2012年08月18日

後藤明生を読む会(第11回)レジュメC

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D<時間>と<空間>の重層化―朝鮮半島・戦争・阪神大震災
『しんとく問答』が朝鮮半島との関わりを意識した小説であることは「KBS交響楽団」「大阪城/壬辰の倭乱」「四天王寺ワッソ」「韓国製FUJIフィルム」「韓国国旗と北朝鮮国旗」「平野川=百済川」「『統一マダン生野』のポスター」「しんとく丸=百済王の末裔説」などの文言から明らかである。他にも直接の言及はないものの、「しんとく問答」において「私」が降り立つ駅の名前となっている「服部川」という地名も金達寿の『日本のなかの朝鮮文化』(講談社/1972・1)によると「その『服部』というのは、高句麗の朝鮮語クレ(句麗)、すなわちくれ(呉)、呉服(くれは)ということからきたものだった」とのこと。しかし、別の<時間>も描かれている。目にとまるのは<戦争>をテーマにした<時間>である。「ダートー ベーイエイ」はその代表的な文言である。ほかにも、マーラーの音楽について、クルシェネクが解説した『グスタフ・マーラー/生涯と作品』のなかの一節には「マーラーの音楽の根本的な特徴は、凱旋の行列から葬儀のこもった響きまでの全音域にわたる、軍隊行進曲である」「しかも彼は闘士だったのである。印象的な象徴を用いる彼の性癖のために、彼が何度となく軍隊ラッパとドラムの好戦的なリズムをえらぶことになったのも不思議ではない」という文言が引用されている。「越中井」や細川ガラシャについて言及した部分は、関が原の合戦前夜に大坂で発生した騒乱=戦争を暗示している。「『芋粥』問答」では、冒頭から、敗戦後、芋粥ばかりを食べていたことが振り返られている。「十七枚の写真」では、宇野浩二が陸軍陸軍偕行社附属尋常小学校に通っていたことが語られている。難波宮跡公園の一画に建つ歩兵第八聯隊の碑文も紹介されている。「大阪城ワッソ」では「壬辰の倭乱」についての言及がある。「しんとく問答」では、菊老人が俊徳丸鏡塚の脇に住むことになったのは「昭和二十年三月の大阪大空襲後」であったと語られている。「私」は俊徳丸鏡塚を「防空壕のよう」なものとして見ている。『河内名所鑑』や『河内名所図会』に記されている「火の雨」も戦時中の空襲をイメージさせる。

待ちに待ちたる時は来た
腕が鳴る鳴る血が躍る
さあ来いアメリカさあ来い英国
正義の旗の輝くところ
ハワイの堅塁何者ぞ何者ぞ

降るよ火の雨鉄の雨
とうに覚悟は出来ている
さあ来い空襲さあ来い敵艦
一億生命を捧げるところ
烏合の敵勢何者ぞ何者ぞ

神の亜細亜を白人の
手から亜細亜を取り戻す
尊い使命だ光栄ある戦だ
八紘一宇理想の前に
汚れし米英何者ぞ何者ぞ
―霧島昇/奈良光枝『打倒米英』/作詞 : 西條八十 作曲 : 古賀政男(1942年)―

俊徳丸鏡塚を古代の古墳であると同時に戦時中の防空壕のようなものとしてとらえると、俊徳丸鏡塚の上に立つポールの存在も違った意味を持って来る。俊徳丸鏡塚を防空壕と見なすと、ラッパ型のスピーカーを取り付けたポールは空襲警報のサイレンということになる。『しんとく問答』が刊行された1995年(平成7年)が終戦から50年の節目の年であったことを思い起こしたい。8月にはいわゆる「村山談話」が発表されており、50年前の戦争を総括しようという動きが高まった時期である。その点を勘案すると、『しんとく問答』も細部において<戦争>を強く意識した作品であったということがわかる。しかし、1995年を代表する出来事は他にもある。阪神・淡路大震災とオウム事件である。オウム事件は、「しんとく問答」の発表後に発生しているため、直接、作中で意識されることはない。しかし、1月17日に発生した阪神大震災は明瞭に意識されている。事実、「しんとく問答」の執筆時に阪神大震災が発生している。

最後の『しんとく問答』を書いているとき、一月十七日の阪神大震災が起きた。大阪のマンションは七階建ての六階の3LDKで、私は午前三時頃まで仕事部屋で原稿を書き、寝酒を飲んでいつもの六畳の和室で眠った。突然のショックで目をさましたが、まだ半分酔払った状態でふらふらしていた。妻が玄関のドアをあけ、私は仕事部屋のドアをあけた。そしてびっくりした。部屋じゅうに本が散乱し、仕事机は本の瓦礫に埋っていた。もし仕事中だったら、頭と頚を直撃されていたかも知れない。テレビで見ていると余震が続くという。私は東京山の上ホテルに電話で部屋を予約した。そして瓦礫の下から書きかけの『しんとく問答』を引きずり出し、最小限必要な資料「名所図会四冊、ノート、書きかけの原稿だけをバッグに詰めて大阪のマンションを脱出した。すでに新幹線はストップ状態、近鉄の特急で名古屋まで行き、えんえん長蛇の列に混って「こだま」に乗車、東京に着いたのは夜十時近くだった。妻は長女のアパートへ行き、私はホテルの部屋で大酔した。そして翌日から悪戦苦闘、なんとか最終篇を書き上げることが出来た。
               ―後藤明生「五年がかりの『しんとく問答』」―

■ラッパ型のスピーカー付きポール
・過去=戦時中=空襲警報サイレン
・現在=阪神大震災=防災無線用のスピーカー

いいかえれば、「私」は過去と現在、<戦争>と<震災>に挟み撃ちにあっている。したがって、物語の最後で「私」が関係機関に問い合わせる際に発する「あれは何でしょうか?」という質問を単にその事物の正体に対する質問として受け止めてはいけない。誰が見てもすぐにそれが防災無線用のスピーカーであるとわかる以上、「あれは何でしょうか?」という問い掛けは、自分がいま平成の世を生きているのでしょうか、それとも戦時中に生きているのでしょうかという問い掛けと表裏一体の関係にあるものとしてとらえられるべきである。すなわち、「現在」=防災無線=阪神・淡路大震災と「過去」=空襲警報用サイレン=戦時体験(戦争)とのあいだで挟み撃ちにされた「私」は自分の立ち位置(時間・空間)を正しく判断することが出来なくなっているのである。そして、それは戦時中と戦前のイメージが分裂的に組み合わさった「訳のわからない不思議な歌」の構造とも対応しているといって良い。ちなみに、YouTube( http://www.youtube.com/ )によると、阪神・淡路大震災の発生時、震度7の揺れを観測した兵庫県淡路市津名町では、午後0時に鳴らされる防災行政無線チャイム(「ラッパ型のスピーカー」)から流れるメロディは『かねがなる』の原曲である「フレール・ジャック」である。「防災行政無線チャイム 兵庫県淡路市津名町 かねがなる」で検索するべし。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 23:27| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする