2012年08月15日

後藤明生を読む会(第11回)レジュメ@

昨日の日記にも記したように、今日から数回にわたって8月12日にもよおされた第11回後藤明生を読む会(テキスト:『しんとく問答』)のレジュメを公開する。なお、レジュメの末尾に添付した「朝鮮総督府官報」や「毎日申報」などの参考資料は割愛した。図表は当ブログの発表形態を鑑みて別の形式で表現した。ブログへの掲載にあたり、誤字脱字は修正した。

■『しんとく問答』を読む(発表 : 乾口達司/日時 : 2012年8月12日(日)午後1時〜/於 : 城北学習センター第2会議室)
@「私」の想起する「訳のわからない不思議な歌」について
個人の体験と深く結びついているはずの言葉が個人と乖離してしまっている。過去を回想する小説一般にありがちな歌詞と個人との親和的な結びつきはここにはない。言葉は不可解な他なるものとしてあり続けている。「私」はその言葉を制御するだけの力を持っていない。そのことで「ダートー ベーイエイ」とそれ以下の歌詞、葬送行進曲風のメロディとのちぐはぐな関係がそのまま浮き彫りにされている。チグハグさをチグハグなまま提示し、その真相の究明=合理化がなされていない点に特徴がある。

A「訳のわからない不思議な歌」と「かねがなる」
『交響曲第1番』 第3楽章のもとになったメロディとは、17世紀に作られたとされるフランス民謡の『フレール・ジャック』(Frère Jacques)である。日本では『フレール・ジャック』『かねがなる』『グーチョキパーでなにつくろう』といった邦題で知られている。「訳のわからない不思議な歌」の原典は『かねがなる』(勝承夫作詞/フランス民謡/1947年)である。

しずかなかねのね
町の空に 
ゆめのように
たかく ひくく
ゴンゴンゴン ゴンゴンゴン
しずかなゆうべに
心すんで
かねが ひびく
たかく ひくく
ゴンゴンゴン ゴンゴンゴン

「訳のわからない不思議な歌」の原典が「かねがなる」であることは明らかである。それだけに「ダートー ベーイエイ」という文言が際立つ。「ダートー ベーイエイ」という文言は敗戦後に発表された「かねがなる」の歌詞が持つ時代背景とは乖離している。戦後民主主義の象徴であるかのような「かねがなる」の世界が、軍国主義の亡霊というべき「ダートー ベーイエイ」という言葉によって崩され、作り変えられている。それにより、戦後の社会が「ユーメノ ヨーオーニ」すぐに壊れてしまうようなもの、すなわち、砂上の楼閣(虚構)であるかのような印象を与えている。戦後民主主義に対するアイロニーさえ読み取れる。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 21:51| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする