2012年09月02日

東鳴川町の応現寺・木造不空羂索観音坐像。

東鳴川観音講が所有する応現寺(奈良市東鳴川町31)の木造不空羂索観音坐像(国重文)は、毎月第1日曜日の午前9時から午後4時のあいだ、一般に公開されている。応現寺の不空羂索観音坐像は、以前、奈良国立博物館でもよおされた特別展『西国三十三所』で拝観した。しかし、応現寺ではいまだ拝観したことがなかった。今日は終日オフである上、不空羂索観音が一般公開されている第1日曜日であったため、思い立って応現寺に参った。浄瑠璃寺・岩船寺を経由して訪れたため、京都側から車で向かう。車で県道33号線から東鳴川の集落に入るには急坂である上に道がとても狭い。結局、車は県道33号線沿いの小スペースに停車して徒歩で応現寺へとおもむいた。急坂を30メートルほどのぼると案内板の指示にしたがって右折する。すると村の鎮守社とおぼしき春日神社が現れる。応現寺は春日神社を右手に見ながらさらに10メートルほど進んだところにある建物であった。町内の集会所を兼ねたささやかなお堂である。堂内奥の中央には江戸時代の作であるという本尊・阿弥陀如来立像が安置され、その両脇にはやはり江戸時代の作である親鸞聖人画像(掛軸)などがかけられている。木造不空羂索観音坐像とその両脇に安置されている2体の毘沙門天立像は春日神社の下方にあったと伝わる善根寺(鳴川千坊の一つで久安3年に興福寺権別当恵信が籠山している)の旧仏であるため、阿弥陀如来立像の向かって右側に客仏として安置されていた。制作年代は11世紀末から12世紀前半頃であるとされる。三目八臂で両肩に鹿皮をまとう姿として表わされている。均整のとれたお姿で面相は実に端正である。中央の仏師によって作られたことが明らかな作である。案内いただいた村の担当者によると、平氏による南都焼き討ちによって消失する以前の興福寺南円堂・不空羂索観音坐像を模した貴重な作であるという。不空羂索観音の坐像は珍しい。南円堂の不空羂索観音坐像のほか、新薬師寺の東側にある不空院安置の不空羂索観音坐像くらいしか思いつかない。拝観者はほかには見当たらなかった。したがって、まわりを気にせずにゆっくり拝観することが出来た。村の担当者にはお茶をご馳走になった。世間話を交えながらの拝観である。観光寺院では決して得られない貴重な体験であった。
ラベル:仏像
posted by 乾口達司 at 21:25| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする