2012年08月17日

後藤明生を読む会(第11回)レジュメB

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C「鏡」をモチーフとした『しんとく問答』
「しんとく問答」におけるキーワードとして「あべこべ」がある。「史跡の道」をめぐるエピソード、服部川駅へおもむく際、山本駅で電車を乗り換えるエピソード、服部川駅に降り立ったときのエピソード、俊徳丸鏡塚を見学した後、菊老人に呼び止められた「私」が「昔自分が勤めていた会社の後輩に余りよく似ている」という「○○さん」と間違えられるエピソードにそれが顕著に表れている。「あべこべ」であるということを敷衍すると、メタファーとしての「鏡」というテーマが浮かび上がる。俊徳丸とその父親との関係はずばり「五十歳の鏡像」と記されている。「鏡」は直接には「俊徳丸鏡塚」という名称によって触発されたと思われる。留意したいのは「あべこべ」の「鏡」のメタファーがちりばめられていながら、後藤明生の目はそれぞれの対象の一致よりもそのズレ=差異に向けられているということである。たとえば、「○○さん」と「私」とが「余りよく似ている」という文言に注目すると、「余りよく似ている」というのは差異があるということである。差異=ズレは、「四天王寺ワッソ」以降、俊徳丸を主人公にした同じ物語について言及している点からもうかがえる。すなわち、「四天王寺ワッソ」において、謡曲の『弱法師』と説経節の『信徳丸』の2つのテクストに対する言及からはじまった探究はやがて『河内名所鑑』における新徳丸に対する言及、俊徳道鏡塚の脇に立てられた案内板、折口信夫の『身毒丸』や『河内名所図会』における真徳麿に対する言及へと展開していく。その展開の過程はそれぞれが鏡像としてありながらも差異=ズレを引き起こしながら変化していく過程であるといえる。したがって、ここでいう「鏡」は鏡像に歪みをもたらす凹凸のある鏡(球面鏡)のようなものであるといって良い。重要なのはそれぞれのテクストのズレがそのまま言葉の増殖を生み出していることである。俊徳丸について言及したテクストに登場する主人公の名は「俊徳丸」「信徳丸」「新徳丸」「身毒丸」「真徳麿」と広がりを持ちはじめる。古墳の変遷について語った部分でも、前期の「円形、前方後円墳」が中期になると「応神、仁徳のあの壮大な陵墓」に発展し、後期になると、「陵墓の縮小化」の代わりに「従来の陵墓より規模も小さく、それに要する労力も経費も至って少な」い「横穴式墳が流行し、岡を越え谷を渡って累々と作られるに至」ると語られる。古墳もたま造型上の変容=差異を繰り返しながら爆発的に増殖していくのである。同様のことは、百済からの渡来人がやって来たことに際して、奈良時代の年号が「天平」「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」「宝亀」「天応」「延暦」と変化していく経緯を語った部分からもうかがえる。天平時代がこういった元号のズレ=差異をともないながら「天平」という言葉の増殖を誘発していることに留意したい。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 22:06| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする