2011年11月29日

本子守町の率川神社。

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率川神社(奈良市本子守町18)は6月17日の三枝祭(ゆりまつり)で知られている。三枝祭では笹百合の花を飾りつけた酒樽が神前に奉納され、百合を手にした4人の巫女が神楽を舞う。何とも雅な祭である。このときばかりは狭い境内に大勢の参拝者が詰め掛ける。先日、久し振りに境内に足を踏み入れた。大神神社の境外摂社である。どういった経緯で大神神社の摂社となったのか。興味がある。写真は境内に安置されている蛙石。蛙は一度にたくさんの卵を産むことから繁殖力や豊富、裕福のシンボルであるといわれているという。それにちなんだのであろう。蛙の形に似ているということで礼拝の対象になったようである。平日ということもあって境内には誰の姿もなかった。
タグ: 神社 カエル
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2011年11月28日

大和西大寺で一杯。

昨日は早朝出勤であった。仕事は無事に終えることが出来た。夜は忘年会。訪れたのは“光亭西華”(奈良市西大寺東町1-4-46アマービレ秋篠1F)である。1年振りの訪問である。今回は3500円のコース料理と時間制限付きの飲み放題プランを頼む。飲み放題プランに惹かれたのであろう。日中の仕事のときの勢いのまま、ビールや焼酎をがぶがぶ呑んだ。愉快の一夜と相成った。
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2011年11月26日

法蓮町の眉間寺址碑。

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眉間寺は現在の聖武天皇陵付近に存在した。測量図から推察すると、聖武天皇陵南面の平坦地に伽藍が存在していたようである。1862年には伽藍は撤去され、数年後には廃絶したとのこと。見る限り、遺構はまったく残されていない。唯一、後世に建てられた「眉間寺遺蹟」という石碑が往時をしのぶきっかけとなる程度である。石碑は一条通りから佐保山保育園の前の道を数十メートル登った右手に建っている。
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2011年11月25日

北海道からの贈り物。

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久し振りに六花亭のマルセイバターサンドを頂戴した。バター・ホワイトチョコレート・レーズンから成るクリームをサンドにしたビスケットである。十数年前にはじめて食べて以来のファンである。カロリーの高さが気になるものの、一つ食べるとついもう一つ食べたくなる。あまり日持ちのしない商品である。早めに食べてゆこうと思っている。
タグ:ビスケット
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2011年11月24日

学園前で夕食。

少し前のこと。散策の途中で無性にラーメンを食べたくなった。あやめ池付近を歩いていたときである。そのまま学園前まで向かった。立ち寄ったのは“王楽園”(奈良県奈良市学園北1-9-1パラディU4F)である。中国・西安地方の料理を出す中華料理店である。もう何度も足を運んでいる。今回は牛肉麺と焼き餃子を注文した。このお店ではいろいろな麺を食べさせてくれる。日本では珍しいものも多い。次回は何を注文しよう。いまから楽しみである。
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2011年11月23日

生駒でテイクアウト。

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アルション東生駒店”(生駒市小明町427-1)を久し振りに訪れた。以前、富雄の住人であったとき、散策の途中で何度か立ち寄って以来である。店内には石窯が設置されている上に燃焼用の薪も積まれている。パンは石窯で焼かれるようである。各種のパンを購入。米を使った稲蔵トーストには惹かれた。2階はレストランになっている。食事の折、パンは食べ放題であるという。いつか行ってみたいものである。
タグ:パン
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2011年11月21日

四天王寺のお大師さん。

今日は所用で午後から天王寺へ。ついでに四天王寺も訪れた。平日なのにかなりの人出である。何だろう。そう思って境内に足を踏み入れると屋台や露天がびっしりである。日用品を売る店、衣料品を売る店、雑貨を売る店。さらにたこ焼きをはじめとする各種の食べ物類を売る店も揃っている。そこに老若男女が群がっている。それで思い出した。今日は21日。四天王寺の21日といえば「お大師さん」である。「お大師さん」とは弘法大師・空海の月命日である21日にあわせて開かれる市のこと。空海と縁のある東寺でも今日は弘法市が開かれている。まったく気が付かなかっただけに今日は良い日に訪れたものである。屋台や露天を眺める一方、石の鳥居や弘法大師・親鸞上人の銅像を眺めたり、亀井堂を拝観したりしながら境内をぶらぶら散策した。ちなみに明日は聖徳太子の月命日22日である。それにあわせて「太子会」の縁日が引き続いて開かれる。
タグ:四天王寺
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2011年11月20日

矢田丘陵縦走38

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前回、矢田丘陵を縦走したときのことは11月14日の日記に記した。皇族の来訪で物物しい警備体制がとられる平城宮跡・西大寺方面に一瞥をくれた後、東坂・追分を経由して、矢田丘陵へ。いつものように尾根伝いに歩き、松尾寺・法隆寺へと下った。今回は余力があったのでそのまま下の道を歩いて帰宅。久し振りに往路・復路ともに歩きとおしたので気分は爽快である。おかげで血の巡りも良くなり、肩凝りも治ったようだ。写真は松尾寺から法隆寺方面に下って来た付近にあるポプラ並木である。松尾寺から下って来た道は法隆寺カントリークラブの敷地内を通る。ポプラ並木はその両側に見られる。葉はすでにほとんど黄色く色づいている。落葉したものも多い。その一方、枝についたままの葉も多い。これからどんどん落ちてゆくことだろう。落ち葉をざくっざくっと踏みつけながら進んでゆく。
タグ:矢田丘陵
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2011年11月19日

平城宮跡(第35回育樹祭前日)

仕事が一段落した。夕方には雨も止んだ。仕事で鈍った身体をときほぐすため、夜のあやめ池・西大寺および平城宮跡付近を散策した。湿度が高く、この季節に似合わず、思い切り汗をかいた。明日は平城宮跡で第35回育樹祭がとりおこなわれる。明日の式典には皇族が来訪するからであろう。平城宮跡では複数の警察官の巡回する場面に出くわした。大雨のあとでぬかるんでいる地面の上を大型のライトを照らしながら巡回している。足元は水浸しであるはずだ。警察官は式典会場となる第1次大極殿からはおよそかけ離れた住宅地のなかでも見かけた。日中、土砂降りの雨のなかでも警戒を続けていたのであろう。まったくご苦労なことである。明日はこのあたりも交通規制が敷かれるようだ。
タグ:平城宮跡
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2011年11月18日

岡山で一杯。

たのたの庵”(岡山市中区藤崎641-1)の存在は昨年のオープン直後から知らされていた。しかし、諸事情により、訪れるのが遅くなってしまった。今回は某女の車に便乗させてもらい、夜の来訪と相成った。しかし、店自体が住宅地のなかにあり、車がどこをどう走ってたどり着いたのか、さっぱりわからなかった。当店の魅力は吉備土手下酒醸造所が作るビールが飲めること。この夜、いただいた「吉備の烏スタウト」は黒ビール。思いのほか飲みやすかった。「瀬戸の憂鬱」は瀬戸内海をイメージした青色のビールでどちらかというと女性向きである。「生姜の麦酒ジンジャーエール」は生姜の味が際立っており、珍しかった。今回はコースを注文。ビールや酒に合う料理が多くて楽しめた。座敷もあってくつろぎやすい空間である。また行ってみたい店の一つである。
タグ:ビール
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2011年11月17日

岡山で昼食。

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“大蓮香”奥田店(岡山市北区奥田本町16-28)は私のお気に入りのうどん屋“うどん村”(岡山市北区奥田本町15-13)の向かいにある。唐揚げ定食と水餃子を注文した。そのランチメニューの安さに驚かされる。もちろん、安かろう、悪かろうではない。値段のわりには充分に美味しい。意外と本格的な中華料理店であるということを思い知らされた。食事中、隣の座敷には某国民的アイドルグループのメンバーと結婚した某男性芸能人とその母・妹一家がプライヴェートで食事をとっていた。お忍びの来訪であるとはいえ、そのいでたちはさまざまな意味で一般人とは一線を画すものであった。
タグ:中華料理
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2011年11月16日

岡山で昼食。

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“おおもり手打うどん”(岡山市北区高松原古才497-13)は備中高松方面に出掛けた折にたまたま立ち寄った。昼時であったせいだろうか。食堂風のそれほど広くはない店内は家族連れなどでゴッタ返していた。人気店なのであろうか。そう思いながら肉うどん定食を注文。うどんのボリュームがある上におにぎりやおでん類、サラダなども付いていて食べ応えがある。人気店であるという理由が良くわかった。備中高松におもむいた折にはまた訪れたい店である。香川の讃岐うどんとは違い、岡山のうどんの特徴が麺の細さにあることも教えられた。
タグ:うどん
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2011年11月15日

岡山で一杯。

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“やきとり廣将本店”(岡山市南区築港ひかり町3-4)には夕食時に立ち寄った。立ち寄ったといっても、今回はテイクアウトでお願いをした。注文をしてから焼いてもらうために10分ほど時間がかかる。その間、店の前で少し時間を潰した。注文したものはいずれも美味しかった。特に手羽先は味付けを5段階にわたって変えられる。わたしが注文したのはピリ辛であった。これが特に美味しかった。ビールに良く合う逸品である。
タグ:焼き鳥
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2011年11月14日

矢田丘陵縦走37

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前回、矢田丘陵を縦走したときのことは4月16日の日記に記した。それ以来の縦走である。いつものように追分から子供の森へと向かった。そして、尾根へと駆け上がり、松尾寺を経由して法隆寺へと下った。松尾寺では千手観音像トルソー(焼損仏)の特別公開がおこなわれていた。昨年、滋賀県立近代美術館でもよおされた白洲正子生誕100年特別展「白洲正子神と仏、自然への祈り」で拝見したトルソーである。12月25日までの公開であるという。法隆寺では西円堂にお参りし、JR法隆寺駅から電車に乗って帰宅した。久し振りの縦走ということもあって足が疲れた。写真は「酷道」と揶揄されることもある国道308号線。最近は榁木峠の西側に足湯が出来たり、その東側にこっそりパン屋が出来たりしている。そのせいだろうか。意外と交通量がある。対抗車両とすれ違うときはつらいだろう。そう思いながら通り過ぎる車を見送る。
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2011年11月13日

岡山紀行(犬養木堂記念館)

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岡山紀行(岡山県立博物館特別展『法然上人と岡山』)→こちら
岡山紀行(2つの埋蔵文化財センター)→こちら
岡山紀行(偕行社遺構)→こちら

5・15事件で凶弾に倒れた政治家・犬養毅を顕彰した犬養木堂記念館(岡山市北区川入102-1)は犬養の生家(旧犬養家住宅)と木堂記念館、それに研修施設として利用されている木堂塾の3棟から成り立っている。犬養毅(木堂と号す)が岡山県の出身であったことは知っていた。しかし、これほど立派な施設が故郷に建てられていることまでは知らなかった。しかも、国の重要文化財に指定された生家や遺品の数々が展示された立派な展示施設があるにもかかわらず、入館料は無料である。知らなかったといえば、犬養が吉備津神社の氏子であったことも同様である。今回、当館を訪れてはじめて知ることとなった。確かに犬養の祖は吉備津彦命に従った犬飼健命であるとされている。したがって、犬養が吉備津彦命と深い関わりを持つ吉備津神社の氏子であっても別に不思議はない。そういわれてみれば、吉備津神社には犬養毅の立派な銅像が建っていたものである。記念館の北東すぐのところには犬養家先祖代々の墓が林立している。もともとは「犬飼」と名乗っていた一族を「犬養」とあらためさせたのも毅であるという。したがって、先祖の墓石のほとんどは「犬飼」と刻まれていた。毅の墓は息子の健の墓と並んで立っていた。政治家として知られた健が大正時代には小説家として活躍していたことを知るものがいまの時代にどれだけいるのだろうか。
タグ:犬養毅
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2011年11月11日

三館連携特別展『神仏います近江』

三館連携特別展『神仏います近江』はMIHOMUSEUM滋賀県立近代美術館大津市歴史博物館の3館が連携してもよおされている特別展である。MIHOMUSEUM会場を訪れたときのことは9月20日の日記に記した。今回は残り2会場の観覧にのぞんだ。滋賀県立近代美術館『祈りの国、近江の仏像』では、かねてより拝観したかった大岡寺の木造薬師如来坐像や善明寺の木造阿弥陀如来坐像の拝観が叶った。大岡寺の木造薬師如来坐像は内刳りのない一木造。ずんぐりとした体躯で面相も特徴がある。圧倒的な存在感である。永昌寺の地蔵菩薩立像とは久し振りの再会と相成った。やはり衣紋のデザインが素晴らしい。以前、本堂の内部を拝観させていただいた円光寺からは2体の木造地蔵菩薩坐像がお出ましになっていた。石山寺・多宝塔の内部に安置されている快慶作・大日如来坐像も間近で拝観することが出来た。大津市歴史博物館『日吉の神と祭』では滋賀県内の神社が所有する数多くの神像が展示されていた。竹田神社が所蔵する木造男神坐像は手を膝に置く姿勢が珍しい。春日神社が所蔵する木造神像は唐衣を身にまとった異国風のいでたちである。墨で目玉や眉や髭あるいは衣服の紋様を書いた神像もあり、仏像と違ってなかなかお目にかかる機会がないだけに興味深かった。その素朴で漫画風の造型もユーモラスである。滋賀の仏像・神像のレベルの高さをあらためて思い知らされる展覧会であった。
タグ:神像 仏像
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2011年11月09日

岡山紀行(偕行社遺構)

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岡山紀行(岡山県立博物館特別展『法然上人と岡山』)→こちら
岡山紀行(2つの埋蔵文化財センター)→こちら

写真の洋館は岡山県総合グラウンドの一画に建っている。旧陸軍第17師団の将校クラブとして建てられたものである。建造は明治43年。戦後は進駐軍に接収された後、労働基準監督署の庁舎としても長らく利用されていたようである。陸軍の将校クラブから労働基準監督署の庁舎へ。その驚きの転用が日本の戦前と戦後との急激な変化を見事に象徴している。現在、1階はレストラン、2階は研修室として再利用されている。各所の洒落た意匠が魅力的である。
タグ:偕行社 陸軍
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2011年11月07日

岡山紀行(2つの埋蔵文化財センター)

岡山県立博物館特別展『法然上人と岡山』→こちら

今回の旅では岡山県古代吉備文化財センター(岡山市北区西花尻1325-3)と岡山市埋蔵文化財センター(岡山市中区網浜834-1)という2つの考古学関連の施設を訪れる機会に恵まれた。前者は吉備の中山の尾根に位置している。後者は東山の山麓に位置している。いずれも入館料は無料である。無料であるにもかかわらず、展示物が思いのほか多く、なかなか見応えがある。私が訪れたとき、後者ではちょうど「平成23年度埋蔵文化財発掘報告会」が開かれており、熱心な考古学ファンが多数つめかけていた。
タグ:考古学 古代
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2011年11月06日

岡山紀行(岡山県立博物館特別展『法然上人と岡山』)

所用で写真を撮影してもらうことになっている。そのこともあって岡山に滞在中である。ついでに岡山県立博物館で13日まで開催されている特別展『法然上人と岡山』を観覧して来た。もっとも興味を持ったのは弘法寺の被仏である。総高は2メートル半ほど。鎌倉時代に作られた阿弥陀如来立像である。注目したいのは、胎内が空洞化しており、下部(脚部)から人間が頭を差し込んですっぽり被るようになっていることである。毎年5月5日、弘法寺でもよおされる踟供養の折、実際に人間が被って観衆の前に姿を現すという。胎内に入り込む人間の頭部は仏像の腹部あたりに位置するようになっているようである。その証拠に腹部には横線のような隙間が見える。ここがなかに入る人間が外部の様子をうかがうための覗き穴になるようだ。しかし、最初から人間が被ることを目的にして作られたものであるのならば、もう少し人間の身長にあわせて作るはずである。したがって、本来は被ることを目的としては作られていなかったのではあるまいか。上部と裳裾部とを分離させた上下二部式像(裳裾部を台状にしてそこに上部をはめこんだ構造)が一般的に現れて来るのは室町時代以降のことである。岡山県内でも南区阿津の宝積院・阿弥陀如立像にその構造が見られる。弘法寺の被仏も本来は二部式像として一般的なまつられ方をしていたものが、何らかの理由で裳裾部が失われる一方、上部が行道用の被仏として転用されることになったのではなかろうか。このように仏像を被るという風習が全国的に見られるのかどうか。実に興味深い。近い将来、実際に踟供養の現場で被仏のお姿を拝見したいと思っている。その他、文殊菩薩の神像版である摩賀多神社の文殊大明神坐像も珍しかった。
タグ:仏像
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2011年11月03日

東九条町の穂積寺跡。

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東九条町の穂積寺跡は奈良時代の寺院の址であるとされている。穂積氏の氏寺であったのだろうか。大永池の南西に位置しており、現在はその跡地には小さな社がまつられている。古瓦の散布が認められ、礎石とおぼしき石も地面から顔をのぞかせている。『今昔物語』巻16「女人、穂積寺の観音の利益を蒙りたる語」によると、当時、穂積寺には千手観音がまつられていたようである。いまは往時をしのぶ伽藍は何も残されていない。
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