2011年05月07日

後藤明生を読む会(第4回)

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後藤明生を読む会の第4回目がもよおされた。場所は1回目におこなわれたプレラにしのみやである。本日のテクストは『日本近代文学との戦い』(柳原出版)であった。『日本近代文学との戦い』は私も編者として関わっただけに想い出深い。そして、責任もある作品である。いつものように代表の発表者が基調報告をおこなった。その後、参加者で討議がおこなわれた。今回も話題となった事柄をアトランダムに列記しておこう。3つの関係=関係A:私⇔(見る/見られる)⇔他者・関係B:私(教師)→他者(学生)・関係C:私⇔(話す/テレビを見るように見る)⇔学生、「私語との格闘」ではなく「私語と格闘」という題名であることの意味、「『真似』と『稽古』」における最後の一文=「私のフィクションである」という告白を書くか書かないかということ、他者との関係によって崩れてゆく文章、「談話」「講義」「講演」「送辞」「答辞」といった話し言葉をテーマにしていることの狙い=後藤明生風の「言文一致」の試み。内田魯庵の孫娘でポーランドの児童文学翻訳者である内田莉莎子をめぐるエピソードについて、特にその時間的重層性について、フィツォフスキ作・内田莉莎子訳『ジプシーのむかしばなし』の引用部分について。1箇所の誤植だけで1篇の小説を書き上げてしまう力量について、「シーシー蝉」に見られる「死」の予感、唐突に書き込まれる「かねこさん」と「うたこさん」とは何者か。次回の開催は8月。次回は『行き帰り』について討議をおこなう予定である。
ラベル:後藤明生
posted by 乾口達司 at 23:31| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする