―天皇の書』を鑑賞した。宸翰とは天皇の手によって綴られた書のこと。今回の展覧会では奈良時代から近代までの宸翰および関連する書が数多く展示されている。宸翰については何の知識も持ち合わせていないが、宸翰をテーマにして特別展を組むという着想自体がなかなか面白いと思った。個人的には伏見天皇の書や「龍虎」などと記された豪壮な後陽成天皇の書が印象深かった。宸翰以外では『藤原佐理筆詩懐紙』や『藤原行成筆白氏詩巻』といった著名な書を拝見することが出来たのも有益であった。今日は雨の一日であった。京博を訪れた折も雨であった。しかし、そのぶん入館者が少なくて助かった。
タグ:展覧会
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2012年11月10日

木津川市の高田寺。

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高田寺(木津川市加茂町高田奥畑54)でも今年は11月1日から4日まで秋の一般公開がもよおされた。等身大の本尊・薬師如来坐像(国重文)は平安・院政前期の作。定朝様式の穏やかなお顔である。近年の修理の際、台座裏に「保安」(1120〜1123年)の年号や藤原実方の和歌、落書きの人相などが墨書きされていることが判明したという。墨書きされた場所は台座の裏面であったため、自分の目で拝見することは叶わなかった。ご住職によると、いまでは肉眼で確認することも出来ないくらいであるという。その脇には同じくらいの大きさの阿弥陀如来坐像も安置されていた。写真は墓地を兼ねる境内の片隅に並べられた六地蔵風の石仏群である。墓地の中央には新しい墓石に混じって中世の五輪塔も立っていた。
タグ: 石仏 石塔
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2012年11月09日

大安寺西の奈良県立図書情報館。

資料を渉猟する必要があって奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西1-1000)へおもむいた。久し振りの訪問である。普段、大掛かりな調べものをおこなうときは大阪府立図書館まで出掛ける。しかし、今日は午前中に別の所用が入っていたためそれほど時間をとることが出来ない。そういった経緯もあって奈良県立図書情報館へおもむいたのである。何しろ久し振りの訪問である。資料請求の方法、請求した資料のコピーのとり方、いずれもすっかり忘れており、女性職員にいろいろ訊ねてようやく思い出した次第である。貸出カードも以前に作っている。しかし、その貸出方法も忘れていた。貸出カウンターにおいて図書を借りようとしたところ、その横に自動貸出機なるものがあるのを発見。どうやら自分で操作をして図書を借りられる機械であるようだ。まずは所定の場所に貸出カードを挿入する。次に借りたい図書を別のところに置き、コンピュータに読み取ってもらう。借りた図書のリストや返却期日などが記されたレシート状のものが出て来ると手続き完了である。興味本位でチャレンジしてみた。最初に貸出カードを挿入する方向が違っていたためエラーが出た。次に図書の置き方に問題があってエラーが出た。さらに置いた図書の向きが違っていたためにやはりエラーが出た。文字通り、悪戦苦闘である。こんなことならすぐ横にある有人の貸出カウンターで手続きをすれば良かった。カウンターでは女性職員が手持ち無沙汰でカウンター内に突っ立っていた。
タグ:図書館
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2012年11月08日

木津川市の大念寺地蔵石仏。

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西明寺(木津川市加茂町大野)の裏手に大念寺がある。西明寺から少し坂道をのぼったところである。お堂の手前に立つのが大きな地蔵石仏である。肉厚の堂々たる体躯である。なかでも、唇の分厚さが印象深く、ユーモアを誘う。眼下には大野の集落が両脇に広がっている。地蔵は数百年にわたってそれを見守って来たのだろう。
タグ:石仏
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2012年11月06日

木津川市の西明寺。

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先日、西明寺(木津川市加茂町大野27)の秋の特別公開に訪れた。今年は11月1日から4日までが一般公開の期間であった。普段、一般には公開されていない薬師如来坐像(国重文)は像高86センチで欅の一木造。胎内に残された銘文により、1047年9月の造立であることが判明している。坐像にありがちな重厚感をあまり感じさせない。むしろほっそりとした印象である。失礼ながら、お顔も小僧さんを連想させた。それに比べて、重厚感を感じさせるのは、本堂の奥手に立つ大きな笠塔婆である。高さは等身大で塔身の表面上部に小さな薬師如来坐像を刻む。側面に刻まれた年号によると永仁3年(1295)の作であるという。石大工・橘友安の作であるということだった。その脇には上部が欠落した五輪塔や層塔も置かれていた。
タグ:石塔 仏像
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2012年11月05日

後藤明生を読む会(第12回)

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後藤明生を読む会(第11回)→こちら

11月3日には後藤明生を読む会の第12回目がもよおされた。今回のテクストは8月に刊行されたばかりの『この人を見よ』(幻戯書房/2012年8月)である。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。今回は編集者のA氏の担当であった。A氏の発表後、参加者のあいだで討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておこう。

・第16章の「某日(土)東京(?)」において場所(空間)が曖昧になり、引き続いて第17章の「某日(土?)東京」において曜日(時間)が不確かになる。以後、現実に近接していた時間と空間は消滅する
・第2章において「日本酒はどうですか」という「私」からの密会の暗号にR子は応えない。小説内の現実の事件はここで終わる。「私」とR子との電話でのやりとりを除くと、現実のエピソードはすでに第2章で終焉している
・第6章の「正確に」「順序通りに」書くと、リアルであるはずの文章がかえって非リアルな奇怪な文章に転化してしまう
・第7章・8章の「アロエ大明神」の手足をもぎとるという行為について
・第9章・10章の京都散策は「文学散歩」を批評した「反=文学散歩論」となっている
・第10章に描かれる土下座姿の高山彦九郎像とうら若き白人女性との関係は谷崎的マゾヒズム・外国人女性崇拝のパロディとして描かれていること。さらにそこに視姦族との三角関係も生じている
・第10章の京橋のシーン。温泉マークやポンビキ氏の出現には後藤明生自身の生の感動がどこかで出ているのではないか?
・坂口安吾の『道頓堀罷り通る』における連れ込み旅館の言及は真実か!?
・『この人を見よ』における主要な作品『鍵』の作者である谷崎潤一郎自身も大阪論を書いているが、よりによって安吾の大阪論のようなトンデモナイものを出して来るところが面白い
・第15章において「私」が急に司会者として自信を失うのは「私」のインポテンツと関わりがあるのか?
・第20章冒頭の4ページは異様である。いったい何のためにこの4頁があるのかわからない。すでにはじめられている架空シンポジウムでもなければ、すでに捨て去られた日記でもない。しかも、その内容たるや、荒唐無稽そのものである
・第20章に登場する歌(カラスの赤ちゃんの歌)が、昭和14年、海沼実(1909〜1971)によって作詞・作曲され、戦後も海沼の創設した音羽ゆりかご会で合唱された歌であることは知られているが、そのこと自体を披露しても何の意味もない。注目すべきはむしろ「私」における記憶と欲望の反復性である。「繰り返し、繰り返し、繰り返し」という強迫性は「関係」そのものであるといっても良いだろう。
・本文の随所に戦歌・童謡・歌謡曲・唱歌・都都逸・民謡・讃美歌などが挿入されている。そのすべてで作者名が抜け落ちており、個人の消滅に対して、歌詞(言葉)だけが残されている
・さらにはそこから派生した奇妙な歌「レディース・アンド・ジェントルメン!/太郎さん、花子さん!/お父さんは単身赴任/お母さんはカルチャーセンター/太郎さんは大阪へ/花子さんは新宿へ/レディース・アンド・ジェントルメン!/太郎さん、花子さん!」(p75・155・223に行分けの形で出て来るが、初形はp43やp47などの行分けなしの本分中にある)のようなものまで自然発生的に現われている
・後藤明生における戦歌や歌謡のテーマはあらためて論じられるべきであろう(「マーラーの夜」における驚くべき異種混淆的歌詞も参照)
・ギリシャ劇風のコロスの合唱や能・歌舞伎の地謡、シェイクスピアの魔女(?)は「声」(1)〜(10)や「声(?)」とどこかで通底しているかも知れない
・三角関係の氾濫。「三」には衆知を纂めるという含意があろう(「一」は独白・「二」は対話・「三」は鼎談であり、「二」が「三」になると、たちまち飛躍・混乱が生じる)。この場合は嫉妬(他人の欲望に喚起された自己の欲望)が三角関係の生みの親となっている
・謎めいたA某氏は『ゴドーを待ちながら』のゴドーと同じ役割か?(その一方で「私」やB某氏に相対化される存在でもある)
・当初の「私」はA某氏の千円札文学論に批判的である。しかし、やがてA某氏を意識するあまり、その書き方がA某氏の文学理論に似て来る(「私」の書き方の変化も『この人を見よ』の大きなテーマの一つ)
・「この人を見よ」(エッケ・ホモ)の「この人」とは、本来、イエス・キリストのことを指すが、ニーチェになると「このオレを見よ」という自伝形式となる。現代的は有名人の伝記に「この人を見よ」が使用されるが、本作にはこのようなコノテーションはないと思われる。むしろ日記形式の「私」から架空シンポジウムの経緯を説明する話者としての「私」を経て、架空シンポジウムの司会者(らしきもの)になりゆくのであり、結果は「私」の縮減あるいは消滅へと向かう。最終的な結果はどうなったか?「この小説を見よ」(言葉)が残ったといえる
・日記(のようなもの)の筆者である「私」が脳髄中のシンポジウムの導入者兼語り手となり、その司会者兼記録者になることによって、思いがけず小説の書き手のようなものになってしまう。主要な登場人物が小説の書き手であるというのは私小説の常道ではあるものの、この小説の場合は私小説とは似ても似つかない。いわば、後藤式小説講座実践篇の観を呈している
・『この人を見よ』全体が谷崎や芥川、太宰の晩年および晩年の作品をあつかい、中野重治による葬式めぐりについても言及されているように、作品の底流には「死」や「晩年」という事態に対する後藤明生の意識が踏まえられているのではないか(p244の「番外篇」という表現も(人生)の「番外篇」=「おまけ」=余生意識とつながっているのか?/後藤明生版「余生小説」として読めるのではないか?―いわゆる「余生小説」とは似ても似つかない奇怪なテクストではあるが)
・芥川の『西方の人』に登場するカラスについて
・『この人を見よ』の連載当時に起こったソ連邦の崩壊や湾岸戦争に対する批判の痕跡はあるのかどうか?

次回の研究会は来年の年明けを予定している。テキストは『めぐり逢い』。ただし、その前に年末恒例の文学散歩・忘年会もおこなうつもりである。文学散歩は『この人を見よ』に登場する「温泉マーク」や「ポンビキ氏」を求めて京橋界隈を散策する予定。詳細は後日あらためて案内します。
タグ:後藤明生
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2012年11月02日

東大寺二月堂の石段。

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写真に写っているのは東大寺二月堂の南側の石段である。子どもの頃からもう数え切れないほど利用している。石段には唐草・亀甲・青海波といった紋様が刻まれている。特に登りはじめと登り終わりの数段にその紋様が良く残されている。これも子どもの頃より知っていたことである。しかし、案外、それらに気づいている人は少ないようだ。私がそれらの写真を撮っていると、その様子を不思議そうに眺めている老夫婦がいた。
タグ:東大寺
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2012年11月01日

東大寺二月堂回廊の提燈。

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夕方、久し振りに東大寺二月堂に立ち寄った。そして、二月堂から生駒山に沈みゆく夕陽を見送った。写真は二月堂の回廊にぐるりと吊り下げられた提燈である。写真ではわかりにくいだろうが、一つずつは大人が腕を大きく広げるほどの大きさがある。「二月堂」という文字も記されている。夕刻、提燈に明かりがともると二月堂は新たな貌を見せはじめる。
タグ:東大寺
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